高校生①
本音を話した卒業式の翌日。高校受験の合格発表がされた。高校の前に紙が張り出されて合否が分かるという簡単なシステムで、僕も合否を調べるために高校の前にいた。
張り出された直後、僕と同世代の人間が歓喜の叫びや嘆き悔しがる声など、さまざまな音で溢れたが僕は一言も話さず番号を確認してから小さく拳を握りしめた。
僕の番号はあった。合格した。けど、そんなことは受験する前から分かりきっていたことだから特に嬉しくもなくそのまま家に帰った記憶がある。
その高校の前に彼はいなかったから、きっと彼は別の高校なんだろうなぁ、とボンヤリ考えてからもう僕は彼依存症になってしまったと悟る。
そんな特に幸せの感じない高校生活は始まった。
勝手に分けられたクラスメートの顔ぶれに見知ったものはなく、僕が異常者という認識を持った奴等はいない。ゼロから始められる。
今まで何度も望んできた、彼以外の友達を作りたいという欲望。もう叶えられる状況にあるというのに、彼がいなくなってもまだ彼の残像に囚われていた。
全く。彼と一年でも年が違ったり、隣の席にならなければこんな変なことで悩まされることはなかったのかもしれないんだろうな。
けどね。もし、彼と出会わないという人生があったとしても僕は今の人生を選ぶんだろう。それ位彼は僕の短い人生に影響を与えていた。
良い意味でも。悪い意味でも。
初めて僕からクラスメートの一人に話しかけることが出来たのは入学してから3日経った昼休みのことだった。
『一緒に、ご飯食べても良い?』
中学までは給食だったのだが、高校に入ると弁当持参制度となり今まで義務的だった食事風景も一変した。仲のイイ人が固まって食事を共にする。そんな風になっていた。
僕が中学の時は勿論、彼の隣で昼御飯をとっていた。時折雑談を交わしながら食べる食事風景が好きだった。
だから、あまり仲のイイとは言えないけど僕と似た系統の人種に話しかけてみたのだ。彼との関係とは言わないが(鷹翼のような関係が重複したら、僕が死んでしまうだろう)友人は作りたい。
すると、そいつは愛想笑いをべったりと貼り付けながら『良いよ』と言った。そいつも同じく一人で食べる奴なのに、その言い方は上からで軽い苛立ちを覚えた。
ああ、いけない。こいつは僕の味方となるような立ち位置の男なんだよ。それに鷹翼とは違う人種だ。僕を傷つけることはない。
そいつは前の席だから椅子だけ僕の方に向けて弁当を僕の机に広げた。それと同時に僕も弁当を広げる。
こうやって弁当を広げるのはなんか母親の料理自慢をしているみたいで恥ずかしいと思うのは僕だけだろうか。多分そうだろう。
だが話しかけて後悔した。僕はいつだって受動的で彼が話すから僕も返すような関係だった。だから、会話の種を自分から出すことが出来ない。
それはそいつも同じの様でただ黙々と咀嚼を続けているから、僕も同じ行動をとる。
何だ。一緒に食事をするのって楽しいことだと思っていたのにそんなこと全然ないじゃないか。
ふとそいつは口を開いた。
『良い天気だね』と、他愛もないことを言い出す。
だから『そうですね』返事をしたのだがそれだけで会話が終わってしまうと思ったから、『敬語で話すべきですか?それともタメ口?』と聞いてみた。
だって気になるじゃないか。そいつはタメ口を使っているが僕に敬語を使って欲しがる変な奴かもしれないのだ。
するとそいつは僕がおかしなことを言ってるかの様に首を傾げてから笑っていた。
『同学年だよ?良いに決まってるじゃん』
『ほ。そうか。なら、タメ口で』
僕がそう言うとそいつは少し前のめり気味になって自身の顔を指差した。何だ。自身の顔がデカイのを主張しているのか?
