特級フラグ解体師
世の中には、見えない方が幸せなものがたくさんある。
たとえば、人の好意の裏にある計算。たとえば、高級料亭の厨房の裏側。
そして――人の頭上に燦然と輝く、真っ赤な『死亡フラグ』だ。
「おいおい折斗ぉ! なんだお前、こんな片隅でちびちび冷酒なんか飲みやがって! もっとパーッと頼めよ、パーッとな!」
ドスン、と大きな音を立てて隣の丸椅子に腰掛けたのは、明日から一緒にダンジョンへ潜る予定のBランクパーティリーダー、ガルドだった。
赤ら顔で俺の肩をバシバシと叩いてくる。実にうるさい。実に鬱陶しい。
「……いいんだよ、ガルド。俺は新鮮な旬の白身刺しと、この自家製珍味をちびちびやるのが一番の贅沢なんだから。放っておいてくれ」
「固ぇこと言うなよ! 明日は一攫千金の大仕事なんだぞ? 王都の外れに出たって大型魔獣の討伐だ!」
ガルドが大声で笑いながら、店員に酒の追加を注文する。
俺はため息をつきながら、猪口を傾けた。
(……はぁ。頼むから、静かに飲ませてくれ)
心の中でそっと呟きながら、俺――旗本折斗は、薄目を開けてガルドの頭上を見上げた。
見たくもないのに、視界の端にハッキリと『それ』が映り込んでしまう。
ガルドの頭上に揺らめく、半透明の赤い文字。
【属性:油断】
【警戒度:35%】
――うん、まだ浅いな。この程度なら、明日の朝には酒が抜けて勝手に消えるレベルの小ボヤだ。
俺には生まれつき、他人が無意識に立ててしまう『フラグ』が文字として見えてしまう奇妙な能力がある。
死亡フラグ、破滅フラグ、全滅フラグ、あるいは不必要な恋愛フラグ。
世の中の人間は、驚くほど無防備に、探求心に満ちあふれてフラグを建てまくるのだ。
そして俺の職業は、Dランクの冴えない冒険者……というのは表の顔。
裏の顔は、他人の立てた不吉な因果を現場で叩き折る『特級フラグ解体師』である。
「なあ折斗。今回の依頼、報酬がいつもの三倍だろ?」
ガルドがジョッキをあおり、ニヒッと口の端を上げた。
「……まあな。だからこそ警戒が必要だろ。災害級の魔獣が出るって話だしな」
「へっ、関係ねえよ! 実はさ……この依頼が無事に終わったら、俺――」
ガルドが胸ポケットから、大事そうに一枚の羊皮紙を取り出した。そこに描かれているのは、素朴だが可愛らしい笑顔の女性の似顔絵だ。
「――故郷に残してきた幼馴染に、プロポーズするって決めてんだ」
チローン。
俺の頭の中で、不吉極まりない警告音が鳴り響いた。
ガルドの頭上にあった【油断35%】の小ボヤが、一瞬でドス黒い真っ赤な【特大死亡フラグ(確殺率95%)】へと膨れ上がる。文字がドロドロと溶け出し、漆黒のドクロマークまで浮かび上がってきた。
(おいバカやめろおぉぉぉぉぉっ!!)
俺は心の中で血の涙を流しながら絶叫した。
出た。出やがった。王道にして最強の危険物、『この戦いが終わったらプロポーズするんだ』発言。
「なぁに、相手がどれだけデカくたって、俺たちの連携なら余裕さ!『勝ったな、風呂行ってくる』って気分だぜ!」
チローン! チローン!
【複合フラグ検知:全滅確定コマンド『勝利宣言&入浴希望』追加】
【確殺率:99.8%(即死圏内)】
(重機級の死亡フラグを二重で重ねるな! 明日俺まで巻き込まれて死ぬだろ!!)
