第8話 王女が見た民衆の心――階級を超えて芽生えた真の絆
死に戻った俺は、今度は異なる選択をした。
「リベルタスを守ります」
俺の言葉に、謁見の間が静まり返った。
「何ですって?」
アリシア王女が扇子を取り落としそうになる。
「王都を捨てるというのですか?本気でおっしゃっているのですか?」
「捨てるわけじゃない。でも、リベルタスの方が今は重要だ」
俺は前回の経験を思い出しながら説明した。
「リベルタスが陥落すれば、資源供給が断たれて王国の国力が致命的な打撃を受ける。それに、辺境の民衆だって王国の大切な民だ」
「でも、王都には王城があります!国王陛下がいらっしゃいます!」
アリシアが激しく反対する。
「父上の命よりも、辺境の……庶民の命の方が大切だとでもおっしゃるのですか?」
アリシアの声には、明らかに侮蔑が込められていた。
「もし王都が陥落したら、王国そのものが終わってしまいます!たかが辺境の鉱山町一つのために、王国全体を危険にさらすなんて!」
「たかが、だって?」
俺の声が低くなる。
「5万人の命を『たかが』って言うのか?」
「私は……」
アリシアが言いよどんだ。
「数の問題ではありません。重要度の問題です。王族の命と庶民の命では、背負っているものが違うのです」
「アリシア、落ち着け」
国王が娘を諫めた。
「アキトの言葉にも一理ある。リベルタスの重要性は確かだ」
しかし、アリシアは納得していない様子だった。
「父上……本当にそれでよろしいのですか?」
アリシアは俺を睨みつけた。
「この方は、王国の根幹を理解していらっしゃらないのでは? 庶民的な感情論に流されすぎです」
「私も迷っているが、彼らを信じてみよう」
国王は俺たちを見回した。
「では、リベルタス防衛を頼む。ただし……」
国王の表情が厳しくなる。
「もし王都に危機が迫った時は、すぐに戻ってきてくれ」
「分かりました」
俺は頷いた。
その時、アリシアが前に出た。
「私も一緒に行きます」
「アリシア?」
国王が驚く。
「この決断が正しいのか、この目で確かめたいのです」
アリシアの瞳には強い意志と、どこか挑戦的な光が宿っていた。
「庶民がそれほど大切だというなら、その価値を見せていただきましょう」
その口調には、まだ明らかに懐疑的なニュアンスが含まれていた。
こうして、俺たちはアリシア王女を加えてリベルタスに向かうことになった。
* * *
リベルタスに到着したのは、魔王軍の攻撃開始直前だった。
街は既に戦闘態勢に入っており、住民たちが慌ただしく準備を進めている。
「これが……辺境の街……」
アリシアが街を見回している。その表情には、明らかに失望が浮かんでいる。
石造りの立派な建物が立ち並ぶ王都と違い、リベルタスは木造の素朴な建物が多い。道も舗装されておらず、街の人々の服装も質素だった。
「思っていたより……粗末ですね」
アリシアが小声で呟く。
「みなさん、避難の準備を!」
街の責任者が指示を出している。
しかし、多くの男たちは避難しようとしない。
「俺たちも戦う!」
鉱山で働く男たちが立ち上がった。日焼けした顔に汗と煤がこびりつき、服装も作業着のままだ。
「この街は俺たちが守る!家族を守るんだ!」
アリシアがその光景を見て、顔をしかめた。
「あの人たち、正式な軍事訓練も受けていないでしょうに……足手まといになるだけでは」
「でも、相手は魔王軍よ」
エルナが心配そうに言う。
「俺たちは鉱山で毎日危険と隣り合わせで働いてる。魔物相手だって負けやしないさ」
鉱山技師の男性が力強く言った。顔には古い傷跡があり、手は石と金属で分厚くなっている。
「それに、ここには俺たちの全てがある。家族も、仲間も、思い出も」
「全てって……」
アリシアが眉をひそめる。
「所詮は鉱山と粗末な家屋だけでしょう? 王都のような文化も芸術もないのに」
その時、街の向こうから太鼓のような音が響いてきた。
魔王軍の到着だ。
「来たな……」
俺は仲間たちと武器を構えた。
アリシアも剣を抜いている。王女でありながら、剣術の心得があるようだ。
魔王軍は前回の王都攻撃とは違う編成だった。オークやオーガに加えて、攻城兵器も持ち込んでいる。
「数が多い……」
カインが顔を青くする。
