●ナイショ●
●ナイショ●
千里はとにかく変わった子供だった。(良く言えば)個性的だった。良い意味で解釈する者もいたし、それは如何なものかと眉をひそめる人間もいた。様々な意見が出て、千里は愛されながらも怪訝な目で見られる不憫な子供だったのである。
前者で取ったのは祖父だけだった。お腹を痛めた母親より、嬉しそうに名前を考え、歓喜した父親よりも、彼は千里を溺愛した。だから千里の心がすさむことは無かった。
──妖精さんがいるの。
ことの始まりは、耳に入るコトバを、意味も解らず口にし出してしばらくしたある日のこと。千里はそんなことを言った。
妖精なんてコトバ、誰が教えたのだろう? 家族やいとこ、隣のおばさんまで、不思議がった。まだ教育上良くないだろうということで、テレビを見せることもしなかった。妖精が出てくる、ファンタジーな絵本も読み聞かせてはいない。ならば、どうして、千里は妖精だなんて口にしたのだろう? 母親は唸った。父親も頭を抱えた。隣のおばさんは飽きたのかさっさと帰ってせんべいをかじっていた。
「どこにいるんだい?」
そう問いかけたのは祖父だった。しわだらけの顔を孫に近づけ、目尻を緩めて千里の頭を撫でる。千里は静かに口を開いて、もう行ってしまった、ずっと向こうへ飛んでいってしまった、と宙を見つめながらぼやいた。
「……そうかい。良かったねえ、千里。きっと、妖精さんに会えたのは、千里が良い子だからだよ」
ぽかん、と周囲が呆気に取られ、このじいさんの血が隔世遺伝したのではないかと囁きあっていたが、お構い無しに二人は笑い合った。
「わたし、みた。ちょうちょの、はねに、のって、ようせいさん、こんにちは、ってわらった。すっごく、かわいかった」
あまりの興奮からか文節で切って話すわが子の扱いに困りながらも、両親はその内容に注目した。
どうやら、窓から入ってきたモンシロチョウの背中に、透明な羽を生やした、小さな小さな妖精がまたがっていたらしい。そこで、千里が声をかけると、妖精は、手にしていた魔法のステッキらしき物(おそらくマッチ棒くらいの大きさ)を振り、
『ぽんぽこぴんの、ぱらぱらぽん』
と、怪しげな呪文(だと思いたいが)を唱えた後、千里に向かって、
『いい子にしていれば、また会えるわ』
そう言って笑ったという。呪文は理解できない上に、なんのために呪文を唱えたのかもさっぱり意味が分からなかった。というより、そもそも想像出来ない話だ。まして、妖精なんてものは人間が創り出した、架空の存在。実際にチョウの背に乗りやって来るはずがない。しかし、わずか四歳の子供にそんな現実を突きつける訳にもいかず、みな、黙って祖父にその場を任せることにした。
「千里、なにか魔法をかけられたかい?」
引きつった笑みを浮かべて、父親は千里を抱き上げる。冷や汗が頬を伝うのを誰もが見守った。──っていうか、四歳児の可愛い想像くらい受け止めてやったらどうなんだ、親父。
そんな周囲の心配も知らずに、きょとんとした顔で、彼女は言ってのけた。
「ナイショッ」
──この日から、千里のめくるめく浪漫溢れる日々は始まったのである。