幼馴染のキャロラインが、僕がいないと生きていけないと言うので
「だから、何度も言わせないでください。君との婚約を破棄したいのです」
わたしは事態を飲み込めず、茫然と目の前に立つ侯爵令息のフィンリー・ルーベルト様と、彼の傍に寄り添う見知らぬ女性を眺めていました。
「こちらの愛らしい女性は、子爵令嬢のキャロライン・ベーカー。僕の幼馴染である彼女が、僕がいないと生きていけないと言うので、仕方がないでしょう?」
彼はそう続けます。
フィンリー様の幼馴染だという初対面の彼女は、申し訳なさそうにするどころか、凄い形相でわたしを睨みつけております。
「それで提案なのですが、君のほうから婚約を破棄したことにしていただきたいのです」
彼は、言いながら考え込むように目を細めました。
「え?」
「当然ではありませんか。行き遅れの上、そんな身体でこの美しい僕と結婚できると考えていること自体が図々しい。ですから、これは自ら辞退した方が体裁もいいだろうと、親切心から申し上げているのです」
「そもそも脅迫に近しい婚約でしたのよ。あなたが公爵の娘だから、ルーベルトの小父様も断れず、仕方なしに婚約を承諾したのですわ」
キャロライン嬢が口を挟みます。
「そりゃあ、同じ女性として、多少同情は致しますけれど」
更にそう続け、自分の頬をゆっくりと撫でました。
その仕草で、彼女が何を言いたいのかすぐに分かりました。
わたしの左の頬から胸にかけて、痕があります。幼いころに、火事に飛び込んでできた火傷の痕が。
大分薄くはなりましたが、他の人から見れば、それでも醜いと感じるものなのでしょう。
「……けれどわたしは、フィンリー様のことが」
躊躇いながら、口を開きます。
「まさか、僕が好きだとでも言うのですか。婚約して半年、大して会話もしてこなかったでしょう。案外しつこいですね。この際、はっきりと言っておきます。その火傷の痕、気味が悪いのです。同じベッドに入りたくもないし、抱く気にもなれない。僕は醜いものが嫌いなのですよ」
彼は顔を歪め、淀みなくその台詞を吐き捨てました。
「……分かりました。わたしのほうから父に、婚約を破棄したいと伝えます」
わたしは俯きます。
蒼白になっている顔を、見られたくはありません。
確かに、想い合っている二人の邪魔をしてしまったわたしがいけないのでしょう。
けれど、フィンリー様がこんなに非情な方だなんて考えてもみませんでした。
この醜い火傷の痕……。
火傷は、遠い昔、彼を助けたときに負ったものなのです。
十一年前の初秋のことでした。
わたしは僅か十二歳。
侍女のミタと、馬車で山奥の別荘に向かっていました。
途中、煙が上がっている邸に気づき、わたしたちは道を逸れてそちらへ向かうことにしました。
邸はどなたかの別荘のようで、わたしたちが着いたころには、既に大火に巻かれていました。
庭に人の姿はなく、わたしは誰かいないか叫びながら、崩れかけている邸の扉近くまで進みます。
煙で見えにくかったのですが、傾いた扉の奥に倒れている子供の姿が見えました。
慌てて大声で呼びましたが、何も反応はありません。
火に巻かれた扉は更に傾き、完全に倒れればもう中に入ることができなくなります。
わたしは扉の隙間から中に入りました。
直前にミタが何か叫んでいましたが、どちらにせよ、ミタではその狭い隙間に入ることができませんでした。
倒れていたのは、自分よりずっと小さな少年で、なんとか彼を肩に担ぎ、引きずりながら外に連れ出します。
途中、崩壊した何かにぶつかりましたが、その時は無我夢中で碌に痛みも感じませんでした。
彼を麓の病院に運ぼうとした矢先、わたしたちのように火事に気づいた数台の馬車が庭に入ってきました。
その中に、偶然にもお医者様がいました。
わたしは即座に、意識のない彼のことをそのお医者様に頼みました。
彼は庭に倒れていたのだと嘘を吐き……。
お医者様はわたしが火傷をしていることをいたく気にしていましたが、興味本位で扉近くを見に行き、扉が倒れてきたのだと、また嘘を吐きました。
ミタは泣いています。
彼女には口止めをしていました。
彼を助けられてよかったけれど、わたしが勝手にしたことで、彼に恩を感じてもらいたくなかったのです。
それから火傷は痛み出し、すぐにミタと麓の病院に向かい、手当てをしてもらいました。
しばらく経ち、あの別荘がルーベルト侯爵の別荘で、助けた少年が侯爵の嫡男であることが分かりました。
少年は無事だったようです。
心から安堵しました。