俺は手元にあった刺身のツマを箸で握りつぶしそうになるのを、必死で耐えた。
ガルドの奴、笑顔で死亡フラグの満願全席を完成させやがった。このままだと明日のダンジョンで、間違いなく想定外のボスが湧いて全員全滅だ。
「……ガルド」
「ん? なんだ折斗、急に真面目な顔して」
「お前……実家の犬、元気か?」
「は? 犬? いや、元気だけど……なんで今そんな話――」
「いいから犬の話をしろ! 実家の犬の可愛いエピソードを今すぐ俺に10個話せ!!」
プロの解体師たるもの、現場(明日)に行く前にできる限りの応急処置は試みる。
だが、酒が入ったガルドの爆走は止まらなかった。
「がはは! お前変な奴だな! それよりさ、故郷の母ちゃんにも『いい報告ができそうだ』って手紙出しておいたんだよ!」
チローン!!(警報音大爆音)
【トリプル死亡フラグ成立:実家の母親への事前報告完了】
【因果率固定:絶対回避不可能】
ガルドの頭上の黒い渦が、ついに俺のテーブルの冷酒まで冷やし始めるほどの禍々しい冷気を放ち始めた。
「……ふぅ」
俺は静かに猪口を置き、作業用の黒いレザー手袋の具合を確かめるように、キュッと拳を握りしめた。
応急処置(会話による強制軌道修正)は失敗だ。
現場での直接介入――つまり『因果反転』による物理解体作業が確定した瞬間だった。
「……おいおいガルド。明日のダンジョン、せいぜい怪我だけはしないように気をつけろよ?」
「ハハハ! 任せとけって! 俺は運だけは強いんだ!」
無邪気に笑うガルドを見つめながら、俺は心の中で冷たく呟いた。
(運が良いのはお前じゃない。……お前の隣に、特級の解体師がいることだ)
こうして俺の、まったく望んでいない命がけの「現場作業」が幕を開けたのだった。
――翌日、王都近郊の『深緑の地下迷宮』第十二階層。
ドガァァァァンッ!!
地鳴りのような咆哮と共に、ダンジョンの岩壁を突き破って現れたのは、巨大な漆黒の外骨格に包まれた『災害級・大鉱甲竜』だった。
本来、この階層に出現するはずのない、Sランク相当の暴走個体だ。
「ヒッ……!? な、なんだよあのバケモノは……!? 聞いてねえぞ!」
「あ、足が動かねえ……! 退路も崩落で塞がれた!」
昨日まで威勢の良かったガルドのパーティーメンバーたちが、あまりの威圧感に腰を抜かして悲鳴をあげる。
大鉱甲竜がその巨大な顎を開き、超高熱の火炎ブレスを口内にチャージし始めた。射線上にいるのは、恐怖で金縛りになったガルドだ。
「くっ……ここまでか……! ハナ、約束守れなくて……すまねぇ……!!」
血を吐きながら大剣を構えるガルドの頭上で、昨日立てたトリプル死亡フラグがどす黒い漆黒の禍々しい光を放ち、周囲の空間すら歪め始める。
(……やれやれ。予告通り、完璧なまでに死角なしの絶望的展開だな)
壁際で静かに気配を殺していた俺――旗本折斗は、深くため息をついた。
このまま放置すれば、ガルドは炭塵となり、俺も巻き添えで木っ端微塵だ。今夜の楽しみにしていた「王都の旬の初鰹と冷酒」が永遠に失われてしまう。
「作業コスト……後でガルドの奢りで請求するからな」
俺は懐から黒い作業用レザー手袋を取り出し、キュッと音を立てて手首まで嵌めた。
そのまま、恐怖で震えるパーティーの背後を通り抜け、すーっと無造作に前線へと歩み出る。
「おい折斗! 危険だ、下がれ!!」
ガルドが叫ぶが、無視だ。
俺は視界いっぱいに広がるガルドの頭上の『漆黒の死亡フラグ』に向かって、右手の手袋をかざした。
集中力を研ぎ澄ませ、裏の絶対スキルを解き放つ。
「――現場検証完了。これより、危険因子の処理に入る」
俺の右手に、禍々しい黒を打ち消す純白の符術陣が展開する。
「『因果反転』――解体完了だ」
パチンッ!
