第12話:アイン、働きます!
私は渋々といった様子で、押し付けられた書類の束をカウンターへ押し返した。
「……それで、私にいったいどんな過酷な労働を強いると言うんです? これ、どう見ても私の適性外ですよ」
ミリアさんは呆れたように溜息を吐くと、真剣な表情で今回の緊急クエストの概要を説明し始めた。
「まず、熟練の冒険者たちで数パーティを編成し、シャドウ・ケイルへの威力偵察を行います。そこで異常がなければ、緊急クエストは即時終了。ですが、もし異常が発覚した場合は……」
ミリアさんは一呼吸置いて、声を落とした。
「全冒険者での討伐隊を結成し、総力戦となります」
私は心底面倒くさそうな顔で、その言葉を聞き流す。
「要するに、私はその討伐隊とやらに参加して、ゴブリンのボスと命のやり取りをしろと?」
「いいえ。アインさんには、後方待機をお願いしたいのです」
ミリアさんが横に首を振って続けた。
「偵察や討伐に参加した冒険者たちが負傷した際、治癒魔法での治療を頼みたいのです。重傷者を簡単に治療できる貴方であれば、大きな戦力になるはずですから」
治癒……? 治療……?
私の脳内で、即座に不快指数が跳ね上がる。つまり、血だらけで文句を言う負傷者の相手をしろということか。それはそれで、戦うこと以上に面倒くさい。
私が露骨に嫌そうな顔をして、断固として拒絶しようとしたその時だった。
「……今回を無事に乗り切ることができたら、特別にボーナスが出るよう、ギルドマスターに掛け合ってみます」
「…………」
ミリアさんのその言葉に、私の思考がピタリと止まる。
不労所得、ふかふかのベッド……凍結されていたはずの未来が、わずかに雪解けを見せた気がした。
「……ギルドマスターへの直談判、ですね?」
「ええ。あなたが今回の任務を全うするなら、の話ですが」
ミリアさんは悪魔のように微笑んだ。
……くっ、汚い。報酬という人質を取るなんて、なんて卑怯な受付嬢なんだ。
だが、今の私にはその汚い餌に飛びつく以外に道はない。私は深々と溜息を吐き、カウンターの上の書類を再び自分の手元に引き寄せた。
「……わかりました。治癒魔法、ですか。効率を重視して、サクッと完全に治してボーナスを頂きます。それ以上は期待しないでくださいね」
私は宣言し、カウンターの上に陣取ってミリアさんを見下ろす。
「ぐーたら生活のためなら、治癒の一つや二つ、朝飯前ですよ!」
突如、私の背後に重苦しい気配が立ち込める。先ほどまで酒場の奥へ消えていたはずの、赤褐色の髪の男――ギルドマスターが、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。
「……言ったな?」
男は不敵な笑みを浮かべ、私を値踏みするように見つめてくる。
「だったら、死人だけとは言わず、負傷者もゼロで乗り切ってみせろ。そうすれば、何でも一つだけ願いをかなえてやってもいい」
その言葉は、まるで逃げ場のない檻に私を閉じ込めるような響きを持っていた。
「では、あの酒場の長椅子のあるスペースを私のものに!」
「いいぞ」
……え。
あまりの即答に、思考が数秒間フリーズした。
報酬やボーナスなどという次元ではない。長椅子を私の「私有地」として認めさせる。
それはつまり、緊急クエストが発令されていようが、ギルドが修羅場になろうが、誰にも邪魔されずにあの冷たくて居心地の良い場所で永久にまどろめるという、至高の権利だ。
「あとでやっぱダメは無しですからね!?」
「あぁ、だが……一人でも負傷者が出たらお前は今後その長椅子での休憩を永久に禁止とする」
男はニヤリと、獲物を追い詰める捕食者のような笑みを浮かべた。
……なるほど。負傷者を出せば、その瞬間に私の安息の地は消滅するわけか。
なんて悪魔的な条件付けだ。
「ほほう、この私に挑戦するとは……受けて立ちます!」
私は燃え上がる闘志を感じながら立ち上がった。これで安住の地をゲットできる、その甘美な響きが私の脳内を占めていた。
そんな私を、ミリアさんは呆然と見つめている。
「あの、アインさん……ギルドマスター、本気で言ってますか? 緊急クエストでくだらないかけ事なんて!」
「確かにくだらん。……だが、本当に無事に終わるというならば構わん」
男はミリアさんの抗議を軽くいなすと、もう一度私の方を振り返った。
「条件は負傷者ゼロ。一人でも欠けたら、その長椅子は薪として暖炉にくべる」
……ひっ。
薪という言葉に、背筋が凍る。私の至高の安住の地が、灰になる未来。それは絶対に阻止しなければならない。
「……わかりました。やります。全力で、命に関わる面倒事をすべて排除してみせます」
私はもはや狂気すら宿るような執念を燃やした。
不労所得のためではない。ふかふかのベッドのためでもない。
私は、あの長椅子を守るために戦う。
――負傷者など一人も出させない。誰一人として私の安息を邪魔するような軽傷すら負わせない。そのために、私の力でギルドの戦力を無敵に仕立て上げてやる。
「ミリアさん、さっさと準備を。私の聖域を守るための、最強の布陣を敷きますよ!」
あまりの勢いに、ミリアさんがドン引きしながら一歩後ずさった。
私の人生で最も生産的な時間が、今、幕を開けようとしていた。
……もちろん、すべては「何もしない時間」を確保するための労働ですが。