そして今から半年ほど前、お父様が縁談の話を持ってきたお相手が、五歳年下の侯爵令息、フィンリー・ルーベルト様でした。
ミタが、あの時の少年に間違いないと興奮して言います。
父は、わたしが彼を助けたことを知りません。
ミタは運命だと言って喜びました。
成長した彼ですが、幼いころの面影が残っています。
宝石のようなダイオプテースの瞳に、銀の髪。その美しい顔立ちは、あの頃と何も変わっていません。
本当に運命かもしれない。
わたしもそう思いました。
けれど、この婚約はあっさり破棄されました。
ショックではありましたが、仕方のないことです。
どんなに冷たい言葉を掛けられようと、彼が幸せになってくれたなら、この火傷の意味もあります。
婚約破棄され、いいえ、わたしのほうから婚約破棄をしてニ週間ほどが経ちました。
「ステラお嬢様!!」
天気のいい昼下がりに、ミタが血相を変えて部屋に飛び込んできました。
「どうしたの?」
「一緒に来てくださいませ!!」
「どこに?」
「外です」
「あの、ミタ。知っていると思うけれど、わたしは見た目もこんなだし、あまり外には……」
「お嬢様!! お嬢様はとても綺麗です。お嬢様は気にしすぎなのです。って、今はそんなことを言っている場合ではございません。とにかく一緒に来てくださいませ!!」
ミタは怖い顔をして、わたしを邸から連れ出しました。
彼女に連れられて、馬車でニ時間ほど移動すると、目の前にのどかで広大な葡萄畑が広がりました。
畑の奥には、木造の大きな邸が見えます。
「着きましたよ、お嬢様」
「あの、こちらのお邸は? それにしても、随分と遠くまで来たわね」
ミタは返事をせず、勝手に邸のチャイムを鳴らしました。
「ちょっと、ミタ?」
それからまたしても返事をしないミタと二人で待っていると、邸の扉から顔を見せたのは、思いもしない人物でした。
「……フィンリー様?」
わたしは、彼の前で立ち尽くします。
彼は緩く笑うと、左右に首を振りました。
「彼はフィンリーの兄で、ランスです。ランス・ルーベルト。私は彼の伯父のテディ・ルーベルトと申します。連絡を頂き、お待ちしておりました。公爵令嬢のステラ様とお話しできるような身分ではありませんが、どうか本日はお許し下さい」
フィンリー様、いえ、ランス様の横から体躯のいい男性が現れて、わたしに向かい一礼します。
「ランス様とフィンリー様は、一卵性の双子なのだそうです。お会いするまで信じられませんでしたが、本当にそっくりですね」
驚いた様子のミタが言います。
ミタも、わたしがフィンリー様と婚約していたときに、数度彼に会っていました。
「お話は、どうぞ中でごゆっくり」
テディさんは、わたしたちを邸の中に促します。
「早速ですが、ルーベルト侯爵の嫡男はフィンリー様ではなくランス様では? 先程、彼の方が兄だと……」
香りのよいアプリコットティーが立ち込める部屋で、早々に口を開いたのはミタです。
わたしより状況を把握している彼女が場を仕切るのは、当然のことかもしれません。
「それは……。実はランスは話すことができないのです。生まれつきではありません。昔、声帯を痛めてしまい、声が出せなくなりました。また、大分よくはなりましたが、体も弱く、こちらに来る以前は常に床に臥せっておりました。それが原因で、嫡男には相応しくないと判断されたのです」
テディさんの言葉に、ランス様は俯いています。
「声帯を痛めてしまったのは、火事のせいでしょうか?」
わたしは尋ねます。
「おや、ステラ様はあの凄惨な火事のことをご存知なのですね」
テディさんは言います。
同時にランス様が弾かれたように反応し、改めてわたしに視線を向けました。
彼はわたしに近づくと、繊細な指でそっとわたしの頬に触れます。
瞬間、ランス様の綺麗なダイオプテースの瞳が、これ以上ないほど大きく見開かれました。
「て……し」
彼は掠れた声でそう言うと、勢いよくわたしを抱きしめます。
「ああ!! まさか、現実? 貴女だったのですか、彼の天使は!!」
「天使?」
わたしはランス様に抱きしめられながら、テディさんに聞き返します。
「あの火事で、自分は天使に助けられたのだと言って聞かなかったのです。薄っすらと自分を庇いながら運ぶ、美しい天使の姿を見たと。そんな女性はおらず、自分で邸から逃げて意識を失ったのだから、夢を見ていたに違いないと、私を含め誰も彼の話を信じませんでした。失礼ですが、貴女の頬には古い火傷の痕がありますね。でも、本当に貴女が?」
