出会い
森での演習からしばらく。
学園の治癒術師の力もあり、無事に回復したラグだったが、以前にもまして居心地の悪い思いをすることが増えていた。
午前の授業が終わり、ラグが食堂に行くと近くにいた生徒たちの囁き声が聞こえてくる。
「おい、あれだろ。例の……」
「ああアレアレ。ヘールバズ家に喧嘩売るとか何考えてんだろうな」
「おかげでヘールバズの取り巻きたちがピリピリしちまって窮屈でしかたないぜ。いい迷惑だ」
「なんでもデオルフとかいう弱小貴族の出身らしいわよ。なんでこの学園にいるんだか。身の程をわきまえなさいよね」
「しかも演習の時に班のメンバーの意見を無視して独断専行に走ったあげく、そのせいでリザードマンの番と遭遇したら真っ先に逃げ出したそうじゃないの」
「私も存じておりますわ。その際にキオタ様のご学友のアラン様が再起不能なほどの重傷を負ってしまったとお聞きしました。キオタ様のせいではございませんのに、もう少し自分に力があったらと嘆いておられました」
「確か、逃げ出したことを責められたから逆上して殴りかかったとかいう話じゃなかったか?」
「なんだよ、ただの逆恨みじゃねーか。とんでもねえクズ野郎だな」
「関わらないようにするのが一番ね」
エトセトラ、エトセトラ。
この数日ですっかり慣れてしまった陰口に晒されながら、席を探す。
といっても、ラグの歩くさきから生徒が席を立つので座る場所に困ることはなかったが。
大きな長テーブルを一人で使いながらラグは相変わらず聞こえてくる陰口を聞き流す。
「(さすがに腐ってもヘールバズ家に連なる者だけあって、こういうことは本当に上手いよね)」
事実と大きく異なる陰口を聞きながら黙々と食事を口に運ぶ。
基本的にこの学園自体も実力主義なので、教師が生徒間の問題に介入してくることはない。
ケレルのような人の良い教師もいるが、ラグを知っている教師たちは召喚の儀式のやり直しに関してかなり無理をしてお偉方とかけあってくれているようなので、こちらにまで気を回す余裕はないだろう。
「(最初のころはずいぶんと堪えたものだけど、慣れっていうのは恐ろしいもんだ。授業の時には困るときもあるけど、もとから友人と呼べるような人もいないし、特に不都合は感じない。それよりも今はもっと強くならなきゃ)」
この前の出来事で、自分の力不足は痛感した。
自分にもう少し力があれば結果は変わっていたかもしれない。
だが、終わってしまったことを変えることはできない。
それを糧にして前に進む。
ラグはそう決めたのだ。
では、強くなるためにはどうするか。
スケルトンという最弱の従魔を召喚してしまった以上、当面は召喚士としてのアドバンテージはなきに等しい。
この前の戦いでもわかった通り、スルトはラグが苦戦する相手では歯が立たない。
せいぜい囮になるのが精一杯だ。
普通の召喚士ならばここで詰んでしまう者もいるだろうが、幸いにもラグは多少の近接戦闘の適正がある。
かなり厳しい道になるだろうが、これからはラグ自身の能力を伸ばすしかないだろう。
無論、スルトに関しても強化は怠らない。
自我に目覚めさせ、ラグの指示がなくとも状況判断をして主体的に動けるようにすればかなり違ってくるし、戦闘技術も覚えさせられる。
そうすればラグ一人で戦うよりも格段に楽になるはずだ。
結局、最終目的は変わらない。
ラグとスルトが強くなって、より強力な魔物を従魔にする。
これしかないのだ。
さらに具体的な方法へ思考を進めようとしたラグに、意外にも声がかけられた。
「ラグ・デオルフだな?」
声の方へ振り向くと見知った顔があった。
「確か君は、演習の時に同じ班だった……」
「ダンタール・ベンサムだ」
彼は先行したキオタ追う際、魔力の切れた後衛の女生徒を外へと送り届けると言って別れた少年だ。
考えてみれば、ダンタールたち同じ班だった生徒は他の生徒たちに思われているようなことはキオタの捏造であると知っているのだ。
だが、そうだとしても今ラグに近づくのは危険がある。
「あまり僕に話しかけない方がいい。 周りに勘ぐられでもしたら、君まで標的になってしまうかもしれない」
「勘違いするな。俺はケレル先生に頼まれてお前を探しに来ただけだ。用があるそうだから教員室に行け」
声を潜めて話しかけるラグに対し、ダンタールはことさら強調するかのように大きな声で言った。
周囲の生徒にラグと仲がいいと思われたくないのだろう。
それは当然の対応だ。
