No.8 種蒔き
ゆっくりカーテンを開ける、明るい陽の光をを部屋の中へ充満させ、まだ眠りから覚めないでいる二人に声を掛ける。
「おはよう二人とも。よく眠れたか?」
「ふぁあ〜……っ、おはよぉ、ござ…… ますっ」
「んん、おはよ…… ございます…… 」
現在の時刻は午前八時。
既に朝食の準備と、俺が子どもの頃に着ていたらしい服をあの執事に用意させておいた。急に出掛けると言われても驚くだろうし、先に伝えてから着替えさせるか。
まずは一緒に朝食を摂りながら話を始めることにしよう。
今日の朝食のメニューは、焼き立ての柔らかいパン、芋と玉葱のポタージュ、蒸した鶏肉と林檎のサラダ、ソーセージ。弟たちは俺が食事に手を付けるのを確認すると、同じようにぱくぱくと食べ始めた。昨日は子猫のようだと感じたけれど、今は雛鳥のようだ。
「今日は何をするか予め言っておく」
「なにかあるの……?」
「…… 何?」
「出掛ける。お前たちの服や必要なものを買いに街へ連れて行く」
想像していたことと違ったのだろう。
ぽかんとした表情の二人を差し置いて、俺は話を続ける。
「俺が幼い頃に着ていた服を用意させた。それに着替えた後、出発する」
「お、おでかけっ!?」
「…… 昨日の街?」
「あぁ。二人とも食べ終わったら向こうに置いてある服を選んでこい」
俺は、弟たちの困惑した表情を楽しみながら残りの朝食をいただく。うん、美味い。
しっかり完食した二人はぱたぱた歩いて、服が掛けられているラックの前に立つと、物珍しそうに眺めている。
「…… 本当に、どれでもいいの?」
「サイズが合いそうならどれでもいい」
「こ、これっ、すっごくかっこいい……っ!」
あの男が何着か持って来たものは結局どれも礼服だったが仕方ない。少々派手な雰囲気は否めないが、今日だけの格好だ。
「あー…… それから」
思い出したかのように俺はベルを鳴らす。
執事が同行することを伝えなければ。弟たちにはあの男のことをどう呼ばせるのが正解なんだ?正解が分からない。
おい、使用人、執事、俺が考える呼び方だとどれも偉そうになってしまう。いくら侯爵家の人間だからと言って、子どもが大人に向かってそんな口の聞き方をするのは流石に品がないと感じる。せめて名前だな。
名前、か。
弟たちは俺のことは様付けで呼んでいる。馬車の中で名前を聞かれた時、とりあえず様付けでもいいかと諦めたのは、初対面の貴族の男にいきなり兄上やお兄様と呼ぶように言われても、この子たちからすれば嫌だろうし抵抗感しかないと考えたからだ。
いつか自然と兄上、お兄様、そう呼ばれる日が来るんだろうか?この俺が?いやまさか。
少し期待するように想像を膨らませていると、あの男が部屋へやってきた。
「ルディノア様。お呼びでしょうか」
「あぁ。弟たちに挨拶しろ」
弟たちは、自分たちが着る服を選んでいる真っ最中だったが、執事の姿が目に入ると少しだけ不安そうな顔付きになった。
「初めまして弟様方。私は、ルディノア様付きの執事、ジェイ・ファルーケと申します。本日のお出掛けに、私もご一緒させていただくことになりました。どうぞ、よろしくお願いいたします」
ニコニコと笑顔を向けながら、弟たちに綺麗に跪いて挨拶をした。この男はそのまま挨拶と一緒に外出先へ同行することを伝えると、至極愉しげな表情をしている。無駄にテンションが上がっていて、いつも以上に面倒だ。俺は思わず溜息を吐いてしまう。
突然やって来た執事が、自分たちの目の前で跪いて挨拶をしてきたことで、二人の頭の中は?でいっぱいになっていることだろう。
とうとう見ていられなくなり、二人の近くへ寄り声を掛けると、弟たちはハッとして名前を告げる。
「…… お前たち、こいつに自己紹介出来るか?」
「あ…… 俺はヴィクトール……」
「ぼっ、ぼくはイースレイっ」
すると、あまりにも嬉しそうに微笑む執事に、弟たちはさらに戸惑いの色を隠せないようだった。