「そうです。あの別荘で、お嬢様がランス様を助けたのです」
「ちょっと、ミタ!!」
「お嬢様、もういいじゃないですか。ランス様だって、現実を夢だと一蹴され、これまで辛い思いをされてきたのです」
ミタは涙ぐんでいます。
ランス様はゆっくりとわたしから離れると、わたしに向かい深く頭を下げました。
「ランス、これまで信じてあげられず、すみませんでした。……ステラ様と、二人きりで話しますか?」
テディさんの言葉に、ランス様は頷きます。
「ステラ様、筆談になりますので大変かもしれませんが、ランスにお付き合いいただけますと幸いです」
「はい」
わたしの返事を聞き、テディさんは再び一礼するとミタを連れて部屋を出ました。
ランス様は傍に置いていたスケッチブックを取って、ペンを走らせます。
『改めてお礼を言わせてください。俺の命を救ってくれて、ありがとうございました。そして、俺を庇って大変な火傷を負わせてしまい、申し訳ありませんでした』
「あの火事の時、意識があったのですね」
『貴女に担がれている間、薄っすらと』
「先程少し声を出されましたが、やはり話すことは難しいのですか」
『そうですね。ですが、声が出なくなったのはあの火事のせいではありません。もっと後のことです』
「え?」
ランス様は躊躇いがちに、再びスケッチブックに文字を綴ります。
『物騒な話をして申し訳ありませんが、毒物の影響です』
「どういうことですか?」
『余程爵位を継ぎたいのか、フィンリーから執拗に命を狙われまして』
「フィンリー様がランス様の命を? まさか、あの火事も?」
彼はゆっくりと頷きます。
そしてまたペンを走らせます。
『全て静養という名目でこの伯父の邸に移ってから知ったことです。あの日、忘れ物を取りに行ってほしいとフィンリーに頼まれ、俺は御者と共に別荘に向かいました。その御者が俺の意識を失わせた後、別荘に火を放ったのです。御者はフィンリーに金を貰い、自分が嫡男になれば、もっと待遇をよくしてやると持ちかけられたそうです。貴女のおかげで一命をとりとめましたが、フィンリーはその後も長年、毒で俺の命を狙い続けました』
「そんな!! 侯爵は未だその事実を知らないのでしょう? 伝えなくていいのですか?」
『毒物のせいで体調を崩し、声も出せなくなった俺は、嫡男の座をフィンリーに譲りました。もう彼に命を狙われることはありません。そして、彼が罪を犯す理由もありません。いいのです。そもそも俺は爵位に興味がありませんでしたから。そんなことより、天使が救ってくれた命だから、俺はただ少しでも長く生きたい。それだけです』
彼は文字を書き終えるとわたしを見つめ、優しく笑いました。
そんなことって……。
「このままでいいはずがありません。真実をルーベルト侯爵に話しましょう」
『確かに、貴女にはその権利がありますね。フィンリーのせいで、貴女の美しい顔や身体に消えない火傷の痕が残りました』
「わたしのことを言っているのではありません。ランス様は何も悪くないのに、辛い思いばかりされて、どうしてそんなに優しいのですか!!」
訳の分からない怒りで、つい彼に怒鳴っていました。
『優しくなんてありません。多分、こんなことをされても尚、弟を罪人だと認めたくないだけです』
彼は俯き、自虐的に笑います。
「そんな風に笑わないでください。ランス様、あなたはわたしが思い描いていた素敵な方です。本当にどうしようもないくらい優しすぎる方です」
『俺の天使、優しすぎるのは貴女の方です。そうして、俺の代わりに怒ってもくれる』
彼はまた、わたしに頭を下げます。
「頭を上げてください。出過ぎたことを言いました。ランス様の意思を尊重します。またあなたに会いに来てもいいでしょうか」
彼は笑って、わたしの言葉に大きく頷きました。
それからわたしは時間を見つけては、彼に会いに来ました。
「ランス様、苦痛でないのなら、今日は声を出してみてもらえませんか?」
わたしは、彼が話せるようになるのではないかと、僅かな希望を持っていました。
ランス様は、困ったように左右に首を振ります。
「痛みがあるのですか?」
少し迷って、彼はまた左右に首を振ります。
そして、いつものごとくスケッチブックを開き、文字を書きます。
『多少は出せるけれど、濁声で聞いていて不快に思うでしょうし、筆談の方が俺も気が楽ですから』
「どんな声だろうと気にしません。ランス様はわたしの、この火傷の痕が気になりますか?」
わたしが自分の頬を触ると、彼はまた大きく左右に首を振ります。
