創-れきし-造(有の心象風景)
宇宙の始まり方のひとつに「無のゆらぎ」の説があります。
この世界、宇宙に、物質があるのは、
無限にある可能性のひとつの結果、粒子と反粒子の数の違いの結果のひとつ。
この世界に存在するものは、単なるひとときの、揺らぎに過ぎないのかもしれません。
世界の始まりと終わりの間は、
揺らぎのようなもの。
霧に包まれて、赤い瞳が見ている、ため息。
右手の始まりのコトバ、原始と終焉のハザマの扉。
左手に終わりのコトバ、時と刻のハザマの鍵。
無のため息は、霧となり、揺らぎを生む。
創。
それぞれの世界にクサビを打ち……
ただ、あるモノ。
そこにあった因子。
ただそれだけのコト。
陽の因子と、陰の因子は、
無に揺らぎを起こし、有の世界は、急速に膨らみはじけた。
無は、コントンになり、
光と闇、生と死、天と地、陽と陰は対となり、消滅する。
残ったのは、物質だった。
ただ、そこにあって、あるだけ、
ただ、ただ、ゆらいで、そこにあった。
今まで全ての事象を見ている。
どこにでもある、いつでもある。
神話や伝説は、宇宙や生命の始まりのことや歴史を、
代々残せるように、工夫された暗号だと、心のどこかで、思っています。
そう、信じていたい。
「ビックバンがどうのこうので宇宙が膨らんだ」とか「粒子と反粒子が出会うと光を放つ」と堅苦しく論ずるよりも、
神が「光あれ」と言ったら、世界ができたと言った方が、用語的にも、感覚的に、覚えやすいもの。