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どうやら勇者やってた異世界に転生したらしい  作者: おばあさん
第一章『子供でいられるのは一瞬』
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Ep.4 勇者の力と魔物の脅威

※ほんの少しだけグロあり。

(追記:ご指摘にありましたので、誤字の訂正を行いました)

 砦の騎士達と目一杯遊んだ帰り道。今、俺は前と後ろをキョロキョロしながら進んでいる。前方、後方。ともに人が居ないのを確認すると、俺は灯篭の間を抜けて森に足を踏み入れた。

 俺の手にある魔感球は沈黙している。既に灯篭の効果範囲は出て完全に森の中を歩いているが、鳴り出す気配は一向にない。

 この種を明かせば簡単である。スイッチを切っただけだ。とは言ってもただの子供ができる芸当ではない。スイッチのオンオフには魔法陣の知識が必要だからだ。逆に言えばそれさえあれば子供でもなんとかできる。勇者の俺なら赤子の手を捻るより簡単だ。

 だがもしも、このスイッチに使われている魔法陣が千年前にない物だったら俺もできたか分からない。たとえ勇者といえど知らなければ"想像すらできない"のだから。


 まあまあそこは置いておいて。そうまでして俺がこの森に入った理由について説明しようと思う。一言で済ませてみる。

 暴れたかった。

 ……なんかそれだけだと戦闘狂みたいで嫌だからもう少し付け加えると、平和は好きだけど平和ボケは嫌いだからだ。気が抜けるのが嫌なのだ。

 俺は勇者時代、そのせいで何度も手痛い失態を犯した。取り返しのつかないことにだってなった。日本に戻った後だってそんなことがまあ、ちらほらとあった。

 だから気を抜きたくない。抜くのも大事ではあるけど、抜きすぎたくない。抜けていてもすぐに気を張りなおせるようにしておきたい。世界最強とはいえ、寝首を寸断されれば危ういのだ(掻くのではなく、寸断であるあたりは勇者仕様だ)。それに、今の俺は世界で五指にも万が一にも入れないだろう。ベストテンでも無理だ。そのくらいには弱い。

 気を張る練習など、そう言った精神的なブランクを取り戻すには今ぐらいが丁度いい。


「――――」


 息を殺す。すると、俺の気配が消える。そうすれば、他の気配が出てくる。一、二、三―――七まで数えて打ち止め。方向はバラバラ。俺には気づいていない。

 やろうと思えば全員暗殺できるけど、今回は見送る。とりあえず、一番近いやつから切り伏せる。

 そう思うや否や、疾風のように駆け出す。その手には、氷で出来た剣。――この所作の流れで、音が出たところは一つもない。


 四足歩行の犬みたいな異形が視界に入る。

 振りかぶる。

 間合いに入る。そこで異形は俺に気づく。

 振り下ろす。


 声を上げようと開かれた口から音は漏れず、鳴ったのは俺が空気を切る音と、異形の首を斬る音だけ。遅ればせ出てくるのは青い血潮の吹き出す音。辺りに漂う独特な臭い。


「……遅いな」


 口から零れた評価は、俺自身に対するもの。身体的な問題で振り向かれるまでは仕方がなかったとはいえ、口まで開けさせてしまったのは鈍っていたからとしか言えない。

 この森に入って、いや、転生して?それも違うな。……まともに剣を振ったのは勇者やめて以来か。この前までは森でもずっと魔法使ってた。


 背中をがら空きにして思考していた。そうすると、隙ありと言わんばかりに吠えながら異形の二体目が俺に飛び掛かる。

 その爪が届く前に、二本の氷柱が斜め下から交差するように異形の胴を貫いた。空中で縫い付けられた異形は動けない。

 それでもなお吠え続けるそいつの頭も、氷柱を落として刺し貫いた。

 汚い青が、氷柱を伝い落ちる。


 んー、と不満を乗せて唸りながら、俺は右から近づいてくる気配に意識を向ける。同時に逆側からも遅れて近づいてくる気配があるのに気づく。時間差の挟み撃ちだろうか。気配が割れてなかったら不意打ちとしてはいいけれど、バレてたら下策だよなあ。まあ、魔物に策を弄する脳みそなんてないから、それを考えるだけ無駄なのだけど。