「ありがとうございますヴィクトール様、イースレイ様。よろしくお願いいたします。私のことは、どうぞジェイとお呼びくださいませ」
「ジェ…… イ」
「はい。ヴィクトール様」
「え?あ、呼んだだけ…… 」
コミュニケーションが終わっている。
ヴィクトールは名を確認するようにジェイと呟いただけだが、この男は俺が用件を伝える時のように返答している。
この男は執事として、俺が昨日言ったことを全うしているだけなのだけれど、それにしてもやり過ぎというか、そうしろと伝えたのは俺だけど、弟たちは俺のことすら慣れていないのに、あああああもどかしい。
この調子だと余計に不安だ。
このまま出掛けたら一体どうなることやら。
「…… はぁ。とりあえず着替えるから出て行け」
「かしこまりました。それではお先に馬車を手配して参ります」
パタン、と扉が閉まる。
まだ何もしていないのにどっと疲れたが、俺は服を選んだ弟たちの着替えを手伝う。
ヴィクトールが選んだ服は紺地のジャケットにハーフパンツのセットアップ。
一見、落ち着いている色味だが、その装飾は大きめのゴールドボタンに周りは繊細なコードレースがあしらわれている。ジャケットの表地は明るめのネイビー、裏地は艶のあるラベンダー、さらにストライプ柄が入っている。
イースレイが選んだ服はジャケットではなくケープスタイルにハーフパンツのセットアップだ。色味は上品なチャコールで、襟と広がる裾にはバランス良く刺繍が施されている。
二人とも中に着たものはホワイトのシルクシャツに色違いのループタイ。うん、無難なチョイスだ。
昨日のうちに用途を伝えておいて良かった。
本来ならベストやブローチなど色々あるが、ただ街で買い物するだけだし、あまり仰々しくならないほうがいいと思っていた。
しかし、あの男は俺じゃなくて弟たちが服を選ぶことになると考えたのか、敢えてそれらを用意していなかった。やはりあの男、仕事だけは出来るな。
「出来たぞ。ほら、よく似合ってる」
鏡の前で、腕や脚を伸ばしてみたりして自分たちの着飾った姿を興味深く確認している。そわそわする気持ちを落ち着かせるように頭を撫でてやると、弟たちは二人とも照れたようにして微笑んだ。
「わあああぁ……っ!ありがとうっ!」
「こんな服…… 着たことない…… 」
ああ、可愛い。本ッ当に可愛いな。
やっぱりここにあるもの全部、仰々しくなろうが何だろうが着せたくなってきた。着飾った弟たち、あまりにも愛くるしすぎる。
「っ、さ、行こうか」
危ない危ない、このままだと出掛けられなくなってしまう。
ファッションショーはまた別の機会にするとして、俺はお馴染みの魔法で二人を抱え、玄関までテレポートする。
「!ルディノア様」
「手配は済んだか?」
「はい。では早速…… おや、そちらのお召し物、もしやルディノア様がお選びになりましたか?」
「…… いや?二人がそれぞれ選んだ」
「そうですか。お二方共、とてもよくお似合いでございます」
少し違和感を感じる質問だとは思ったけれど、この男は弟たちを蔑ろにするような奴ではない。二人のことをまじまじと、特にヴィクトールのことを何処か遠くを見つめるような目で見ていた。
「……………… 本当にご兄弟なんだな」
俺に何を聞こうが構わないが、二人に何か変に質問されても面倒だし、俺は歩く足を止めず馬車の方へ向かう。
後から着いてくるこの男が何かを聞いてきた気もするけど、よく聞こえなかった。
「ん……?何だ?」
「…… いえ、何でもございません」
「そうか。なら行くぞ」
馬車へ乗り込み、昨日弟たちと出会った街へ向かう。屋敷から近く、領地の中でも特に活気に溢れた街だ。俺が時々過ごしているカフェや本屋の前を通り過ぎ、目的地であるブティックへ到着する。
侯爵家の馬車は目立つのか、わざわざ店から店主らしき人が出てきて出迎えてくれた。
小さな店だが、この街一番の老舗ブティックらしい。
