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No.7 問題児の執事




 この屋敷に雇われた日のことを、それはそれは鮮明に覚えている。


「……………… 専属、執事……!?」


 季節は冬。


 朝から雪が降り続いていたとても寒い日。私はこの国の名門貴族、グランヴァイス侯爵家の屋敷で一介の執事として採用された。


 その日から住み込みで働かせてもらえることが決まり安心していたのだが、告げられた担当業務は、当主の一人息子であるルディノア様の専属執事という異例の人事。


 採用されたとはいえ、まだ部外者そのもののような私にあり得ない大役を押し付ける職場の現状に絶句し、驚きのあまり目玉が飛び出してしまうほど目を見開く。


 私は眼球の状態と、この屋敷で何が起こっているのかを同時に心配した。


 しかし、そんなことを一々気にしている暇もなく用意されたモーニングコートへ着替え、私の主となる御方、ルディノア様のお部屋へすぐに向かうこととなった。


 執事としての初仕事が、間もなく始まろうとしている。ノックを鳴らすための右手がぷるぷると緊張で震えてしまう。何故このようなことになってしまったのか、頭の中では少し後悔が滲んでいた。採用初日、さらに執事未経験の私に任されていいようなお役目ではないはずなのに、何故。


 きっと、何か裏があるに違いない。


「お初にお目にかかります。本日より、ルディノア様付きの執事としてお仕えさせていただけることになりました。名を、ジェイ・ファルーケと申します」


 事前情報として伝えられたのは、六歳のお誕生日を迎えられたばかりの幼い男の子、たったのそれだけ。


 あまりに情報が少なくて何かを隠しているのか?新人が宛てがわれるということからして手の掛かる我儘坊ちゃんなのか?と勝手な想像を膨らませつつ、私は気を張ってご挨拶をした。


「今後は私めに何なりとお申し付けくださいませ。よろしくお願いいたします」


 しかし、私の読みは大きく外れていた。


「…… あぁ。もう下がっていい」


 執事という仕事がどういうものなのか右も左も分からない私にとって、いきなり幼い男の子のお世話は大変かもしれないと思っていたが、この子どもは全くと言っていいほど感情の起伏が無く、完全に拍子抜けした。


 我儘坊ちゃんどころか、子どもなのかどうかも怪しいくらいに落ち着き払っている。


 ルディノア・グランヴァイスという目の前にいる小さな男の子は、子どものあるべき姿からはかけ離れており、その様を微塵も感じない子だった。


「本日も、旦那様は見つからないようです…… 」

「報告は見つかったその時で充分だ」

「…… はい、今後そのようにいたします」


 当時のグランヴァイス侯爵家は、当主であるリアム・グランヴァイス侯爵が失踪して行方が分かっておらず、屋敷の中は常に慌ただしくて明らかに人手が足りていないようだった。


 数ヶ月後、あっさり戻って来られたが、父親として息子の彼へ一言も声を掛けることはなく、まるで何事もなかったかのように仕事を再開させた。彼もそれを当然として受け入れているのか、寂しそうな表情一つされていなかった。


 当主が帰ってきても私に異動の報せはなく、そのままルディノア様付きの執事としてお仕えし続けることになった。


 何年も彼の日々を一番お側で観察してきたが、彼は貴族として身に付けなければならない教養や勉学はどれも最低限しかせず、お茶会や様々なパーティーに誘われても殆ど参加されて来なかった。


 幼い頃から人と関わることを煩わしく思っているのか、私や他の使用人たちとも深く関わろうとしない。父親との関係性を見るに、彼は愛情を受けずに育ったか、それとも単純に人とコミュニケーションを取る方法を知らないのか、どの会話一つ取っても子どもにしてはあまりに事務的だった。


 唯一確信したことは、ルディノア様は何に対してもご興味が無く、何も望んでおられないようだった。


 年頃の少年へとご成長されてもルディノア様の日々は淡々としており、然程お変わりのないご様子だった。結果、私が彼に対して抱く印象は何事にも無関心で孤独な人間だと感じ、その印象は長年、一度も変わったことはない。


 いつかこの家を継ぎ当主となられても、彼は父親と同じように、貴族としての義務を最低限に留め、刺激を求めず静かで地味な生活を送られることになるのだろう。


 そう思っていた矢先、あの事件が起きた。


「お部屋が、全壊……?」


 ルディノア様の一室が何者かによって破壊されたのだ。


 私は当時、運悪く休暇日だった為その現場を目撃することは叶わなかった。後日、お部屋の後始末に当たっていた使用人に何があったのかを尋ねてみたが、誰もその様子に立ち会った人間はいない。


