孤独とたからもの
「おかえり」でXを検索したのは、ほんの思いつきだった。タイムラインは、あるプロ野球監督の話題で埋め尽くされていた。誰が悪いだの、娘がかわいそうだの、前から嫌いだっただの。画面をスワップして更新しても、世界は更新されない。似たようなタイムラインがいつまでも続いた。私は辟易していた。別に、その監督の話題を見たくないわけではない。ただ、みんな、本当にそんなに興味があるのかな?と疑問が湧いた。そしてふと、「おかえり」と言っている誰かを探してみたくなったのだ。
最新の「おかえり」ポストを検索する。数秒ごとに誰かが誰かに「おかえり」と言っている。
「おかえり」
短いリプがつく。その元を辿ると短いポスト。
「ただいま」
画面を更新するたび、新しい「ただいま」が現れ、そのたびに、どこかの誰かが「おかえり」を返していた。さっきの疑問を思い出す。
「みんな、本当にそんなに興味があるのかな?」
これは、自分への問いかけでもある。知らない誰かの「ただいま」と「おかえり」を見て、いったい何になるというのだろうか。何にもならない。ただ、この検索結果を眺めていても嫌な気分にはならなかった。それだけでも、タイムラインから逃げてきた甲斐があった。
世界中に公開されたSNSという場で、知らない誰かの「ただいま」を、知らない誰かが受けとめている。玄関を開けて「ただいま」と言い、家の中から「おかえり」と返ってくれば、もうそれだけで済みそうなことを、全世界に発信している。もしかすると、現実では誰にも言われないのかもしれない。一人暮らしだったり、あるいは、家族がいても会話が無かったり。「ただいま」なんて、わざわざ誰かに電話して言うほどのことじゃない。だから、SNSに投げる。すると数秒後、知らない誰かが「おかえり」をくれる。それだけで、今日をちゃんとやり終えた気になれる。SNSで「ただいま」に「おかえり」が返される時、きっと誰かの孤独は誰かに癒されているだろう。
そう考えたら、プロ野球監督の話題で盛り上がるタイムラインも、少し違って見えた。盛り上がりの中には、本当にその監督を裁きたい人がいる一方で、ただ誰かと話したいだけという人もたくさんいるのだろう。だから、同情でも、嫌悪でも、内容は何でもいい。とにかく誰かと何かを共有して、自分の存在を感じたいだけなのだ。家族と会話が無い、話せる友人もいない…それでも、SNSには誰かがいるから。
「おかえり」ポストをたくさん見たからだろうか、更新されたタイムラインにはアルゴリズムで新しく書き換えられた世界が流れていた。わざわざ誰かに電話して言うほどのことじゃないけれど、なんとなく癒される日常の言葉たち。「ただいま」「おかえり」に混ざり、プロ野球監督に怒っている人もいる。根っこの寂しさは、案外みんな変わらないのかもしれない。
「コンビニ寄って帰宅。ただいま」
「おかえり。何買ったん?」
どうでもいい。でも、こういうポストを私は見たい。どうせ「監督許さん」ってポストも、どうでもいいんだから。
「プロ野球チップス」
私はふっと笑い、スマホを閉じた。アルゴリズムが私の野球好きを知っている。不祥事の顛末は、トレンドから監督の名が消えた頃に知るくらいがちょうどいい。私はリビングに飾っているプロ野球チップスカードに目をやった。かっこいい。この気持ちは、Xに投げたくないと思った。