俺が指を鳴らした瞬間、ガルドの頭上に渦巻いていたドス黒いトリプル死亡フラグが、甲高いガラスの割れるような音と共に一斉に砕け散った。
そして次の瞬間――砕けた破片が眩いばかりの【神聖な黄金色のバフ文字】へと反転し、爆発的な光となってガルドの全身へなだれ込んだ!
【反転結果:プロポーズフラグ ➔ 『絶対愛の金剛不壊(無敵状態)』適用】
【反転結果:風呂&勝利宣言 ➔ 『確定逆転クリティカル(一撃必殺)』適用】
「な、なんだぁぁぁぁっ!?」
ガルドの全身から、まるで太陽のような黄金のオーラが噴出する。
その直後、大鉱甲竜が放った極大の火炎ブレスが、ガルドを飲み込んだ。
岩石すら一瞬で蒸発させる数千度の熱風。パーティーの誰もが「終わった」と目を背けた、その時――。
「……あ? あつ……くない……?」
黄金の光に包まれたガルドは、灼熱の炎の中で「なんだか温かいお風呂に入ってるみたいだなぁ」と言わんばかりの超絶リラックス顔で立っていた。
髪の毛一本焦げていない。傷一つついていない。まさに物理法則を無視した完全無敵状態だ。
「な、なんだか分からないが……全身に、力がみなぎってくるぞぉぉぉっ!!」
因果を反転されたガルドは、無敵の勢いのまま大剣を無造作に振り抜いた。
ただの振り下ろし。……のはずだった。
ズバァァァァァァンッ!!!
【確定逆転クリティカル】の補正が乗った一撃は、空間そのものを切断する漆黒の衝撃波となって走った。
どんな魔法も弾くはずの大鉱甲竜の極厚な甲殻が、まるで紙粘土のように容易く真っ二つに裂け、巨大な巨体がドスンと地面に崩れ落ちる。
命のコアを破壊された大鉱甲竜は、一瞬で光の粒子となって消滅した。
――静寂。
ダンジョンの奥底に、口をぽかんと開けたパーティーメンバーたちの息遣いだけが響く。
「お……俺……? 今、災害級を……一撃で……?」
自分の手と大剣を交互に見つめ、ガルドの体が歓喜で震え始めた。
「覚醒した……! 俺、土壇場で伝説の『勇者の血』に覚醒しちまったんだぁぁぁぁっ!!」
「す、すげぇよガルド兄貴!!」「本当に一髪で逆転しやがった!!」
ワーッと歓声があがり、全員がガルドのもとへ駆け寄っていく。
俺は一人、壁の影で手袋を脱ぎながら、そっと胸を撫で下ろした。
(ふぅ……危ない危ない。なんとか因果の反転が間に合ったな。これで俺も無傷、今夜の酒も美味しく飲める)
現場での危険物処理は無事に完了だ。誰も俺が裏で何をしたか気づいていない。これぞ特級解体師のプロの仕事である。
静かにその場を離れようと背を向けた、その時だった。
「折斗ぉぉぉぉぉぉっ!!」
ドカドカと凄まじい足音が近づき、感極まったガルドが俺の背中にガバッと抱きついてきた。
「お前が! お前がそばにいてくれたおかげで、俺は限界を超えられたんだ! お前は俺の幸運の女神(男だけど)だ!!」
「ちょ、離れろガルド! 暑苦しい!」
「決めたぞ折斗! 俺たち、これからもっと上の危険なSランクダンジョンへ挑む! 当然、お前も『終身専属メンバー』として一緒に来てくれるよな!?」
チローン。
俺の頭の中で、昨日以上に甲高い不吉な警報音が鳴り響いた。
ガルドの頭上に、新しく【一生付きまとわれる苦労人フラグ】という名の、ドス黒い文字がドカンと定着したのが見えた。
(……おい頼むから嘘だと言ってくれ。平穏なDランク生活に戻らせてくれ……!)
俺の悲痛な心の叫びは、ダンジョンの天井へと空しく消えていったのだった。