了解の旨を伝え、立ち上がったラグだったが、すれ違いざまにダンタールがほとんど口を動かさずに耳打ちしてきた。
「(終わったら教員練の屋上に来てくれ)」
聞き取れるギリギリの大きさで聞こえた言葉にほんのわずかに頷き、ラグは何事もなかったかのように教員室に向かった。
「やあ、ラグ君。わざわざ呼び出してすまなかったね」
教員室に入るとすぐにケレルが声をかけてきた。
あわただしくラグのそばまで駆けてくる。
「いえ、大丈夫です。なにかご用ですか?」
「うん。この前の召喚術式の調査の時に言ったと思うんだけど、召喚に関する不備の補填についてだよ」
「なにかしていただけるんですか?」
その言葉に思わず身を乗り出すラグ。
今のラグにとっては渡りに船であった。
「調査の結果、儀式の規模に見合わない魔物を召喚してしまった原因と言えるような明確な不備は見つからなくてね。申し訳ないんだけど、再召喚は許可が降りなかったよ」
「そうですか……」
「ごめんね。ただ、別の形での補填は取り付けてきたよ。ラグ君は、スルトの自我を目覚めさせようとしているんだよね?」
「あ、はい。そうです」
そういえば、スルトがスケルトンではないのではないかという淡い希望を抱いた時に、ケレルに聞きに行ったのだった。
もちろんその希望は打ち砕かれたわけだが。
「でも、ラグ君の魔力だけじゃいつになるかわからないだろう?」
「それは、まあ……正直そうですね」
確かに、日々ラグが与えている魔力では自我の覚醒がいつになるかわからないのは事実だ。
「だから、それの手助けをしようと思ってね」
「そんなことができるんですか!?」
基本的に従魔に魔力を与えるのは主人であるラグしかできない。
これは従魔と召喚士の契約によるものだ。
だからこそラグはいまだスルトの自我を目覚めさせられずにいるのだが。
「ま、ちょっとした裏技だね。ラグ君の許容量が多いのを利用するんだ。実際にやってみせたほうが早いし、とりあえずやってみよう」
ケレルに促され椅子に座るラグ。
ケレルはその頭に手を置き、体の力を抜くように促す。
「これからラグ君の中に入って魔術回路と供給路をいじるけど、あまり抵抗しないでね」
そういうと、ケレルの体から魔力が立ちのぼった。
そのまま呪文の詠唱を開始する。
「【――――、――――――】」
「(高速詠唱……!)」
ケレルの口から漏れる甲高い音に、ラグは目を見開く。
通常の魔法は起動呪文さえ唱えれば効果が発現するが、より上位の魔法になるにつれて術式が複雑になり、起動呪文だけでは発現が難しくなる。
そのために起動呪文以外にも術式詠唱を付け加えるのだが、上位の攻撃魔法ともなれば詠唱に数分を要する。
日常生活ではまだしも戦いの場ではその隙は命取りだ。
その隙をなくすために考案されたのが、魔力により詠唱を短縮する圧縮言語及び高速詠唱。
これにより呪文の詠唱の隙を格段に少なくできる。
熟練の魔法使いともなれば詠唱に数十分かかる魔法を起動呪文のみで発動させることができるという。
詠唱を必要とする魔法など使えないラグは高速詠唱を見るのははじめてであった。
「(ケレル先生もすごい人なんだよなぁ…)」
そんなことを思っていたら頭の奥に猛烈な違和感を感じた。
もとからあるものを押し退けて何かが割り込んでくる感覚。
それを言われた通りに耐えていると、今度は供給路が急激に拡がっていくのを感じた。
ラグが拡げた大きさの二倍、三倍と加速度的に拡がっていく。
もはやトンネルと言ってもいいくらいにまて拡がりようやく止まる。
同時に、頭の奥の違和感もおさまっていった。
「はい、終わり。どうだいラグ君」
「めちゃくちゃ供給路拡がりましたね。僕こんなに魔力もってないですよ?」
「大丈夫大丈夫。それはこちらから流す分の経路だからね。今、具体的になにをやったかっていうと……」
ケレルからの説明をまとめるとこういうことだ。
一般にはあまり知られていないが、学園には敷地を覆う結界や各種施設を維持するために魔力の貯蓄装置がある。
その余剰分の魔力をラグを通してスルトに与えるのが今回の補填の内容だった。
そのために貯蓄装置から送られる膨大な魔力を流すために供給路を拡張し、ラグのほとんど使われていないであろう許容量の領域を使って流れてくる魔力をラグの魔力に変換するための術式を組んだのだ。
「そんなことが……できるなんて……」
「なに、このくらいなら朝飯前さ」
「僕がパイプの拡張した時は何時間もかかったのに……」
しかも今の拡張に比べれば微々たるものだ。