「これはこれは……!公子様ではございませんか……!う、うちのような小さな店に一体、どのようなご用向きで…… 」
「子どもの服をいくつか買いに来た。すぐに用意出来るものはあるか?」
「こ…… 子どもの服ですと……!?」
弟たちを馬車から下ろしてやるも、俺の背に隠れて話そうとしない二人を浮かせて抱き抱える。
「二人分。俺の弟たちの服だ」
店の中へ入っていくと、店主をはじめ数人の従業員はぎょっとした顔をして、ちらちらと俺と弟たちの様子を伺っている。
俺に弟がいたことを知る人はいないから当然としても、その視線と表情が少々うざい。
「…… 何だ?」
「はっ…… いえ、その、弟様がいらっしゃるとは知らなかったものでして……!」
「そうか。知れて良かったな」
「は、はい!そ、それでは、ひとまず弟様たちの採寸を……」
採寸は困る。弟たちの怪我が治ってからじゃないと肌を見せることは出来ない。二人もそれだけは嫌なのだろう、ぎゅっと俺の服を掴み、一切離れようとしない。その上、まだ二人が一言も発していないせいで、店主は酷く冷や汗をかいている。
「いや。すぐに欲しい。明日から着れるデイリー用を一式、とりあえず二十着くらい。二人分宜しく」
色々と申し訳なくなってきた。何も悪くないと言ってあげたいが、さっさと済ませて店から出るほうが余程この店のためになるだろう。
「え!?えぇ、もちろんですっ!!ただ、今すぐですと既製品になりますが、それでもよろしいのでしょうか……?」
「弟たちのサイズに合っていれば構わない。今日はあまり時間が無いしな」
「しょ、承知いたしました!すぐにご用意させていただきます……っ!!」
俺の代わりに執事がサイズの詳細を話したりと、慣れているのか正確に対応している。この為に連れてきたのだから、しっかり役に立ってもらおう。
店主と従業員たちは大急ぎで弟たちのサイズに合いそうな服や靴など、いくつも執事の確認を取りながら次々用意している。
俺たちが暇を持て余していると、一人の従業員が個室らしき場所にある大きめのソファーへと案内した。気を遣わせたのか、俺には紅茶、弟たちにはオレンジジュースを出してもてなしてくれた。
「緊張しているのか?」
「…… うん」
「ほら、オレンジジュースが来たぞ」
「わぁ…… っ!これっ、のんでもいい……っ?」
この店に入ってから二人は初めて言葉を発した。さらにイースレイは飲んでいいかと目を輝かせながら従業員に直接声を掛けた。
オレンジジュースを持ってきてくれた従業員は、その可愛さに驚いているようで明らかにイースレイよりも声が上擦っていた。
「もっ、もちろんです……っ!ごゆっくりお過ごしくださいませ!!」
警戒心の塊になってしまっている二人だったが、目の前にあるオレンジジュースには勝てなかったらしい。
「わあぁ……!ありがとうっ!」
「…… 美味しい」
「ねっ!つめたくておいしーっ!」
従業員たちは、二人がジュースを嬉しそうに飲んでいる姿を影から覗くようにして、じーっと見ていた。気持ちは分からなくもない、が、何だかあの男が弟たちへ向ける眼差しに似ており、やはり少々うざいと感じる。
「ルディノア様、大変お待たせいたしました」
「出来たか?」
「はい。お支払いまで全て済ませております」
「よし、じゃあ次に行…… あ、そうだ。店主」
実は、今日の出掛ける目的は買い物だけではない。
「はっはい!何でしょう!?」
「弟たちのジュース代だ。受け取れ」
この領地を治めるグランヴァイス侯爵家には俺だけではなく、さらに二人も子どもがいるという事実を、この街の人間に知らせに来た。
そして、その子どもたちに対してもしっかり働けば良くしてもらえる、そう噂になるように。
「ええぇっこんなに……っ!?しかし……!」
「いいから受け取れ。また宜しくな」
「はいっ!もっ、もちろんですともっ!!ありがとうございますっ!!そ、それと…… 」
「…… 何だ?」