「あ〝ー!!」
彼が突然大きな声を出します。
「ありがとうございます。でも、急に発声するのはよくないです。最初は小さく」
「……あー」
「声帯が完全に駄目になっているわけではなさそうです。もしかしたら、使っていないから滑らかに出ないだけかもしれません。薬や療法を用いながら、少しずつ発声練習をしていきましょう。実はわたし、ここのところ邸の専属薬師に、色々と教わっているのです」
彼は頷き、決心したように強い瞳でわたしを見つめました。
「……あ……がと……ご……います」
ランス様は時間をかけてそう言いました。
「ありがとうございますって言ってくれたのですね。こちらこそ、ありがとうございます。とっても嬉しいです」
「……おれも、うれい……です」
一生懸命出してくれたランス様の声が、優しく響きます。
不快だなんてとんでもありません。
彼の声を、ずっと聞いていたい。
そう思いました。
その後も適切な指導をしながら、熱心に練習しました。
発音は徐々に滑らかに。
その間、お互いのことを色々と話しました。
そうして数ヶ月が経ち、ランス様はすっかり普通に話せるようになりました。
ある日、テディさんが慌てた様子でランス様の部屋に飛び込んできました。
「兄が倒れました。もしかしたら、密かに危惧していたことが現実になったのかもしれません」
「きちんと詳細は調べたのですか?」
ランス様は問います。
「いいえ、簡易的な速達の手紙でしたので詳細までは」
「父の片腕である執事のクローゼンは信用が置けます。話なら彼に」
ランス様の言葉に、テディさんは頷き、また慌ただしく邸を出て行きました。
わたしはランス様とテディさんの帰りを待ちます。
夜遅く、ようやくクローゼンさんと直接話をしてきたテディさんが戻ってきました。
「適切な治療をして、今は持ち直したそうです。それで、倒れた原因は毒物でした。彼が言うには、ここ数週間、兄とフィンリーは諍いが絶えなかったようです」
「では、やはりフィンリーが」
「思い通りにならない父親が邪魔になったのかもしれません。早く爵位を継ぎたいがため、殺めようとしたのではないでしょうか」
テディさんはそう言って、苦悶の表情を浮かべます。
「……俺が甘かったのですね。まさか、父のことまで狙うとは考えもしませんでした」
「クローゼンさんもランスの身に起こった数々の不幸に疑念を抱き、警戒だけはしていたようです。しかし、事は起こってしまいました。ただ、事後の対応の手腕はさすがです。まず、倒れた兄をフィンリーの知らない信頼のおける知人の邸に移し、フィンリーがいない隙に彼の部屋に入り毒物を見つけました。そして当の本人は、自分の部屋から毒物が持ち去られたことにまだ気づいておりません。毒は気づきづらい特殊なもののようで、兄が死ななかった場合、単なる過労という理由で罷り通ると思っているようです。毒物の鑑定が終わるのも時間の問題ですし、クローゼンさんは兄の意識がしっかりしたら、兄に決定的な処罰を下してもらうつもりでしょう」
「父が心配です。会うことはできませんか?」
「私も心配です。クローゼンさんに話してみます」
テディさんが答えます。
ランス様は、わたしの手に触れました。
彼の手は少し震えています。
その日は自邸に帰らず、わたしはテディさんの邸に泊めてもらうことにしました。
一週間ほどが経ち、ランス様がわたしの邸を訪ねてきました。
「急な頼みで申し訳ありませんが、一緒に来ていただきたいのです」
彼は緊迫した表情でわたしを真っ直ぐに見ると、そう言いました。
「あれから、ルーベルト侯爵にはお会いできましたか?」
「はい。父は無事です。けれど、まだ出歩けるほど回復はしておりません。弱々しい手で俺に触れ、何度も謝ってきました。俺は父を憎んだことはありません。父上は俺の身体を気遣い、伯父に任せたのです」
彼は一呼吸置き、言葉を続けます。
「毒物の鑑定が終わりましたので、俺は父の代理でフィンリーと話をしなければなりません」
「それでわたしも」
彼は頷きます。
「迷惑だとは思いますが……」
「迷惑なはずがありません。勿論、一緒に行きます。いつでもランス様のお側におります」
ランス様は微かに笑いました。
心配するミタに見送られ、わたしは彼と共にルーベルト侯爵の邸に向かいました。
ランス様と二人で侯爵邸の室内に入ると、フィンリー様が虫を見るような表情でランス様を見つめます。
