二階宗徹31歳、島流しの夏
張り込みの夜番を終えて警視庁本庁に帰ると、辞令が出ていた。
「二階くん。君には今月、つまり6月31日付で捜査一課から外れてもらう」
「……はい」
「理由は、分かるな?」
「はい」
課長の表情は渋い。午前8時からする顔じゃない。
まぁ彼は元からこういう造形だが。
「それで、君の新たな配属先だが」
課長はデスクの引き出しを開ける。
中から出てきたのは、
誰かの今後の人生を載せるには、あまりにもペラい書類一枚。
「二階宗徹警部補」
「はい!」
「7月1日より、警視庁ダンジョン前署・ダンジョン課へ出向してもらう」
「は……?」
「返事は」
「は」
薄い紙を受け取るのに躊躇するほどの手汗は、
蒸し暑い梅雨のせいばかりではないと思う。
自分の席に着くと、隣の席の田本が首を伸ばしてくる。
「聞こえたぜ二階ぃ。おまえダンジョン前署、しかもダンジョン課だってな?」
「そうらしいな」
「バッチリ左遷くらったな」
ヤツはニヤニヤしながら、デスクを整理するオレを眺める。
「ま、仕方ねぇよな。おまえ、神野殴ったんだろ?」
「頬を利き手の右、グーで一発」
「あちゃ〜。官僚の息子殴ったんじゃなぁ? 気持ちは分かるけどよ」
「官僚の息子だから殴ったんじゃない」
「でも左遷されんのは相手が官僚の息子だったからだ」
ついに田本はこちらへ乗り出し、頬杖を突く。
「でなきゃ、よりによって『島流し署』なんかにトばされねぇ」
「片付けの邪魔だ」
バインダーで壁を作ると、ヤツはタバコを手に取り立ち上がった。
喫煙所への去り際、カタギに見えない笑みを浮かべる。
実際、そういう連中に聞き込みしやすいために作った世界観なのだが。
「気を付けろよ。ダンジョン課は日本の警察でナンバーワンの殉職率だ。南米と張れるぜ」
それは島流しではなく、処刑なのではないだろうか。
警視庁ダンジョン前署。
オレも話には聞いている。
何年かまえ、突如として中央区の人工島に巨大な大穴が出現。
しかも中身が何層にも渡る、危険な原生生物の楽園と判明してさぁ大変。
近隣住人の不安の声を受け、急遽組織されたのだとか。
しかし、
「まさか比喩でもなく島流しだとはな」
来る7月1日。
巷で人気のダンジョン配信も見ないオレが、配属されることになろうとは。
見上げた、どっかの企業の自社ビルを買い取ったらしい庁舎の向こう。
今の気持ちと真逆の朝日が、抜けるような青空に浮かんでいる。暑い。
ダンジョン前署と言っても真向かいが大穴でもないらしい。
周囲はビルだし普通に通行人が行き来しているし、
署のシャッターが降りっぱなしになるほど治安が悪くもないようだ。
まぁ好条件を並べたところで大穴が埋まるでもなし。
腹を括って、新生活に短い夢を見よう。
元が元だけあって、受付はなかなか洒落ている。
美術が万年『真面目にやってはいるから評価3』のオレでも分かる。
暑くて捲っていた袖を下ろす程度には、清潔な雰囲気をしている。
カウンターには、これまた今風な女性警官が二人。対してこちらは、認めたくないが大の31歳。
第一、第二ボタンを閉め、ネクタイも上げておこう。
「すいません。ダンジョン課にはどう行けば」
「そちらでしたら、エレベーターで3階に上がっていただいて」
荒くれ者も多い捜査一課ではついぞなかった、丁寧な対応に感動していると
「あっ! もしかして、二階さんですか!?」
背後から別の若い女性の声がする。
受付のお嬢さんの落ち着いた声に対し、いかにもお嬢ちゃんなキンキン声。
「いかにも、そうですが」
振り返るとそこには、
「お迎えにあがりました! ダンジョン課の粟根素子巡査です!」
やや小柄な女性が敬礼している。
それにしても、ダンジョン課。
改めて聞くとやはり、悪いジョークにしか聞こえない。
相手の体格もあって子どものごっこ遊びに思える。
まぁネーミングを改めたところで、ダンジョン自体が悪い冗談だが。
しかし現実問題、全てジョークではないのだ。
閉口している場合ではない。
「捜査一課、から出向してきた、二階宗徹警部補です」
そういえば、持ちネタの『捜査一課の二階です』はもう使えないのか。
聞き込みの際に市民の緊張を解す、便利ジョークだったのだが。
「ではご案内いたしますね」
「よろしく頼む」
「……捜査一課の二階さん。フヒッ」
「……」
言わなくてよかったかもしれない。
あと人が言っているのを聞いたら結構しょうもない。知りとうなかった。
「わざわざ迎えに来てもらって、すまない」
「お気になさらず〜」
粟根巡査は立てた人差し指を振ると、そのままエレベーターのスイッチを押す。
人当たりがいいのだろう。そんなオーラをしている。
人の名前で笑う失礼なヤツではあるが。
まぁ本庁と所轄は大抵仲が悪い。
そのなかで『嫌なヤツ』側から『左遷されてきた』オレは微妙な立場だ。
腫れ物扱いよりは明け透けな方が助かるというものだろう。
今後はここでやっていかなければならないのだから。
それは向こうも同じ思いらしい。
「ダンジョン課の方針なんです。『新入りさんには優しく居心地よく』」
「いいことだ」
「なんたってウチは本邦離職率ナンバーワンですから」
全然よくない。
地獄へ誘うようにエレベーターが到着し、口を開ける。
だがまぁ、今更驚くことでもない。
「その離職は、人生ごとになると聞いているが?」
「それはさすがにダンジョンに対するノウハウがなかったころの話です」
彼女はオレが乗り込んだのを確認してから『閉じる』を押す。
「今はみんな、病んで辞めていきます」
「……」
閉じるドアが収監のように感じる。
明け透けなのも考えものかもしれない。
さすがの粟根巡査も気まずく思ったか。
わざわざ振り返って笑顔を浮かべる。
「ま、捜査一課の方なら大丈夫ですよ! やることはその辺の所轄の刑事生活安全課と変わらないんで! ただちょっと規模がダンジョンなだけで」
「まったく伝わってこないという恐怖があるな」
「It’s ダンジョン・ホラー」
「そんなコズミック・ホラーみたいな」
「HAHAHA」
刑事課と同じなら、基本的には私服勤務である。
が、この目が笑っていないヤツは、着帽までしたよく見る『お巡りさん』。
おそらくは内勤オンリーなのだろう。
現場で組むことにはならなさそうだな、とアタリを付けているうちに、
エレベーターのドアが開く。
「仕事はともかく、課員はみんな気のいい人たちですよ!」
「気の、いい」
どころか、すでにフロア一帯に澱んだ気配を感じるのだが。
もしやここがダンジョンなのでは?
と言いたいのを飲み込み、廊下へ一歩出たそのとき、
『ダンジョン課に通達。ダンジョン課に通達。Dランク層内にて事件発生』
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