  飛び出してくる猿みたいな異形その三。右に持った剣を構えて、間合いに入ると同時に斬り上げる。どう見ても雑な切り口を、瞬時に氷で切り口を覆って血が噴き出るのを抑える。

 遅れて飛び掛かってくる猿型その四。上げられた剣をそのままに、足と体の捻りを使って勢いを生み、振り向きざまに斬り捨てる。それもすぐに凍らせる。


 さて、残りの三体は?


 グアッと、三方向から飛び出てきたのは五、六、七。

 口をおっぴろげて食らいつかんとする三体には、流石に全て切り伏せるのはできそうにないので、三体まとめて"光線"をその口にブチ込んでやった。

 そいつらは、何も言えずに撃ち抜かれて、すぐさま灰となり、青紫に暗く輝く石を落とした。


 周囲に気配はなくなった。放っておいた死体も全て灰になって同じ石を落としている。


 今の異形というのが、魔物である。ベースは大体が動物や植物なのだが、その大半がすごい生理的に無理な姿をしている。噴き出る血は共通して青色。しばらくすると灰となり、青紫に輝く"魔晶"を落とす。――人類の、いや、世界の脅威である。

 この世界では普通の人でも体の強化や攻撃のための魔法は扱える。油断せずいけば熊なら二人がかりで無傷で狩れる。だが魔物相手だと十人かかっても犠牲は必至だ。逆に魔物が十体ほど集まって村なんかを襲ったらそこは壊滅だろう。俺は七体を軽く倒してしまったけど。

 ついでに。今、俺が斬ったヤツらには特定の名前がない。こいつらは"ありふれた雑魚"だからだ。魔物に対する固有名詞は、とりわけ強い個体や珍しい個体に対して付けられる。そういう魔物はグロさが控えめであることが多い。

 要するに、この世界はやっぱり危険なのである。そして、残酷でもある。


 ……周囲に新たな気配が増えたのを確認する。臭いを嗅ぎつけたようだ。魔物の血液の臭いが魔物には強く感じ取れる特異臭を持っているせいだ。

 ここで忘れないうちに俺は光線で落ちている七つの魔晶を打ち砕いて霧散させる。この魔晶、使い道はあるけど子供の俺が持っているのは怪しすぎるので証拠隠滅に消すしかない。


 上の方から視線を感じる。よく聞けば、何かが木の上を飛び移る音がそこかしこで聞こえる。どうやら猿の魔物の集団に囲まれたらしい。剣で相手取ることもできるが、返り血を浴びることを免れないのでここはまた魔法で殲滅することにする。


「凍ってろ猿」


 呟いた直後、ゴトゴトと辺りの木の上から落ちてくるのは"氷に包まれた猿"。地に落ちたところで、一つ一つに光線をぶっ放して消滅させる。感覚と体のどちらも鈍ってしまった剣技とは違い、魔法の方はイメージ通りに行くな。


 ――先ほどから氷で剣作ったり氷柱出したりなど、俺は魔法を全て声に出さずに行っている。言わば無詠唱である。

 この世界の人間は魔法はなんであれ声に出してソレを唱えてやらないと発動できない。それは絶対で覆すのは不可能だ。

 けれど勇者である俺はその制限下にない。ほぼ"イメージだけ"で魔法を発動できる。例外があるとすればあまり強い個体を直接凍らせたりできないとか、イメージしづらいものは発動に失敗するとか、あまりに無茶苦茶だと発動しづらいとか、そのぐらいである。

