二階の行く末
その日も随分と寒い朝だった。
最近はじわじわ日常を侵食していたクリスマスムード。
今や駆け足ですぐそこまで来ている。
だが独身30代男性には関係ない話。
華やいだ飾りの一つもない洗面所で、鏡を前に色気のないネクタイを締める。
「どうして水回りなんて濡れやすいところが寒いんだ」
安アパートに住んでおいて言えた愚痴ではないと分かっている。
だが言わなければやってられんのも人情だろう。
何せ、もっと寒いであろう外へ出なければいけないのだから。
スーツのジャケットを羽織り、さらにダウンジャケットを着込み。
腕時計を確認し、それからスマホを開く。
映るのはチャットアプリのトークルーム。
内容は課長から昨晩17時付け、
『明日、署へ出頭するように』
『処分が決まったため通達する』
久々のダンジョン課は相変わらずだったが。
「こんな、だったか」
そういえば建物全体をまじまじ眺めたのは初めて来たとき以来。
あの日は夏の盛りだった。
変わったのは空だけなのに、妙に違って見えるもんだ。
あるいは、
『来る者』と『去る者』には、別の色メガネが掛かって見えるのかもしれない。
自動ドアをくぐり、エントランスに入ると。
「二階さん!」
粟根がオレを見つけ、大声を出す。
『遅延したせいで約束に間に合わなくなりそうな電車がやっと来た』
というような顔。
彼女はこちらへ駆け寄ってくると、
「二階さん」
語彙力を喪失したままオレの手を取る。
顔は青ざめ手は冷たいが、冬のせいだろうか頬と鼻先だけ赤い。
もしかしたらオレも同じ顔をしているかもしれない。
それでも、少しでも相手を勇気付けようと、オレは笑う。
「大丈夫だ。まだ何も聞いちゃいないが、命まで取られることはない」
「……はい」
しかしあまり効果はなかったようで。
粟根は軽く目を伏せた。
そのまま手を離すと、オレたちは無言のままエレベーターへと向かう。
そういえば、ここに来た初日も粟根がオレを迎えに来たのだったか。
あのときはいろいろと、先行き不安になる話をペチャクチャしゃべっていた。
彼女の人のよさだし、必要な説明でもあったし、
あるいは、何か話していないと間が持たない面もあった。
懐かしいことだ。
それが今は何もかも逆に。
単純に何を言っていいか分からないというのもあるだろう。
だが、お互い数ヶ月のあいだに、関係性も変わったのだ。
そんなことを思っているうちに、エレベーターが到着する。
乗り込んだのはオレたち二人だけ。
3階へ向かう短い時間も無言だったが、ドアが左右に開いた瞬間、
「二階さんっ! あのっ!」
粟根が意を決したように声を上げる。
少し上擦っていたか。
だが、
「どうした」
「あの、いえ、その、なんでもないです」
やはり何も言えないのだった。
ダンジョン課に入ると、
「二階さん」
「二階くん」
課員たちの視線が集まる。
最近こんなことばっかりだな。
全部自業自得ではあるんだが。
また囲まれて、戦争映画の出征シーンみたいな扱いを受けそうなところだったが、
「来たか、二階」
そうなるまえに、敷島課長がデスクから腰を上げる。
まだ始業時間(あってないようなもの)よりまえだが。
逆に今のうちに済ませてしまおうということだろう。
ならオレも時間を取らせてはいけない。
真っ直ぐデスクへ向かい、課長と正対する。
「二階宗徹、出頭いたしました」
「ご苦労」
課長は軽く頷くと、デスクの引き出しを開ける。
「本来なら警察庁に呼び出され、そこでいろいろ言われるんだがな」
出てきたのは真っ白な封筒。
別におかしくはないんだが、何やら茶色より無機質に思える。
「内々で、秘密裏に処理しろということですか」
「そういうことだ」
オレが登庁する姿すら、あまり人目に付かれたくないらしい。
つまり、たとえ苦しい言い訳であろうとマスコミに騒がれた際、
『警察上層部は関わっていません』
とゴネる余地を残したいということ。
翻って、オレへの処断に
『外からは眉を顰められるような、政治的判断が含まれている』
ということになる。
「二階警部補」
「はっ!」
課長が少し声に力を入れるので、オレも背筋を伸ばす。
他の課員の背筋も伸びるのが気配で分かる。
かえすがえす、最近こんなことばっかりだ。
「君には来年1月末日付けで
刑事課を離れ、地域課へ移動してもらう」
「……はっ」
ほっ
とした雰囲気が課内に広がる。
とりあえず懲戒免職とかではないようだ。
だがそれも束の間。
「えっ、じゃあ!?」
粟根の声が響く。
課長の視線がそちらへ向く。
静かにしろと叱られてもかわいそうだ。
「交番勤務、ということになるでしょうか」
話をオレに引き付ける。
「そうなるな」
すると課長も深く頷く。
せっかくそう気を回してやったのに、
「それじゃあ二階さん、ウチからいなくなっちゃうんですか!?」
また粟根が大声を出す。
どころかオレの隣まで飛び出してきてしまった。
「落ち着け粟根。ダンジョン前署なのは変わらん。部署が変わるだけだ」
「でも!」
「いいんだ。懲戒免職じゃないだけで温情すぎるほどだ。警察官なら減俸はあっても降格はないしな」
「二階さん!」
落ち着いてもらおうと肩に手を置くと、素早くそれを払われる。
彼女は逆にオレの両肩をつかむと、激しく揺さぶる。
そんなことされたってオレにはどうすることもできない。
粟根だってそれは分かっている。
だから、
「二階さん!!」
そう叫ぶしかできない。
「うっ、ううぅ、うぅ……!」
ポロポロ涙を溢すしかできない。
オレの胸に顔を埋めた彼女の背中に、よっぽど手を回そうかと思ったが
「すまない。おまえにはここに来てからずっと世話を焼いてもらったのにな」
「うぅ……!」
「最後まで迷惑掛けっぱなしのまま、お別れすることになってしまった」
オレにそんなことする資格はない。
何も言う資格はない。
ただ処分と、彼女の涙を受け入れるしかなかった。
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