一回目の夏
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彼女と初めて出会ったのは3年前の夏。丁度今日位暑かった日だろう。僕が、彼女の隣の部屋に引っ越してきたのが第一のきっかけだった。
引っ越した日の夜、外に出ようと玄関を開けたら黒くて小さな影が通り過ぎていった。よくよく見るとそれは少女だった。隣の部屋の方へと走っていったから隣人の娘かと思い、僕は挨拶をした。
『はじめまして。これから隣に住むこととなりました、××と申します。迷惑かけてしまうかもしれませんがよろしくお願いします』
はじ……と僕が言った辺りで彼女は扉を閉めて、残りは僕の一人言となっていた。結構長くてキツい。
彼女が隣の部屋の住人ということは分かったのだが、ボロアパートなだけに彼女じゃない方の隣人の生活音は全て聞こえるのに対し、彼女の音は一切しなかった。
住んでいるのか不思議に思ったが時折、咳き込む声が聞こえて住んでいることを確認した。
ある時、彼女の咳が激しく聞こえてきた。きっと吐いているんだろう。『ゲプォ、グプッ……』と水のような声が聞こえてきたから。
その音は今まで音が聞こえなかった分、大きく聞こえた。暫く音がしなくなってから微かに『助けて……』と彼女の声が聞こえた気がした。
気がしただけなんだけど、聞こえた瞬間、思いっきり壁を蹴りあげていた。彼女が心配になって玄関まで回ろうと思ったがそれだと手遅れになるような気がして……まあ、つまり僕は焦っていたのだ。
ぼこっと鈍い音を出して壁に穴が空いた。人一人通れそうな穴。そして、ぽっかりと空いた穴からゲロにまみれた彼女が見えた。(非力の僕の一回の蹴りで簡単に壊れるような壁だから、やっぱり薄かったと再確認した)
むわんと彼女の部屋の異臭が漂ってくる。こんな夏なのに彼女は窓を開けてないみたいだ。だから、熱中症を起こし吐いたのか?
取り合えず考えることよりも、身体を動かすことを先にすべきと判断して穴から彼女の部屋へと移動した。
同じアパートだから同じような部屋の作りだと思うのだが、彼女の部屋はごみ屋敷と化していてとても狭く感じた。
ごみ溜めの中から姫を救って一旦、全裸(下着は履かせてます。そこはマナーを守ってます)にして落ちてからタオルで彼女の全身を拭いた。特に顔全体を覆う程の長さの前髪に大量に付いた嘔吐物を丁寧に拭き取った。
(相手は一応女性だけど、きっと中学生くらいだから良いだろうと判断して全裸にしたのであって、決してそんな人様に言えない趣味があるわけではないのである)
拭いた彼女に僕の服を着させて、僕の部屋の布団へと寝かせた。正直、彼女のベットで寝るよりも僕のベットで寝る方が衛生的にも良いだろう。
彼女が寝ている間に彼女の部屋を片付けた。主に散乱しているのはゴミで、片付けられない人だと納得した。
無意味に落ちているだけの物は拾ってごみ袋に纏めて捨てた。すると、ごみ袋三つ位でようやく彼女の部屋は綺麗にとまではいかないが、住めるようになった。
あとはこの住みにくい空気を換気して、禍々しいオーラを放つ人形の生首とか大量の髪の毛をどうにかすれば良いと思うが、この部屋から見て彼女はそれらを捨てたりしないだろう。
けれど、不気味だし黒いビニール袋に入れて隠しておいた。
彼女の部屋を掃除し終わった後も寝ていた彼女は、翌日まで起きなかった。どうしても避けたかったが仕方がなく、彼女を自分の部屋に置いたまま会社に出勤した。
出勤してる途中に思った。
これって監禁になるのかな?まあ、自分の部屋に連れていっている訳だけど彼女の部屋はすぐ隣だし。警察に何か聞かれたら『監禁じゃありません。ただ介助していたんです』で通そう。彼女の部屋をみたら納得してくれるはずだ。……自信はないが。
仕事を終えて帰ってくると、布団の上に彼女が正座していた。ちょこーん。という効果音が似合いそうだった。
ゆっくり近づくと(←変な意味はなく)彼女はびくりと肩を震わせた。
『大丈夫。何も怖いことしないから、ね?』
