第1章 伝説のトランクと、落ちぶれ王子の大奮発
気がついたら、世界は真っ暗だった。
視界も、手足も、息をする感覚すらない。
ただ、妙に硬質で四角い「自分」の輪郭だけが、ぼんやりと意識できる。
(……死んだのか?)
前世の記憶は、嫌になるほど鮮明に残っていた。
佐藤一郎、三十歳。
ゲーム廃人で、仕事はIT系の地味なプログラマー。
唯一の趣味はMMOでアイテム整理を延々とやることで、徹夜でレア装備の在庫管理をしていたら……突然、意識が途切れた。
そして今、俺は——
【転生完了】
【種族:無限収納トランク(アイテムボックス)】
【容量:∞(現在使用率:42.7%)】
【旧所有者:ヴォルガード・ザ・ブラック】
【特殊能力:所有者の思考を受信・表面への文字表示可能】
【追加効果:収納物への「会話機能」付与(管理者権限により活性化)】
……は? アイテムボックス? トランク?
しかもすでに中身が42.7%も入ってるってどういうことだよ!
混乱していると、突然、外から明るい声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ! 本日の目玉商品はこちらでございます!」
どうやら俺は、街の中心にある高級魔法アイテム専門店『魔具の宝庫』のガラスケースの中に、堂々と飾られているらしい。
店主の恰幅の良い中年男性が、俺の黒革の表面を白い手袋で丁寧に拭きながら、客に向かって熱弁を振るっていた。
「こちらは、かの英雄『黒のヴォルガード』が二十年以上愛用した伝説のトランクでございます!
無限に近い収納容量、自己修復機能、そして……少々特殊な『声』が聞こえるという逸話付き!
鑑定士の評価はSS級相当。価格は金貨1500枚となります!」
客たちがどよめいた。
「またその話か……」
「ヴォルガードが死んで五年経つってのに、まだ高値で売りつけてんのか」
「でも本物なら一生安泰だぜ……ただ、心の声が聞こえるってのはマジで呪いじゃねえの?」
俺は内心でため息をついた。
(高すぎだろ。普通のアイテムボックスでも金貨300〜500枚が相場のはずなのに……)
その時、店の扉が豪快に開いた。
入ってきたのは、金髪を肩まで伸ばした若い男だった。
年齢は二十歳前後。
身に着けているのは、かつては高級だったであろう黒と金のマント。
しかし袖口はほつれ、ブーツも擦り切れている。
それでも背筋はピンと伸び、紫水晶のような瞳には、隠しきれない高貴さと、強烈なプライドが宿っていた。
店主が慌てて頭を下げる。
「おお! レン様……本日はどのようなご用で?」
男——レンは、俺のケースの前に立ち、腕を組んだ。
「ふん。噂の『ヴォルガードのトランク』というやつを見に来た。
出してみろ」
店主が恐る恐るガラスケースを開け、俺をカウンターの上に置く。
レンは俺を上から下までじっくりと眺め、指で表面を軽く叩いた。
「なるほど……確かに強力な魔力反応だ。
ヴォルガードが最期まで手放さなかっただけのことはある。
……ただし、俺のような者がこんな中古品に頼らねばならぬとは、世も末だな」
(おいおい、開口一番中古品呼ばわりかよ、王子様)
レンは店主に向き直り、傲然と顎を上げた。
「値下げしろ。金貨1200枚で買ってやる」
店主が顔をしかめる。
「それは……さすがに安すぎます。1400枚が限界で……」
「1200枚だ。
俺は今、かなり懐が寂しい。
それでもこのトランクが必要だ。
……理由を聞きたいか?」
レンは一瞬、目元を険しくした。
「私はレオナルド・フォン・アルティア。
アルティア王国の第三王子だった男だ。
今は『レン』と名を変え、冒険者などという下賤の真似事をしている。
このトランクがあれば……もう一度、這い上がれる可能性がある」
店内が静まり返った。
俺も驚いた。
落ちぶれ王子……しかも本人が堂々と名乗るとは、相当プライドが高いか、相当追い詰められているかのどちらかだ。
店主は長いため息をついた。
「……特別ですぞ、レン様。金貨1200枚でどうか」
レンは財布から、重そうな金貨の袋をいくつも取り出した。
おそらく彼の全財産だろう。指先がわずかに震えていた。
「これでいいな。
さっさと手続きを済ませろ」
こうして俺は、
金貨1200枚という破格の値で、
元第三王子レンに買われた。
店を出た路地裏。
レンは俺を地面に下ろし、両手で膝をついて息を荒げた。
「くっ……重いな、このトランク。
ヴォルガードはこれを背負ってSランクダンジョンを攻略していたというのに……
我が身の非力さを痛感する」
その瞬間、俺はトランクの表面に、はっきりとした文字を浮かび上がらせた。
【よう、レン。
俺は意識のあるアイテムボックスだ。
よろしくな、わがまま王子様】
レンがビクッと肩を跳ねさせた。
「……ほう。噂通り、声がするな。
しかも随分と生意気な口を利く。
面白い玩具を手に入れたようだ」
【玩具じゃねえよ。俺はお前の相棒になるつもりだ。
……ただし、俺の中にはもう住人がいるみたいでな】
「住人?」
レンが怪訝な顔をしたその時、
俺の内部空間から、初めて複数の声が響き渡った。
『……おい、蓋が開きそうだぞ』
『新入り管理者が来たおかげで、ようやく声が出せるようになったな』
『王子か……ふん、ヴォルガード様よりはマシかもしれん』
レンはまだ気づいていない。
だが俺には、はっきりと聞こえていた。
黒皇剣、賢者の旅日記、不死の秘薬……
そしておそらく他にも、たくさんの「古株」たちが、
俺が転生したおかげで目を覚ましたのだ。
俺は心の中で、静かに笑った。
(……転生したらアイテムボックスでした、か。
しかも相手はわがまま元王子。
こりゃあ、相当長い旅になりそうだ)
レンが俺を抱え上げながら、独り言のように呟いた。
「これで……私はもう一度、アルティアの王位を狙える。
待っていろ、兄者たち。
レオナルドは、必ず帰る」
その瞳には、ただのわがままではなく、
燃えるような決意が宿っていた。
俺は表面に小さく文字を浮かべた。
【まあ、焦るなよ王子。
まずはお前を立派な男にしてから、王国返り咲きだな】
レンがわずかに目を細めて、俺を見下ろした。
「……随分と上から目線だな、トランク。
だが、気に入った。
お前は今日から私のものだ。
全力で尽くせよ?」
【へいへい、殿下】
こうして、
落ちぶれ王子と意識あるトランクの、
少し変わった主従関係が始まったのだった。