 それもそのはず、彼は滅多に私以外の使用人を部屋へ近付けることはない。専属執事の私でさえ何か用がある時だけ呼ばれ、事務的な言葉を交わす程度だ。


 私は痺れを切らし、とうとう直接お話を伺ってみることにした。


「ルディノア様、少々お聞かせ願いたいのですが…… 一体、何があったのでしょうか?」


 やはり面白いことが起こっていた。


 お部屋を破壊したのはルディノア様ご本人であった。その日に起こったことを旦那様へ告げられ、魔法学院へご進学されることを決めてきたらしい。


 この夏の時期に入学するとなると編入学になるが、腐っても上級貴族である彼にとって、幼い頃からしてきた勉学がたとえ最低限であっても試験を通過することは難しくなかった。


「魔法学院へのご入学、誠におめでとうございます」

「あぁ。準備も助かった」

「とんでもございません。それと寮制度ではない為、屋敷を出て行かれることがないようで安心しておりました」


 彼は今まで、私に対して労いの言葉を掛けたことがない。当然、他の使用人たちにもそうだ。そんな彼の立ち居振る舞いにどこか不自然さを感じ、この頃から彼の様子が以前と違っていることに違和感を感じ始めた。


「…… そうか」

「そうなると、やはり幼い頃からお仕えさせていただいてる執事としては、お側に居られないと思うと寂しいので…… 」

「……?」


 私の発言に眉を顰め、何かを考えているのか黙ってしまった。あまり探り過ぎないようにしなければ変に思われてしまう。一応ルディノア様付きの執事ではあるが、この屋敷、グランヴァイス侯爵家では一介の執事。彼の一言で異動どころか暇を出すことも可能だ。


 万が一がないよう、気を付けなければ。


 彼を観察することは私の仕事であり日課でもあるのだから。


「ルディノア様。お支度が整いました」

「…… 行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」


 これは珍しい。幼い頃から感情を表に出されることがなかったルディノア様。しかし、僅かな緊張を纏っておられるように感じる。


 部屋を破壊されたあの日、何があったのかは彼以外の誰も知らない。何事も最低限しかされてこなかった彼が魔法学院へご進学し、使用人へ労うような言葉を掛け、少しだけ会話が増えた。


 珍しいことが次々に起こっていく。


 ルディノア様は学院へ通いだしてからというもの、時々外出されるようになった。これまでは用がなければ街へ出ることすら無かったが、お一人で何処かへ出掛けては適当な時間にご帰宅される。


 屋敷では自室以外にも書斎、図書室へ頻繁に出入りするようになり、そこで長い時間過ごされていた。寝室で眠ることは殆どなくなり、早朝お呼び出しが無いと分かると、まずはその三部屋から彼を見つけ出すのが私のルーティンとなっていた。


 そんな日々が約一年続き、この春、晴れて魔法学院をご卒業された。それからようやく寝室でお休みになられるようになり、ホッとしたのがつい最近のことだ。


 それも束の間、この男は新たな問題を起こした。


 小さな子どもを二人も抱えて連れ帰ってきたのだ。それも孤児らしき、貧相な子ども。


 そして彼は何の説明も無くその子どもたちを弟だと言い張り、広間では私を含む全ての使用人たちへ端的に命令すると、学院で学んできたであろう魔法をいとも簡単に発動させて瞬く間に三人とも、煙の如く消えてしまった。


 その圧倒的な魔法の力が、先程の言葉に含みを持たせる結果になることも知らないで。


「なっ、消え……!?」

「魔法学院へご進学されてから少々ご様子が…… 」

「あの子どもたちは一体…… 」

「お、おい、口を慎め!」

「言うとおりにしないとどうなることか……!」

「た、確かに…… 」


 図らずとも、たった一つの行動で使用人たち全員を黙らせることに成功させていた。


 この光景を生んだのが彼の手腕であるという現実に、私はルディノア様付きの執事であるというお役目を初めて誇らしく感じた。


 言われたとおりにお食事をご用意するだけでは味気ない。あのような孤児らしき子どもたちであれば、食事に在りつけるだけでも心底喜ぶだろうし、恐らくは何でも召し上がることだろう。


 しかし、それでは彼の執事として不完全だ。


 あの子どもたちのために完璧なお食事をご用意してみせましょう。未だ訳が分からないが、ルディノア様曰く二人とも弟にされるらしい。本当にそうなれば、近いうちにお仕えする方が増えるかもしれない。


「ありがとう。もう下がっていいぞ」


 私が彼にお仕えすることになって約十年。


 魔法学院へご進学されると決めたこと、この子どもたちを弟にすること、これで二つ目。


 彼は何事にも無関心で孤独な人間。しかし、この状況でそう評するのはいただけない。別人のようになったわけではないが、珍しい出来事とともに、少しずつ何かが変わられている。