話の最中に暑さで息が荒くなってしまい、優しい言葉が台無しになってしまったかと思ったが彼女の心には響いたようで、
『ありがと』
笑顔……と判断するべきなのか、口角を少し上げて猫の様な瞳を少し緩ませた。
そして、言うと同時に素早く走って、穴を通って彼女の部屋へと帰ってしまった。(大量な髪の隙間から見えた彼女の顔は誰かに似ていた様な気がしたが気のせいだろうか)
良くなって嬉しいのだが、少しご褒美を期待していた最低な下心をどうにかしたい。(あの時見た全裸をご褒美として考えておこう)
あの後、穴を隠すように彼女はポスターを張りつけたが下を止めるのを忘れているから僕が覗こうと思えば覗ける。
実際覗いたことはないが、子供らしいミスで思わず笑ってしまった。もしかして彼女は僕にいつでも覗いて良いようにこれを付けているのだろうか。まあ、ないだろうな。
ところで彼女は何故一人暮らしをしているのだろうか。彼女の部屋に入ったときに気づいたのだが、彼女の部屋にあるものは全て一人用で他の人が住んでいる気配はない。
見たところ彼女は成人はおろか、義務教育すら卒業していないように見える。しかし、学校に行っている姿を見たことはない。
何故なのだろう……と考えて彼女に干渉するのは危険な事だと察した。だから、彼女のことを考えるのは今日で最後にしようと思った、が。
また、ある日、僕が会社に出勤しようと部屋を出て階段を降りようとした時だった。
ーーどすっ
彼女が走ってきて、僕にぶつかった。彼女は異様に長い前髪があるから見えなくて当たってしまう仕方ないことかもしれないが、ぶつかるタイミングは最悪だった。
ーーガカガガガガガガ!!
一段階段を降りたばかりの所でぶつかり、僕はバランスを崩した。結果無様に頭から落ちた。彼女も一緒に落ちてきたが何とか無事に守りきることは出来たようだった。
しかし、頭を打ち付けたのだろう。ぐあんぐあんして、普通の思考回路が出来ない。大丈夫?とか聞きたくても呂律が回らないし口からは掠れた空気が漏れるだけ。
『壁があったら、ぶち当たるのが一番……ってことで当たったら成功した。やっぱりことわざって正しいのね』
そんなことをぶつぶつ呟いて人形の様に首を揺らす前によりも先に救急車を呼んでください。しかし、僕の切実な願いは叶えられる事はなかった。
彼女は結局救急車を呼ばずに階段を上って僕の部屋まで連れていって、ベットに寝かせてくれた。まあ、それには感謝する。
(少女が大人の男を一人で持ち上げて階段を上るのは無理があったようで、僕の膝を引きずったのだろう。青痣になっている)
そこで彼女が介抱してくれた。やはり、一人暮らしをしているだけあって家事全般をこなしてくれた……と言いたいところだがお世辞にもそんなことを言えない待遇を受けた。
ゲロマズイ物体を無理矢理口にねじこまれ(彼女曰くお粥だったそうな)体温計を脇に差すところを腕に差されたり(これまた痣になっている)頼んでもいない清拭をされたときには熱湯をぶっかけられた。
一応僕は病人という立場にいたはずなのだがそんなことは一切感じなかった。
家事って何?とでも言いたげな態度でよくこれまで生きてこれたと思う。(まあ、家事が出来なかったからゲロにまみれて死にかけていたんだろうけど)
正直、彼女の介抱を受けていたら治るものもいつまでも治らないから、彼女がトイレに行っている時とか寝ている間に、包帯を巻き直したり栄養の取れる料理を作り会社に電話をとり暫くの間休みを貰った。
そのおかげもあってか僕の怪我は三ヶ月で完治した。しかしこんな介抱でよく治ったな。やはり人体とは不思議だ。(ただの捻挫がここまで長引くとは僕も驚きだ)
治った事を彼女に伝えるとニヒルな笑顔(いつもよりも口角が上がっている)で『私が面倒看てあげたからこんなにも早く治ったんだよ?だから奴隷になりなさい』と言った。
彼女の力など一ミリも使った記憶はないが、彼女の頭の中では僕を介護してやったように変換しているようだ。まったく都合の良い頭だ。
でも僕はすぐに『分かりました』と微笑んでいた。