『俺、佐藤俊斗。呼び方は何でも良いから』
違った。そいつは自己の名前を教えてくれただけだった。まあ、そいつ呼びは止めてあげよう。佐藤は僕の言葉を待っているかの様に止まっている。
『ああ。僕の名前ね。僕は……』
と、そこで言い淀んだ。僕の名前…好きじゃないどころか言うだけで吐き気がする。だって僕の名前は嫌いな母親と丸っきり同じなんだ。好きになれない。だから、言いたくもない。
小学、中学と乗り越えてきた自己紹介という難関はまだ残っている。あの時は誰も聞いてないからボソボソ呟くだけで良かったけど、今回は聞く相手がいるからな。
『翠川。好きに呼んで』
名前は省略して簡単に終わらせた自己紹介。クラス名簿を見れば一発で分かるから僕の名前は僕から言わなくても良いだろう。と、判断したのだ。まあ、深意は別にあるが。
そう言えば、鷹翼は僕の名前を聞いたことどころか呼んだことすらない。知ってるのかも分からないけど、それが僕らの関係だ。それに僕も鷹翼の名字しか知らないから名前で呼んだことは1度もない。まあ、それで良い。それが良い。
「へえ、あの漢字で翠川って読むんだー。じゃあ下の名前は何って読むの?愛に鈴って書いて……」
顔が青くなったのが自分でも分かる。ただ会話を続けようと、無難に質問しただけなんだろうけど。僕にとっては無難な質問じゃなかった。
言いたくない。雑音が。耳で。煩い。気持ち悪い。佐藤の下卑た面。殴りたい。怖い。コワイ、コワイ、コワイ、コワイ。
ぐるぐるとそれらの感情が回って吐きそう。吐けない。そんな気持ち悪さが咽頭を支配。
突如、母親の残像が目の前に現れて僕に語りかけた。それが語る口からは汚れた煙が出ては僕にまとわりついて離さない。臭い香水の匂いが、鼻腔周辺をうようよしている様に思えて僕は、両手を振り回した。
『アナタの名前ハ私の名前。一緒。ズット離れないノ。名乗る度に私を思イ出すのよ。アナタを縛り付けル呪縛となって、ネ?』
一言一言が耳の中で反響して過去を思い出させる。黒髪黒目のくせにまともに日本語を話せなくて、男にだらしない女。金を盗って他の男に逃げたのに今だ忘れさせてくれない。この、名前があるから。この名前のせい、で。最低な女だよ。
そして、意図してなくてもこれを思い出させた佐藤も最低だ。思い出したくなかったことを、知らずに聞くなんて最低だ。お前なんて死ねばいい。死ねば、シネバ、死ネバ良い。
『ふふっ』
最低なのは僕か?佐藤は何も知らなかったんだから。知らないで言ったんだから。それなのに僕は死ねば良いって思うなんて、人間としてどうかしてる。
『翠川……?』
佐藤は不思議そうな顔……いや、危険なものを見るような目で僕を見ている。ああ、この目を僕は知っている。初めて鷹翼に会った時に僕が彼に向けた目。
彼のことを危険な奴だと察知した時の目を今、僕は向けられている。そりゃそうだ。名前を聞かれて黙る奴なんて変だ。
だから彼は僕と9年間一緒にいてくれたのかもしれない。彼も異常で、僕も異常者(自分の名前をつけるような母親)の息子で共通するところがあったのだろう。
もう、良い。僕の友達と呼べる鷹翼だけで良いや。彼の隣が一番、楽でいられる。そう思うと、抑えてたナニかがプツンと音を立てて切れた。
『僕の名前を知りたいんだろ?教えてやるよ。愛に鈴って書いて愛鈴だよ。こんな純日本人の僕がアイリーンだよ!?ウケるよね。ねぇ、思わない?あは、アハハハハハハ!!?』
佐藤は僕のことを変な目で見る。
何で?こんなにも面白いことを言ってるのに何で笑わないの?僕の名前程、さいっこうに最低なキラキラネームはないじゃん。
鈴をリーンと読むなんてこれを名付けた奴の精神が分からないよね。面白いじゃん。笑えよ。こいつ、バカだって笑ってくれよ。そうしないと、僕はただの異常者じゃないか。それは、あの女とリンクしてしまうから怖い、嫌なのに。
ねえ、鷹翼?お前のことを気持ち悪いなんて思ったりしないからこの場所に来てくれよ。今の全てを弾けた僕とお前だったら、もっと良い関係が築ける気がするんだ。僕の異常行動を上回るような異常行動で僕を嘲笑ってくれよ。
Mじゃないけど、鷹翼といた時間が結構好きだったんだ。
口の端から白泡が吹き出て目尻に涙が溜まってきた。そのせいで佐藤はゆるゆるの輪郭でどんな風に僕を見てるのかも分からない。
ま、いい。気持ち悪い目で見られてるのなんて視界にすら入れたくないからね。
あれ。涙のせいで滲んだ視界が白から黒へと一変する。
それと同時に皆が左側に倒れていった。ん?違うな。ああ、そうだ。僕が倒れたんだ。
ガシャ、ガタガタッと机のずれる音と共に頭を中心とした全身に鈍い痛みが駆け抜けて。
僕は。
意識の主導権を手放した。