「これはこれは、兄上。お久しぶりですね。今更父上のお見舞いですか? いい療養場所があると、クローゼンがどこかへ連れて行きましたので、ここにはいませんよ。実はそろそろ危ないのかもしれませんね。ああ、そういえば兄上は口がきけないのでしたね。しかし、人形ではないのですから適当に頷くか笑うか、反応くらいはしてくださいよ」
ランス様は、フィンリー様を凝視したまま言葉を発しません。
フィンリー様は軽く首を振り、わたしに目線を移します。
「おや、不思議なこともあるものですね。兄上が連れているのは、婚約を破棄したステラ嬢ではありませんか。結局、君は僕の顔が好きだったのですね。公爵令嬢ともあろうお方が、もはや平民のような死にかけの兄に取り入って、みっともないにも程があります。僕と同じ、綺麗な顔さえついていればいいというわけですか。まあ、節操のないことですが、お似合いと言えばお似合いですよ」
彼はそう言って、嘲るように笑います。
同じ顔のお二人ですが、今は簡単に見分けることができます。
こんなにも表情で印象が変わるなんて知りませんでした。
フィンリー様の歪んだ表情を見ていると、気分が悪くなります。
「俺の天使に、失礼なことを言わないでください」
ランス様がわたしの肩を抱き、そう言い放ちました。
「ひっ?」
フィンリー様は情けない声を出し、驚愕の眼差しでランス様を見ます。
「い、今……兄上が、こ、声を、言葉を、発したのですか?」
「何を驚いているのですか。喉はとうに完治し、身体の方も回復しつつあります。今日は父の代理で来ました」
「は? 父上の代理? どうして兄上が?」
「俺が代理に相応しいからです。次期当主として尋ねます。フィンリー、自分に都合の悪い、実の身内を次々と殺害しようとした罪、どう償いますか?」
「兄上が次期当主? そんなわけがありません」
「父上から正式に任命されました。侯爵家の次期当主は俺です。父に毒を盛った証拠も、俺を火事で焼き殺そうとした証拠も、全て揃っています。今更言い逃れなどできません」
「そんなもの、あるはずない!!」
「毒物は貴方の部屋から押収して、既に鑑定済みです。火を放った御者は、国外逃亡を図ったけれど、後悔の念に襲われたのか、時が経ち真実を告白してきました。俺はその手紙を持っています」
「ぼ、僕じゃない。知らない。身内を本気で殺すはずがないじゃないか」
「貴方は昔から嘘を吐くとき、そうして吃り、口調が丁寧語ではなくなりますよね」
ランス様は冷静にフィンリー様を見ています。
「ち、違う。兄上のことを殺そうとなんてしていない。ただの脅しだったんだ。許して。許してよ、兄上」
彼はなぜか、作り笑いの媚びた仮面を貼り付け、無理に笑っています。
「父上からの寛大な処分を伝えます。絶縁、そして邸から追放する。国外でもどこへでも行き、もう二度と顔を見せるな、とのことです」
「そんなの嫌だ……。邸を追い出されたら、僕は生きていけない」
「何を言うのですか。人を手にかける非情さを持っているなら、どんな場所でだって生きていけるでしょう。心がないのですから、辛い仕事だってなんとも思わないはずです」
「どうして。そんな……」
何を言っても、もうどうにもならないと悟ったのか、彼は膝から崩れ落ちます。
フィンリー様は邸から追放されました。
彼の幼馴染のキャロライン嬢は、フィンリー様が追放されたと同時に、彼を見限りました。
彼女はただ侯爵夫人になりたかっただけで、フィンリー様に対する愛など皆無だったようです。
それから、家柄のよい男性に取り入ろうと頑張っていたようですが、悪名の高さから見向きもされず、遠縁の下級貴族に嫁ぐことになったと、風の噂で聞きました。
ランス様は次期当主として、侯爵家に戻りました。
ルーベルト侯爵もすっかり回復され、以前のように職務に当たっております。
そして、わたしたちは婚約しました。
「ステラ、今日は外が暖かいですよ。買い物に出かけましょう」
彼は唐突に訪れ、わたしを誘います。
「あまり人がたくさんいるところは……」
「ああ、確かにそうですね。世界一美しい俺の天使に、他の男が群がってくると困ります。勿論、誰にも渡す気なんてありませんけど」
彼は、わたしの杞憂と全く見当違いなことを真顔で言います。
そうしてわたしは、恥ずかしいと思いつつ、そのランス様の澄んだ偽りのない声を、一生聞いていたいと願ってしまうのです。
お読みいただきありがとうございました。
評価やリアクション等いただけましたら、大変嬉しいです。
今後の執筆活動の励みになります。