「でも、やるしかない」
俺は街の人たちに向かって叫んだ。
「みんな、力を合わせよう!この街を、この家族を守るんだ!」
「おうっ!」
男たちが応えた。
戦闘が始まった。
その瞬間、アリシアの世界観が根底から揺らぎ始めた。
鉱山技師たちは爆薬を使って魔物を吹き飛ばした。しかし、それは単なる破壊ではなく、計算し尽くされた戦術だった。
農民たちは農具を武器にして戦ったが、その動きは洗練されていた。日々の労働で鍛えられた体と、土地を知り尽くした知恵による戦法だった。
特にアリシアが衝撃を受けたのは、一人の男性の姿だった。
彼は片手に鍬を持ち、もう片方の手で小さな娘を抱いていた。
「パパ、怖い……」
「大丈夫だ、マリー。パパが守るから。お前はパパの宝物だからな」
男性は娘を安全な場所に避難させると、再び前線に戻ってきた。
そして、自分に向かってくるオークに向かって勇敢に立ち向かった。
「この子の未来を奪わせはしない!この子が笑って大きくなれる世界を守るんだ!」
その叫び声は、戦場全体に響き渡った。
「あの人……」
アリシアが呟いた。
別の場所では、老夫婦が手を取り合って戦っていた。
「おばあちゃん、危ない!」
「心配するな、じいさん。この街で60年生きてきた。この街に育てられた。そう簡単には死なんよ」
「ああ、一緒に守ろうな、この街を」
二人は息を合わせて魔物に立ち向かった。60年間共に歩んできた絆が、そこにあった。
さらに衝撃的だったのは、10歳くらいの少年が年老いた祖父を支えている場面だった。
「じいちゃん、一人で戦っちゃダメだよ」
「トム、お前は避難していろ」
「嫌だ。じいちゃんを一人にしない。家族でしょ?」
少年は小さな手で祖父の手を握り、一緒に避難民を安全な場所に案内していた。
その光景を見て、アリシアの表情が変わっていく。
「この人たちも……」
アリシアが震え声で呟いた。
「私たちと同じように…いえ、私たち以上に家族を愛してる……」
戦闘は激しさを増していた。しかし、民衆の戦いぶりは俺の想像を超えていた。
「王都の軍事顧問でも、地形をこれほど巧妙に活用した作戦は……」
農民のおじいさんが提案をする。
「あっちの崖は風向きが特殊じゃ。煙を使えば、風で敵の視界を完全に遮れるぞ」
「本当ですか?」
カインが興味深そうに聞く。
「60年この土地にいるからのう。風の向きも、雨の降り方も、全部知っとるんじゃ」
アリシアの顔が青くなっていく。
今まで彼女が「無知な庶民」だと思っていた人々が、王都の学者や軍人たちが知らない知識と知恵を持っていたのだ。
戦況が一気に好転した。
民衆の地域密着型の戦術知識、鉱山技師たちの爆薬技術、農民たちの地の利を活かした戦法。
それらが見事に連携して、魔王軍を押し返していく。
そして、決定的な場面がやってきた。
オーガの大群が農民の家族を襲おうとした時、先ほどの鍬を持った男性が立ちはだかった。
「俺の家族に手を出すな!」
男性は必死に戦ったが、オーガの力は圧倒的だった。
殴り飛ばされ、地面に倒れる。
「パパ!」
娘のマリーが泣き叫ぶ。
オーガが再び襲いかかろうとした時――
「そこまでです!」
アリシアが駆け出していた。
「私も一緒に戦わせてください!」
アリシアは民衆の中に飛び込んでいった。
「王女様?」
人々が驚く。
「王女も庶民も関係ありません」
アリシアは涙を流しながら叫んだ。
「同じ王国の民として、この街を、この家族を守りましょう!」
「この人たちの愛を……私は全然理解していませんでした!」
アリシアの剣が、オーガを見事に斬り払う。
「王女様が俺たちと一緒に!」
「よし、負けてられないぞ!」
人々の士気が一気に高まった。
戦況が劇的に好転した。
アリシアの王女剣術、鉱山技師たちの爆薬技術、農民たちの地の利を活かした戦術。
それらが見事に連携して、魔王軍を押し返していく。
特に効果的だったのは、鉱山技師の提案による地下坑道を使った奇襲作戦だった。
「この坑道を使えば、敵の背後に回れます」
「それは……」
アリシアが感動したような顔をした。
「私が知っているどの戦術書にも載っていない、素晴らしい発想です」
「戦術書?」
鉱山技師が首をかしげる。
