天井のシミ
数ある中からお読みいただきありがとうございます!
ホラーはほとんど書いたことがありませんが、、夏のホラー2025参加作品になります。
少しだけ親しくなった高村を、俺の部屋に初めて招いた。
六畳一間、壁の薄いボロアパート。築三十年を超える建物のせいか、空気に微かな湿気とカビの匂いが染みついている。
ユニットバスと申し訳程度の一口コンロに小さなシンク。誰もが「必要最低限」と呼ぶような、そんな部屋だった。
近くのコンビニで、ポテトチップスにチョコ、さきイカ、ナッツ、そして缶ビールとチューハイを何本か買う。
袋を下げて戻った俺たちを、薄暗い部屋の静けさが迎えた。
「⋯⋯あれ」
部屋に入ってすぐ、高村が顔を上げて天井を見つめた。
「天井のシミ、か? なんか最近、やけに大きくなってきててさ。二階のやつがビールでもこぼしたんじゃね?」
高村は何も言わず、黙ってその“シミ”を見ていた。微かにうねるように広がる、不規則な模様。よく見ると、中央に向かって薄茶色が濃くなっている。
俺は気まずさをごまかすように、ビールを開けて音を響かせた。
しばらくは大学の話、課題の話、他愛もない話に花が咲く。
やがて、話題が尽きる。
さきイカを噛む音だけが、湿った空間に響いていた。
不意に、高村がスマホをいじりはじめた。
「何調べてんだよ」
冗談めかして声をかけると、高村は無表情のままスマホをこちらに差し出した。
検索バーにはこうあった。
《天井のシミ アパート 呪い 事件》
俺が画面をスクロールすると、あるブログ記事が目に入った。
『〇県〇市──老朽化の進んだ木造アパートで、22歳の男性が熱中症により死亡。
発見されたのは死亡から数日後。腐敗と共に床に汗と体液が溜まり、階下の天井にまで染み出していた』
そこで俺の指が止まる。
⋯⋯22歳。俺と、同じ年。
「⋯⋯それ、ここの話じゃないよな?」
震える声で問うと、高村はまた天井を見上げた。
「ああ、たぶん、そう」
「たぶんって⋯⋯おい」
「その人さ、死んだまま何日もこの部屋にいたんだって。エアコンもなくて、真夏の密室で──」
高村は、そこで言葉を止めた。
「⋯⋯苦しかったろうな。水が欲しくて、水、水って、きっと、最後まで」
気づけば俺は台所へ向かい、水をコップに注いでいた。
コップを持ち上げると、なぜか手が震えた。
──これは、死んだ奴が最後に欲しがったもの。
そう思った瞬間、唇をつけるのが、どうしてもできなかった。
そのまま、コップをそっとシンクに置いた。
「俺、引っ越した方が、いいかもな」
そう呟くと、高村は小さく頷いた。
「⋯⋯ていうか、ここのアパート、お前しか住んでないみたいだし」
「⋯⋯は?」
「下のポスト、どこも名前が入ってない。郵便物も、何ヶ月も前の日付のまま」
背筋がぞわり、と冷たくなる。
「じゃ、じゃあ二階のやつは? ビールでもこぼしたって思ってたんだけど⋯⋯」
高村は首を傾げた。
「二階、空室だよ。不動産サイトで確認したけど、しばらく前から“事故物件”扱いで募集かかってる」
「でも、でも、あのシミは⋯⋯」
「⋯⋯あれはね」
高村は指を伸ばし、俺の座っている場所を指差す。
「五年前、熱中症で亡くなった男が倒れていたのが、ちょうどそこなんだって」
高村が霊感体質とは聞いていたけど、そこでようやく俺は“分かった”。
俺の座っている、布団の上。
その真上にある天井のシミが、俺を見下ろしていた。
「動けなくなって、汗まみれで、ここで死んだ。
腐敗が進んで、体液が床を染みて、天井の“それ”になったんだよ」
まるで、俺の背中に目が生えたかのように、ぞっとする気配が背を撫でる。
そのとき、部屋のどこかで“ぽたっ”と何かが落ちる音がした。
俺は慌てて上を見る。
──天井のシミの中心から、今、何かが落ちたような気がした。
「ねえ、気づいてた?」
高村がぽつりと言った。
「さっきから⋯⋯そのシミ、少しずつ動いてるよ」
俺の目は、天井に釘付けになったまま、瞬きを忘れていた。
──たしかに。
シミの“中心”が、ほんのわずかに、俺の真上へ、ずれてきている。
音もなく、じわじわと──
まるで、水を求めていた“彼”が、俺を見つけたかのように。
お読みいただきありがとうございました。