 だから俺は詠唱で"氷"の魔法を使ったことがなかった。俺が先駆者であるから、そもそも氷属性がその当時なかったのもあるが。というか、俺の使っていた氷魔法はまた別の魔法の副次効果でたまたまできたようなものであったから、氷属性が後世でできていて使われていること自体にビックリである。

 ……とまあそういうわけだから、俺はアロンソからわざわざ氷の魔法を習っているのだ。ちなみに光の魔法は詠唱自体は知っているが、教わったことに出来ないので人前で使えない。


「……ふう」


 一息ついて奥の方を眺める。奥の方は魔物の強さも数も上がる。と言ってもまだ名無しだが。

 少々厳しいが剣だけで切り抜けよう。切り口を凍らせるのと魔晶を壊すときはノーカンとして。


 時間は十分。目標は五十体。剣は作り替えた。良好。強化の魔法のギアを上げた。馴染んできてる。支障なし。――よし。


「行こうか」


 踏みしめた土を蹴散らして、銀影を残して駆けだした。






 ――――王国・エルデヴァロン西部辺境、隣国・ジャイナとの国境付近にて。

 七つの荷馬車からなる中規模の商隊がジャイナからエルデヴァロンに行商に赴こうとしていたその最中、魔物の群れに襲われた。




「緊急!Dクラスの魔物の集団の気配あり!商隊一時停止!護衛の冒険者は戦闘の準備だ!!」

 

 物々しい鎧を着た冒険者と呼ばれた男たちが、そろぞれ武器を構えて交戦の準備をする。


「斥候から報告だ!集団の規模がデカい!かなりの速度で接近してる!命が惜しけりゃ荷物を捨てろォ!」


 薄汚れてはいるが、傷の見当たらない鎧を着た大男が一番後ろから怒鳴る。声色に余裕は一切ない。最悪の事態を察した商人たちが急いで荷車の荷物を捨てて全力の逃走の準備をしだす。その行為は迅速であり模範的と言えるほどであった。けれど不幸なことに、魔物はそれ以上に早かった。


「来るぞォォォォ!!!」


 軽装備の斥候が叫んだ直後、中央の馬車に一気に十体の魔物が押し寄せた。


「うわあああああああああああ」


 目を背けたくなる異形に、異形の攻撃に反応できずに腹を噛み千切られた若い男を、目の当たりにした御者の男が叫んだ。


「三・四隊!今――」


「ダメだ、こっちにも――!」


 援護に回ろうと大男が前へ駈け出そうとして、更に魔物の攻勢は増す。前に五体、後ろに六体。完全に囲まれた。


 そこからは、阿鼻叫喚の始まりであった。


「があああああああああ」


「ぎゃああああああああ」


 冒険者と呼ばれた者たちは魔物を相手に応戦するが、ある者は首を掻かれ、またある者は頭を潰されて殺される。商人はやるべきことを忘れて荷車に籠ってその地獄を目の当たりにする。勇気ある商人はなお荷車の荷物を出そうとするが、冒険者の防衛を掻い潜った魔物に腹を貫かれて殺された。

 しまったと、声を上げる暇は冒険者にはない。その代わりに、魔物に覗かれた商人が叫んだ。


「わああああああ――ガフッ」


 一瞬後には食いちぎられて、荷車の中は赤く染まった。


「六が抜かれ――」


「一、二、三番で籠ってる商人は荷物を全力で掻きだせ!それ以下の馬車を捨てる!四以下の隊は籠ってる護衛対象を引きずり出して三以上の荷車まで全力で守れ!乗せたら馬走らせろ!殿しんがりは俺らだ!」


 誰かの報告を聞く前に、大男は指示を出した。無茶苦茶な逃走の指示である。けれども魔物を退ける戦力を持ち合わせていない彼らにはこれ以外に方法はなかった。死闘の最中、蹲る商人を引っ張り出して前へ走る。途中、庇って死ぬ冒険者、庇いきれずに死ぬ商人が出た。