「んなもん読んだことねえよ。ただ、この土地で30年働いてるから、地下のことは隅々まで知ってるだけさ」
「30年の……経験……」
アリシアが呆然と呟く。
坑道を使った奇襲作戦は大成功し、魔王軍は大きな損害を受けて撤退していった。
「やったぞ!」
街の人々が歓声を上げる。
「みんな、ありがとう!」
アリシアが人々に向かって叫んだ。しかし、その声は最初とは全く違っていた。
上から目線ではなく、心からの感謝が込められている。
「あなたたちこそ、真の王国の宝です!私が……私がずっと間違っていました!」
アリシアは泣きながら、先ほど助けた男性の元に駆け寄った。
「お怪我は大丈夫ですか?」
「王女様……俺なんぞを心配してくださって……」
「そんなこと言わないで」
アリシアは男性の手を握った。
「あなたが娘さんを守ろうとする気持ち……それは私の父が王国を愛する気持ちと、全く同じものです。むしろ、もっと純粋で美しいかもしれません」
人々もアリシアに向かって歓声を送った。
「王女様、万歳!」
「本当の王族だ!」
戦いが終わった後、アリシアは俺の元にやってきた。
「アキトさん、私はあなたに心からお詫びしなければなりません」
アリシアは深く頭を下げた。
その姿は、最初に会った時の高慢な王女とは別人のようだった。
「あなたの判断が正しかったのです。この人たちの価値を、人としての素晴らしさを、私は全く理解していませんでした」
「アリシア……」
「私は今まで、王城の中だけで育ってきました。民衆の本当の姿を、本当の心を見たことがなかった」
アリシアは涙を拭った。
「でも、今日初めて分かりました。真の強さとは何か、真の愛とは何かを」
アリシアは街の人々を見回した。
「この人たちは、地位や名誉のために戦ったのではありません。愛する家族のために、故郷のために命をかけて戦ったのです」
「それは……私が今まで軽蔑していた『庶民感情』そのものでした。でも、それこそが人間として最も大切なものだったんですね」
アリシアの声には、深い反省と新たな理解が込められていた。
「そうだな」
俺は頷いた。
「でも、まだ終わりじゃない。王都の様子が心配だ」
その時、王都から伝書鳩が飛んできた。
「王都も攻撃を受けましたが、何とか持ちこたえています」
手紙にはそう書かれていた。
「良かった……」
エルナが安堵する。
「でも、このままでは魔王軍がまた攻撃してくるかもしれません」
カインが心配そうに言う。
「そうですね」
アリシアが決意を込めて言った。今度の彼女の表情は、もはや最初の高慢さの欠片もなかった。
「今度は王都とリベルタス、両方を同時に守りましょう。私にはアイデアがあります」
アリシアの目には、深い愛情と、強い意志の光が宿っていた。
「民衆の皆さんの知恵と、私たち王族の権力、そして私たちの力を合わせれば、きっと両方救えるはずです」
アリシアが人々の輪に入り、一緒に作戦を練る姿を見て、俺は微笑んだ。
「あなたの……その判断力は、一体どこから来るのですか?」
ふと、アリシアが俺を見つめて言った。
「まるで、何度も同じような危機を経験しているかのような……そんな的確さを感じます」
ドキッとした。
「運が良かっただけだよ」
俺は慌ててごまかした。
「それに、みんなが完璧に役割を果たしてくれたからだ」
「そうでしょうか……」
アリシアの視線には、まだ疑問が残っている。
エルナも同じような表情をしていた。
「アキトさん、本当に不思議です。普通では考えつかないような戦術を、なぜそんなに詳しく……」
「ゲームが好きだったんだ」
俺は苦し紛れに言った。
「元の世界で、戦略シミュレーションゲームばかりやってたから」
「ゲーム……?」
エルナが首をかしげる。
しばらく説明に時間を使ったが、何とか誤魔化すことができた。
しかし、仲間たちの疑念の目は、以前より確実に鋭くなっている。
特にエルナは、俺の一挙手一投足を観察しているような気がした。
アリシアは変わった。階級の壁を越えて、本当の意味での王女に成長したのだ。
今度こそ、全てを救うことができそうな気がした。
でも、同時に新たな問題も生まれていた。
俺の秘密に、仲間たちが気づき始めている。
この秘密を守り続けることができるだろうか。