 この感情に名を付けるとすれば、好奇心だ。私は一人の大人として、彼の変化をとても好ましく思っている。


 あのルディノア様が何かにご興味を示し、何かを望まれる。このような日が来ることを、私はずっと心待ちにしていた。


 他でもない専属執事であるこの私が、彼の望みを叶えるお手伝いに手を抜くことなどあり得ない。

 

「おや、こちらでしたかルディノア様。如何なさいましたか?」

「明日の予定と、お前の仕事を伝えておく」

「はい。何なりと」


 暫くしてお呼び出しのベルが鳴り、確認すると書斎にいらしたルディノア様の元へ向かう。


 旦那様とのお話はもうお済みなのか気になるが、一先ず明日のご予定と私に託される仕事を伺ってからお聞きしよう。親子の会話を深掘りする気はないが、あの子どもたちへの対応を聞いておく分には構わないだろう。


「明日、弟たちの服や必要になりそうなものを買いに出掛ける。お前も付いてこい」

「……!ご一緒しても、よろしいのですか?」

「俺だけではよく分からないからな。仕方ない」


 まさかだった。


 あの子どもたちのことだとは思っていたが、いくらなんでも従者のようなことを頼まれるとは夢にも思わなかった。


「承知いたしました。っ、ふふっ」

「は……?何だ……?」

「浮き立つ思いから笑ってしまいました。ルディノア様と初のお出掛けですから、私のような者がお供させていただけると思うと…… つい」


 私は執事である以上、基本的に屋敷を離れることは許されない。ここ約一年、ご様子が変わられた日からルディノア様付きの執事としての業務、他にも屋敷自体の運営で忙しかったが、その日々は充実したものになっていた。


 他の使用人からすれば特に変わり映えもなく、屋敷で仕えることは依然として退屈でつまらないものかもしれないが、長年お側で彼に仕えることが仕事だった私にとっては違う。


 最近のグランヴァイス侯爵家は、少なくとも以前のような雰囲気ではないことに早々から気が付いていた。執事長に明日の予定を報告したなら、あの日の私と同じくらい度肝を抜かすことだろう。


「遊びじゃないんだぞ。当然、弟たちも一緒だ」


 思わぬところで意趣返しが出来そうだ。


「なんと、弟様たちともご一緒させていただけるとは……!大変光栄でございます」

「あー、それと。俺が子どもの頃に着ていた服はあるか?」

「恐らく何着かは衣装部屋にて保管しているはずですが…… 礼服ばかりかもしれませんね」


 いつものように私を呼び付けて用意させればいいものを、子どもたちを気遣ったのか部屋へ使用人を近寄らせたくなかったらしい。


「あるならそれでいい。着せる服がなくてさっき適当にシャツを着せたんだ」

「……?その、シャツというのは……?」

「俺のだ。何も着せずに寝かせるのは良くないだろ?」


 今までの彼を見てきているせいで、俄かには信じ難い行動だが、ルディノア様自ら食事を与え、湯浴みをさせ、着替えをさせ、恐らくご自身の寝室で寝かせていらっしゃる。


 そこまでする価値が、あの子たちにはあるというのか。


 ルディノア様をここまでおかしな存在にした、あの子どもたちのことが益々気になってくる。


「そ、そうなのですね、っ、ふ」


 こうして書斎へ呼び付けたのも、子どもたちを起こさないための配慮だということに理解が追いつくと、気を付けていてもうっかり口元が緩む。


「…… おい」

「失礼いたしました。ところで…… お会いする前に弟様たちのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「小さい方がヴィクトールで、もっと小さい方がイースレイ。二人とも俺の弟だ」

「…… ヴィクトール様に、イースレイ様ですね。かしこまりました」


 変な表現だ。どちらも小さいと言いたかったのか、もう少し普通の表現があるだろう。


 それにしても繰り返し宣言されている「俺の弟」というこのお言葉から、ルディノア様は暗にそれを示されておられた。


「何が言いたいか分かっているな?」

「はい、承知しております」

「それでいい。とりあえず服の用意が出来たら俺の部屋へ持ってきてくれ」

「かしこまりました。後ほど、お部屋へお持ちします」


 要は、あのお二人を単なる客人としておもてなしするのではなく、グランヴァイス侯爵家の人間として扱い丁重に接する必要があり、この屋敷で働く全ての使用人が志一つにして仕えるべき立場の方々。


 そして、そうされるべき当然の権利を有している者である。


「それでは失礼いたします」


 弟様たちとお言葉を交わす時が楽しみだ。


「…… お歳を聞き忘れてしまった」


 私はこの屋敷に雇われた日の、当時の彼の姿を思い出しながら衣装部屋へと向かう。


 よく手入れされたと分かる綺麗な白銀の髪に、橙色が少し強めに輝く宝石のような琥珀の瞳を持ちながら、その姿は虚無を宿していた。


 あの日の小さな男の子は成長し、満を持して問題児となった。


 いや、お仕えし甲斐のある私の主だ。


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