踏切の噂
高校三年の夏でした。私は近所にある踏切の不思議な噂を聞きました。
深夜の二時ちょうど、踏切の中央でドンドンドンと三度強く足を踏み鳴らし、目を閉じて手を広げて、くるりと回ると異世界に行けるという噂です。
私はそこに行ったことはなかったのですが、遠目に見たことは何度かありました。周りは畑に囲まれて見通しがいいけれど、遮断機はないところでした。近くに人の住む家はなくて渡った先は少し歩けば山という感じで、田舎に行けばいくらでもあるような踏切です。
その時は、なにそれって笑ってすぐに忘れてしまいましたが、家に帰ってお風呂に入っていてふと思い出したんです。
その頃は受験勉強で夜遅くまで起きていたし、親に気づかれずに外に出られるだろうと思って、試してみたくなりました。夜の一時過ぎに外へ出ました。家族が起きた様子はありませんでした。
自転車は裏の小屋の中で、出そうとするとかなりうるさくなりそうだったので、あきらめて歩いて行くことにしました。家の近くは電灯がそこそこたくさんあって怖いことはなかったですが、踏切の近く、畑の多くなる辺りに来ると電灯もまばらでだんだん不安になりました。その時は、雰囲気出てきたじゃん、くらいに考えて止めようとは思いませんでした。
私は幽霊や怪談を信じない方なので、いま考えるとどうしてそんな事をしようと考えたのか。
とにかく、私はその踏切までは何事もなく着きました。二時十分くらい前でした。踏切のすぐ脇に電灯があって思ったより明るくて、ちょっと安心していました。
終電はとっくに終わっていて、本当にそこはひっそりとしていました。たまに向こうに見える山からざわざわ聞こえてくる程度でした。踏切よりも真っ暗な山の方が怖いくらいでした。
腕時計で二時一分前を確認して、私は、噂を確かめることにしました。
踏切の中央に歩いて行って、足を三度踏み鳴らす。目をつむる。両腕を肩の高さまで上げて、ゆっくりと一回転。
期待はしていませんでしたが、かなりドキドキしながら、目を開けました。
それからの光景は今でも夢に見ます。
目を開けた時、視界は真っ白でした。光だとすぐに分かりました。スポットライトかたくさんの車のヘッドライトか、そういった物に照らされているのだと思いました。
そして、危ない! とすぐ近くで男の人の叫ぶ声が上がって、空気と地面を震わせる轟音が聞こえて、振り向くと目の前に電車がありました。
私は左手をすごい力で引っ張られて、横に飛ぶようにして転がりました。
すぐに顔を上げこそしましたが、目が慣れるまでそこに誰がいるのか、自分がどういう状況なのかまったく分かりませんでした。しばらくして、自分の脇に立つ人が制服を着たお巡りさんで、自分は踏切の脇にいることが分かりました。アスファルトの道の冷たさ、畑の土の匂い、山の微かなざわめき、そこは間違いなくあの踏切の脇でした。
お巡りさんはすごく険しい顔をして息を切らしていて、じっと私を見下ろしていました。
私は呆然としていて、しばらくそのまま動けませんでした。
お巡りさんはそれからゆっくりとしゃがんで、大丈夫かとか怪我はなかったかとか、聞いてきました。しかし、私はパニックになっていて何も答えられませんでした。
しばらくしてから、私はお巡りさんに時間を聞いたのを覚えています。
お巡りさんは変な顔をしながらですが、七時ちょっと過ぎたくらいだよ、と答えてくれました。
周りは明るかったのは、すでに昇っている太陽のせいでした。夜は明けていました。
すぐに自分の時計を確認しました。私の腕時計は二時十五分くらい過ぎて、普通に動いていました。
その後、いろいろ話を聞かれ病院で検査などありましたが異常は見当たらず、とりあえず学校に復帰することができました。
あの時、私を助けてくれたお巡りさんは、朝に私がいないことを家族の通報で聞いて、見回っていたのだそうです。たまたま踏切に立っていた私を見つけてくださったそうです。
学校に行くようになってから私は友達にいろいろ聞いて回りました。
私は受験でノイローゼになって電車に飛び込もうしたと思われていたらしいです。すぐにそれは誤解だったと分かってもらえましたが、私が聞いた踏切の噂は、誰にも分かってもらえませんでした。誰も聞いたことがないと首を振るだけでした。
そうして気がついたことなのですが、私も、その噂を誰から聞いたのかまったく思い出せなくなっていたのです。
でも、その踏切はこの近所にあって、そこで私に何かが起こったということは確かなのだと、今でも信じています。