 荷車の生存者は全て移った。その時点で冒険者は半分以下に、商人は三分の二まで減っていた。


「走らせろォ!」


 馬を扱える冒険者たちが馬を走らせる。斥候や、比較的に軽装備の冒険者が馬車に追従する。大男を含める重装備の者たちが、魔物の殆どを引き受けた。


「時間を稼げ!多く引き付けろ!」


「魔法行くぞ!≪ブレーゼ・マノ・ラージャ≫!!」


 大男の指示に従って、一人が風の魔法で辺り一帯に強風を吹かせた。足元に広がる魔法陣と呼びかけのおかげで冒険者たちは耐えきったが、魔物たちの殆ど――特に去る馬車に意識を向けていた魔物たち――は派手に転んだ。

 それだけだったが、完全に魔物のターゲットは殿の彼らに変わった。


「上出来だ」


 大男は笑う。引きつっていたがそれでも笑う。笑い事ではないが、笑っていないと気が保っていられなかった。それはその場にいた全員が同じであった。


 この場に残った冒険者の数、七名。

 彼らが相手取る魔物の数、凡そ四十体。


「行くぞオラアアアアアアアアアアア!!」


「うおおおおおおおおおおお!!」


 勝敗の分かり切った戦いが、始まった――。




 ――その一方。逃走している馬車の方にも、何体かの魔物が後ろから迫ってきていた。そして。


「返り血で寄ってきやがった!」


 側面の森からもまた新手が見えていた。これ以上新手を寄せ付けないために付いていた返り血を魔法で燃やす。それは後の憂いを断つためだけであって、現状を打破し得るものではない。


「追いつかれる!どうする!?」


「どうするもなにも走ってる四人でなんとかするしかねえ!」


 とは言えど、彼ら四人のうち三人は斥候。正面からの近接戦闘は得意としていない。残る一人は軽戦士であるが、彼は冒険者となってから――魔物と戦うようになってから日が浅い。


「後方三体!左方二体!後ろを牽制するから残る三人で――」


「待て、右方の敵は!?」


「右方いねえよ!」


「嘘だろ!?さっきは――」


「前だああああああ!!!」


 気づけど遅し。右側から襲いかかった魔物は馬と、乗っていた冒険者ごと吹き飛ばした。


「なっ……」


 衝撃に後ろの荷車はぐらぐらと揺れて倒れる。それに突っ込むわけにもいかず、やむなく隊の全体が止まってしまう。


「げ、迎撃の……」


 指示を出そうとするも、馬に乗っていた二人は早々に左の二体に食い破られた。自分を含めた残る四人は、後方から鬼気として――否、嬉々として迫る魔物を前にして立ち竦む。


(チクショウッ!)


 もはや声すら上がらない。四人と商人たちは、成す術もなく魔物に喰われる――。




 ―――はずだった。


 生き残った四人の冒険者は、幽かだが確かな銀のような煌めきを見た。


「え?」


 彼らは目を疑った。何に目を疑ったか。それは刹那の銀閃にではない。


 ――後方三体の魔物が両断されていたことに対してだ。


「なんで?」


 誰が口にしたかはわからない。誰がこんなことをしたのかもわからない。見れば、三人の冒険者を殺した魔物たちも両断されている。切り口は、血が噴き出ないよう氷で覆われている。