その何倍もの複雑な工程を魔力を変換するための術式を含め、ものの数分で成し遂げてしまうなど尋常な腕前ではない。
ケレルはラグが思っていたよりも、はるかに優秀な魔法使いのようだった。
「予想以上にラグ君の許容量が少なくて少々手間取ったけどね。入学時の身体検査の数値を見ると従魔の分を差し引いてももっとあると思ってたんだけど、僕が思ってたよりもかなり少なかったから」
「それは……すみません」
「いやいや。既に従魔を一体従えていてあの多さなら充分すごいさ」
思わず謝ってしまうラグに才能があると褒める
ケレル。
だがあの離れ業をみせられたあとではとてもそうは思えなかった。
「ああ、それと一つ注意点。今回のは許容量を使っちゃってるから将来従魔を増やした時に術式が邪魔になってくることがあるんだ。ラグ君ほどの多さなら当分は大丈夫だと思うけど、もし何か感じたら言ってくれればすぐ解除するからね。その段階になったらもう支援は必要ないと思うし」
「はい、わかりました。ありがとうございます。本当に助かりました」
「もとはといえばこちらの不手際が原因なんだからこのくらい当たり前さ。じゃあ、もうしばらくしたら供給が始まると思うから承知しておいてね」
ケレルに礼を言い、教員室を退出する。
そのままダンタールに言われた屋上に向かいながら、ラグは失望を隠せなかった。
再召喚が難しいのはわかっていたが、期待していなかったといえば嘘になる。
もう一度召喚することができれば現在の状況をすぐにでも打開できるのだから。
「(いや、終わってしまったことを言ってもしょうがない。うん、前向きに前向きに)」
せっかく魔力の供給の支援をしてもらえたのだ。
これで遠からずスルトは自我に目覚めるだろうし、もしかしたら存在昇華も起こせるかもしれない。
そうして自分を納得させながらラグは屋上の扉を開いた。
「来てくれたか」
先に来ていたダンタールが僅かに安堵の表情を見せる。
「そりゃ来るさ。わざわざ危険をおかしてまで呼び出してくれたんだから」
「いや、俺はお前を庇わなければならない立場なのにそうしていない。そんな奴の呼び出しに応じなくてもおかしくはない」
「そんなことはないよ。君にだって家を守る責務があるんだから。ヘールバズ家を敵にまわしてまで僕を庇う必要なんてあるはずはない」
「そう言ってくれるか。本当は俺だけじゃなくもう一人の……確かリディアーナと言ったか。彼女もお前を気にかけていた。俺たちは真っ先に森から逃げてきたキオタを見ているから。だが、彼女はヘールバズ家の傘下にいる家の出だ。万が一、目をつけられでもしたら、下手をすれば家そのものを潰されてしまうかもしれない。だから周りと一緒になってお前を貶めることを言わざるをえないんだ。彼女から、それをお前に謝っておいてほしいと頼まれた」
「そうか……彼女も……」
実はラグは何度か彼女が他の生徒と一緒にラグの陰口を叩くのを目撃していた。
密かに憤ってもいたのだが、ダンタールの言葉でそれも消えた。
「ありがとう。その気持ちだけで充分だと彼女に伝えておいて。僕は気にしないからと」
「……信じてくれるのか」
「もちろんだよ。君がわざわざこうして来てくれたのがなによりの証拠だ」
実際、今まで授業などでペアを組まなければならなかった時など、だいたい彼女が組んでくれたのだ。
そのときの言動から無理矢理やらされて嫌々組んでくれたのかと思っていたが、そうではないことがようやくわかった。
「……すまない……」
「謝らないでよ。僕に味方してくれる人がいるとわかっただけでずいぶんと気が楽になった」
申し訳なさそうに頭を下げるダンタールに笑いかける。
少なくともラグが無実だとわかってくれている人がいる。
それだけで鬱屈とした気持ちが幾分か晴れていく心地だった。
「このためだけに危険なことさせちゃってごめんね。僕はもう大丈夫だから見つからないうちに戻ったほうがいいよ」
「ああ、もちろんこれもとても大切なことなんだが。実はもうひとつ用事があってな」
「もうひとつ用事?」
思い当たる節がないラグは首をかしげる。
すると、後ろから聞いたことのない声が聞こえた。
「どうやら終わったみたいだね。ずいぶんと待たせてくれるじゃないか。待ちくたびれちゃったよ」
振り替えるラグの目の前には一目で鍛えているとわかる引き締まった肉体を持つ美女。
「あたしはエルフィナ。よろしく頼むよ、騎士サマ」
燃えるような赤い長髪をかきあげ、エルフィナと名乗る美女は不敵に笑うのだった。