仕方がないじゃないか。強気なことを言った割に彼女の目は潤んでいるから彼女は必死にこの言葉を言ったのかもと考えた結果嬉しくなったってのもあるが、何よりも彼女のその言葉にトキめいてしまったのだから。
(少女に奴隷になりなさいと言われて喜ぶタチだったとは、新たな発見だ。そんな性癖いらないけど)
それから僕は彼女の奴隷となった。まあ、奴隷よりも何でも家政婦の方が正しい。部屋の掃除から彼女の世話まで全てをこなした。
(彼女の足の爪切りをしたときに頭を踏まれた。彼女の故意だったんだろうけど、最高に興奮した)
一人暮らし歴が長い僕だからこそ、完璧に家政婦を務められた。上出来すぎる程で誰かに誉めてもらいたい。
『奴隷なんだから部屋は同じで良いでしょ。それとも、奴隷だから姫とは一緒の部屋に居られない?』という彼女の提案から彼女の部屋と僕の部屋の隔たりであった壁を取り壊した。
(彼女の臭いを嗅げる所まで近づくことを許されるなんて……僕、感動です。ウソウソ)
ううん……このアパート出るときどうしよう。まあ、後のことは後で考えれば良いよね。後の祭りってことわざもあるくらいだし。(意味知らない)
家政婦(という名の奴隷)をしていて気がついたんだが彼女の部屋には少女が持つにはあまりにも高価すぎる物が置いてある。
本物の金、銀とか(初見だからちゃんとした判断はできないけど)大量の札束。少女が貰えるお小遣いの量にしては多すぎる。
どちらかと言うと政治家か財閥の娘のお小遣いと言ったところだ。まあ、彼女がどちらにも当てはまるとは思えない。
金持ちロリコン爺に貢いでもらったという線も有り得るな。彼女は整えれば無駄に綺麗な容姿を持っているから。
整えていれば、の話だけど。
普段の彼女は伸び放題の髪の毛を寝癖も取らずに放置している。しかも、その髪の毛は自分で切ろうと思ったのだろう。しかし面倒臭くなって途中でやめた結果、左右の長さが全く違う。
その髪の毛に隠れているのが大きな猫目と透明感溢れる白い肌。外に出てないなら焼けないのは当たり前なんだろうけど、この子が大人になったら二秒で惚れる自信がある。
それだけ、彼女は可愛い。(何度も言うようだが整えていれば、の話だけど)
『髪、切ろうか』
『やっ』と首をぷるぷる降る姿はまさしく小動物だ。僕を奴隷にすると言った勝ち気な彼女と一変してこれまた良い。
ところでどうして彼女は僕のドストライクな行動ばかりとるんだろう。最高に魅力的な女性だ。ただ残念なのは彼女が少女だってこと。手を出したら一発アウトな年齢だ。
僕には少女愛好なんて趣味はないし、今後ハマる気もない。なのになぁ。彼女は可愛いし、無駄に誘ってくるしもしかしたら危ない道に進むかもしれない。
まあ、でも彼女だったら力づくで押し倒しても『奴隷が何するの?』とか冷やかな目で睨んで僕を一蹴するんだろう。あれ、それでも最高じゃないか。
うわあ。自分キモい。……本題に戻ろう。
その後、嫌がる彼女を上手く騙して髪を切った。長い前髪をある程度彼女の顔が出る位まで、腰まで伸びる髪を肩の下まで、だ。勿論鏡を見た瞬間の彼女は驚いていた。
(彼女の部屋には鏡という物が無いので、僕の部屋から持ってきた)
『……切りすぎ』言うと同時に、横腹にパンチが入った。彼女は非力だから蚊に刺されるよりも痛くなかった。(本気で)
彼女にとってはお怒りモードを表しているんだろうけど、僕にはご褒美を与えてくれた女神の微笑みにしか受けとることは出来なかった。
切ってみて改めて思ったけど彼女の容姿は、そこんじょそこらの女子児童と比べて一目瞭然と言って良いほど整っていた。
やっぱり切らなかった方が良かったかも、と今更ながら後悔。彼女のこの顔を毎日見ていたら、手を出さないという自信が全くない。
(彼女には悪いけど、僕も一応人間なんでそういう人間的な感情を持ってしまうんです)
いや、現在の状況では手を出さないからね?そこまで盛っている訳じゃないし、危ない男じゃないから。
*
暑くて暑くて仕方がない日、彼女に言ってみた。
『夏だね』
『だから?』冷たい視線が返ってきた。
柄にもなく季節について触れてみたけど、外に出ない彼女には関係なかったようだ。