 急いで周囲の気配を探る。自分たち以外に気配はない。魔物も、そして人もである。

 どうしてかはわからない。何者かもわからない。ただ、一つ言えることがある。


「助かった……?」


 それが軽戦士の新人の口から出た。呆けたような彼に、隣にいた男が頭を叩く。


「馬鹿野郎まだだ!まだ町まで着いちゃいねえ!倒れた荷車から人を出したら、また町まで走るぞ!お前馬使ったことあるか?」


「こ、子供の頃に一度だけ」


「上等だ。引っ張り出してる時に死ぬ気で思い出しとけ!」


「は、はい!」


「もう一頭は俺が乗る。急ぐぞ!」


 彼らは早速倒れた荷車に入っていた商人たちを助け出す。

 九死に一生を得た彼らはやるべきことをしながらも、心のどこかであの銀光が今も戦っていると信じている彼らの助太刀になってくれればと、願っていた。




 魔物の数は五体減った。四十は三十五になった。

 しかし冒険者も二人減った。七は五になった。


「ぎゃあ!」


 そして四になり。


「ぐあああ!」


「うおおおお――グガッ」


 三となり、二となり。


「おらぁ!」


 三十四となったところで。


「後ろだ!」


「あ――」


 一となった。


 吹き飛ばされた冒険者は臓腑をまき散らしながら馬車に激突。荷車は派手に倒れて、中にあった死体が覗いた。

 とうとう最後の一人となった大男。もはや力も笑みも尽きた。――希望は潰えた。


(これまでか……)


 瞑目する。そうすると自分の半生が走馬灯のように流れていく。まさか自身がこんな羽目になるとは、大男は夢にも思わなかった。

 もう抗うこともせず、喰われてしまおうかと思っていた。


「お・・か・・・・・さ……?」


「――!?」


 先ほど吹き飛ばされた味方に巻き込まれて倒れた馬車の方から、少女の声が聞こえた。目を見開く。するとどうだろう。覗いていた死体の下から。小さな腕がそろりと出てきて、這いだそうとしているではないか。その度に死体が蠢くからか、魔物の一体がその死体を咥えて投げやってしまった。


「え……?あ、ああああ!?」


 魔物の衆目に曝された少女は正しく、自分の護衛の対象の一人だ。彼女はあまり荷車の中から出てこず、あまり印象が薄かった。そのせいで大男の頭から忘れ去られていた。

 もう一つ、逃走車に人を押し込んでいる最中に、誰もその少女について言及しなかったのもある。恐らく少女は、両親に匿われて運よく生き延びていたのだろう。そのせいで誰もかれもが彼女を忘れ去っていた。

 だが、それでも。


(俺の落ち度だ!!)


 依頼を受けて対象者を忘れ、そして死地に置き去りにするなど失態以外の何物でもない。ならばこの身を賭してでも守らなければならない。そんな冒険者として矜持が、彼に再び戦う力を与えた。


「ぅ、ぉお、おおおおお!!!」


 少女を喰らわんとしていた魔物を、後ろから力任せに切った。剣は魔物の胴に半分ほど食い込んで、半ばで折れた。


「そこをどけえええ!!!」


 悪態を吐きながら剣を放り棄てて、それでも少女に喰らいつこうとする魔物をその腕で薙ぎ払う。火事場の馬鹿力がなせた業か、魔物は吹き飛ばされて二、三体を巻き込んで倒れた。

 しかし息つく間もなく、少女に、男に魔物は襲いかかる。


「きゃああああああ!」


「くそおおおおおお!」


 大男はその体で小さな少女に覆いかぶさる。どうか少女だけでも守れるようにと、この大きいだけの体が盾になれるようにとそう願いながら、来る死に備えて目を固く瞑る。




 痛みはやってこなかった。男は最初、それが死なんだと思った。

 続いて寒気がした。死んだら体が冷たくなるのだから、そうなのだろうと思った。

 けれど、自分の下から小さな声で「おきてください」と呼びかける少女の声には困惑した。


「死んで、ないですよね……?お願いですから、目を……」


「だ、だいじょうぶだ」


 小さな手で優しく揺すられる感覚と、自分の喉から声が出てくる感覚に、男は自分がまだ生きているのだと悟った。


(魔物は………?)


