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パブロフの犬vsシュレディンガーの猫(我の心象風景)
今まさに。前代未聞の存在をかけた実験が始まろうとしていた。
僕らは、犬であり、猫である。
0.1秒先、生きている死んでいるかわからぬ、僕らはシュレディンガーの猫。
0.1秒前、起こった条件に反射的に行動する、僕らはパブロフの犬。
その瞬間、箱の中で、2種類の現象による戦いは、始まっている。
そう、僕らは、犬でもなく、猫ででもなく、人である。
自分と言う存在を意識するとき、その瞬間、反射的に思考に存在する。
観察されたとき、初めてそれは、存在として認識される。
しかし、観察されるまで、存在していないわけではない。
僕らは、犬にも猫にも人にも、葦にだってなってしまう。
考えることができるから。
ひとつの考えについても、いくつもの視点から、一緒に、同時に見ることができる。
同時に異なる場所に到達できる。
それを、意識の外で、現せない。
意識のなかで、一度に膨らんだ考え。
意識の中に、それがあるうちは、簡単に自分の中で理解できる。
それを言葉や文章という、記号で単純化することは難しい。