「そちらの、弟様がご着用されているお召し物、残されておいでだったのですね…… っ」
「あ、あぁ。それがどうした?」
店主は涙ぐみながらヴィクトールを見つめ、そして俺の顔を真剣に見ながら話し始める。
「そのお召し物は昔、まだ幼かったルディノア様から礼服が要ると仰られ…… この私めがお誂えさせていただいたものでございます」
「そ…… そう、か」
「本当に、あの時は驚いたものです。ルディノア様がお一人でいらっしゃいましたから…… まだ幼かったというのにも関わらずご立派で、私は衝撃のあまり、よく覚えています」
この服に、そんな思い出があったとは。
なんて偶然だ。まさかヴィクトールが選んだ服が、この店で作られていたとは。
「…… 懐かしいですね」
「それでお前、さっき…… 」
出掛ける前、何かを言いたげにしていた執事の表情が今の表情と同じで、俺は何となくそれを理解した。
「まさかそのお品が、今日まで長く残されていたとは…… っ、それがとても嬉しくて……っ」
洋服は、ただ名ばかりが有名だったり、見栄のためだけに着る貴族へ向けた、要は金儲けの為に作る人間もいるが、この店のように小さくて有名ではなくても、思いを込めて作っている人間もまた、いるということだ。
ここに置いてある既製品もオーダーして着るような品も、そのどれもが誰かの物語の一部になると思うと、それはとても素晴らしいものだと感じて暖かい気持ちがじわっと広がる。
「…… あ、あの……!」
「……?」
ヴィクトールが店主に声を掛ける。俺の服を掴んだまま、緊張感に溢れつつも勇気を出して何かを言おうとしている。
店主はヴィクトールの緊張を感じ取ったのか、それを和らげるような穏やかな微笑みを向け、話し出すのを待っている。
「…… あの、っ…… この色とか、気に入ってて、だから…… 俺もこの服、ずっと大切にする」
ヴィクトールは今日昨日と合わせても一番の表情をしている。それはとても自然な笑顔で、店主へ素直な気持ちを伝えた。
その様子を静かに見ていたイースレイや執事、従業員たちも二人の会話を邪魔しないよう見守るようにして微笑んでいる。
「!は、はい……っ!ありがとう、ございます!」
彼らが大切に思うものを、俺も大切にしたいと思う。
「次はイースレイの服も作ってもらおうか」
「えっ……!ほんとぉっ!?やったあっ!」
「店主、お前が作れ。新しくヴィクトールのも、合わせて二着。この服は元々俺のだからな」
それがどんなものでも、その優しい気持ちにこそ価値が宿っていると感じるからだ。
「私が!?よ、よろしいのですか……!?」
「ヴィクトールも気に入ったんだろ?」
「うん、とても…… 」
「そういうことだ。それに俺も気に入っている。次の月、その時は屋敷まで採寸しに来い。あの男が迎えに行くから覚悟しておけ」
俺の発言に、店主と従業員は言葉を失っていた。
執事は胸に手を当てお辞儀をし、また何故か嬉しそうにニコニコとしている。仕事が増えただけというのに、何をそんなに嬉しそうな顔をしているのか分からない。
「…… さ、お前たち。そろそろ次に行くぞ」
俺は全員に声を掛け、この心地の良い店を後にした。
ーーその後。
「…… この領地は恐らく、ずっと穏やかだろうな」
「私もそう思います!」
「本当に、私たちは恵まれている…… 」
店は落ち着いた雰囲気に戻り、街はグランヴァイス侯爵家にいるという小さな男の子二人の存在についての話が瞬く間に広がって、しっかり噂となっていた。
二人を見かけた誰もが「まるで天使のようだったぞ!」「わざわざうちにも来てくださった!」「可愛らしいご兄弟でいらした」など、侯爵家一行の様子を気にしていたが、誰よりも一番注目されていたのは別の人物だった。
「我々はグランヴァイス侯爵家に、いや…… ルディノア様に感謝の気持ちで胸がいっぱいだ!」
種を蒔いた張本人は、今も自分がその中心に立っているという事実に気付くことはなかった。