 男がそう不思議に思って顔を上げる。


 そこには体全体を氷漬けにされた魔物がいた。その姿勢から、男に喰らいつく寸前で凍らされて止まったのだと分かる。間一髪であった。

 そして次に、自分たちは氷の壁に覆われていることが分かった。


「これは……?」


 疑問が口に出た束の間、氷の壁は砕けて散った。破片がキラキラと陽光を反射しながら落ちていく。

 その先には、それとは真逆に暗く光る魔晶がそこかしこに落ちていた。それはさっきまでそこにいた大量の魔物が、全て倒された証であった。


(なんて、こった……!)


 あの数の魔物が全て屠られた。信じ難い出来事だった。けれど、自分たちはこうして生きていて、証拠はいたるところにある。疑いようがない。


「助かったんですか?」


「どうやら、そうみたいだ」


 匿っていた少女を離して立ち上がる。いつまでもここにいられない。四十いた魔物の集団はいなくなっても、森にはまだまだ魔物が潜んでいる。いつ嗅ぎ付けてくるとも分からない。

 男は重たい鎧を脱ぎ捨ててインナー一枚になると少女の前に屈む。


「乗ってくれ。バルダンまで走る。アンタだけでも送り届けてみせる」


「……ありがとうございます」


 お礼を言いながら、遠慮がちに背に乗る少女に男は首を振る。


「やめてくれ。それはせめて、アンタが無事に着いてからにしてほしい。俺はアンタの親を救えなかったし、魔物を倒せたわけでもない」


「いいえ。少なくとも一度、貴方は私を助けてくれました。だから――」


「黙ってな。舌を噛むぞ」


 それでも尚、感謝を伝えようとする少女に男はこそばゆい気持ちになる。乱暴にそれを遮って、徐に駆けけ出す。強化の魔法がかけられ、重い鎧を外した男の速さは馬のそれと同じであった。


「……では、後で絶対に」


 少女もそれ以上は言わず、回した手にしっかりと力を込めた。






 行った?もう行った?大丈夫だよね?


「うへえ~」


 気の抜けた声を出しながら、木を背もたれにして座り込む。茂みを少しかき分けてみれば、そこには惨々たる光景が広がっている。

 ほとんどが体の一部を失っている人間の死体。横たわる馬。壊された馬車。夥しい血の量。――全て魔物によるものだ。戦える者が十人以上集まっていても、商隊程度なら壊滅し得る力を持っている。俺が途中で魔物が街道に流れていくのに気づかなかったら、もしくは気づくのに遅れていたら彼らは全滅していただろう。

 逆を言えば、もしも俺が早く気づけていたらより多くの人を救えただろう。俺にならできた。そしてできるなら、救いたかった。


 どうするべきなんだ俺は。勇者の力を魂を、備えてしまった子供の俺は。そこそこに隠し通してそこそこに人を救うだけでいいのか。全てをさらけ出して世界を奔走して救済の手を差し伸べる勇者に舞い戻るのか。どちらも嫌だと思う。ジレンマだ。

 日本にいた頃は力なんてなくてそんなこと考えなかった。そしてただ両親や妻子が無事であればそれでよかった。しかしこの世界の俺は最強である。無力な人を守る力が俺にはある。そして否が応にも頼ってもらう職業に置かれていたゆえに、心に巣食う強迫観念。


「かえろ」


 ああ嫌になる。鬱になる。考えるな。まだ時間はある。まだ誰も知らない。俺が柳生 誠だと誰も知らない。ならばいいじゃないか。今は、今はオルトでいい。騎士隊長の父・アルバートと元宮廷魔法士の母・メリーとの間に生まれた長男、オルト・シュヴァイツァ。将来有望なだけの五歳児だ。俺以外の他者にとっては、それ以外の何者でもない。


 今日は両親に思いきり甘えよう。明日と明後日は二人と遊ぼう。三日後は三人でアロンソのところに行こう。それから、それから――そうやって子供としてしばらくは過ごそう。


 手にした氷の剣を砕いて来た道を戻っていく。


 今日は久々に、嫌な昔の夢を見てしまいそうだった。

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