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No.71 葛藤




 正式に主治医となった医療魔法使いダリアは、屋敷に出入りすることが多くなった。


 ただ、肝心の属性に関しては特定することが出来ておらず、現状は対症療法で凌いでいた。今後またイースレイの身に魔痛の症状が激しく現れ、いつ何が起こるかは分からないけれど、とりあえず今は本人が普段通りの生活を送れていることに一先ず安堵していた。


 しかし、問題はそれだけに止まらない。


「あ、兄上…… 何?」


 ヴィクトールの様子が変わった。


「あのさ…… ヴィクトール」


 あの夜からもう何日も経ったが、ヴィクトールは俺のことを避けるようになっていた。心当たりは当然ある。


「お前が見たと言っていた夢の話を、魔法を掛けたことを…… その、詳しく話を」


 少し近寄っただけで、ヴィクトールは身体を強張らせる。子どもの力では振り解けないと知っていながらも、それでも引き留めようと腕を掴む。


「ッ!俺が言ったことが変だって、兄上はそう…… 思ったんじゃなかったの……?」


 変、なんて。


 ーー俺なら!あいつのことちゃんと殺せるよ……?絶対に失敗しない…… だから、兄上…… お願い


 俺はあの時、ヴィクトールから放たれた言葉に絶句し、さらにそれが本気の表情だったことに対して上手く言えなかった。


 イースレイの兄として、可愛い弟へ何でもしてあげたいと純粋に願ったヴィクトールの気持ち自体は良いことだと思う。もちろん、俺にもその気持ちが分かる。


 しかし、魔法を教えたことで人を殺せるようになったのだと言われてしまったら、俺だって落ち込まないわけじゃない。そんなことの為に教えたつもりは毛頭無いというのに、全て俺のお陰だと宣うヴィクトールの酷く辛そうに微笑む姿に掻き乱されてしまった。


 ーーイースレイの役に…… 兄上の役に立てるよね?


 上手く何かを伝えるどころか、返す言葉が見つからなかった。もし俺がヴィクトールならきっと同じようなことを望むだろう。


 望まなければ、俺が今こうして必死になって弟たちの悲劇を回避しようとしているその行動は何なんだと誰かに指摘されてしまうだろう。要は、お前が言えた立場か?と。


「そんなことは…… 別に、気にしていない」


 それに、ヴィクトールの闇属性が発現するタイミング。本来であれば、この辺りだったのだろうか。もうすぐ十歳の誕生日だしな。


 やはり考えれば考えるほど、元の流れに戻ろうとする見えない力が働いているような気がしてならない。そうじゃなければ、あそこまでヴィクトールが豹変した理由が分からない。


 夢だのイースレイの為だの、俺にとっては悲劇の悪役暴君へ導く為に作り出された免罪符のように思えてしまう。だからこそ、ヴィクトールの本音を本音として受け入れることが出来ず、あの日の夜、俺は結局何もしてやれなかった。


「う、嘘だ!そんなの…… っ、それに俺…… あんなことしたし…… だから、兄上は…… 」


 モブだからこそ出来る、出来ない。この繰り返しの中で生まれる矛盾が俺を苛んだ。努力も何でも過程が辛いということも、さらにこれが茨の道になるのだと頭では理解している。


 俺もまた、このまま悲劇の物語に組み込まれた傀儡の一人に成り下がるのだろうか。俺がヴィクトールと向き合えば向き合うほど、ヴィクトールは悪役暴君となり損ねてしまい、自らの役に戻ろうとしてしまうのだろうか。


「俺のこと、嫌いになったんじゃないの…… 」


 その言葉に、数々の下らない思考は吹っ飛んだ。


「お、俺が……?ヴィクトールを…… 嫌いに?」


 緊急事態発生。ヴィクトールは今にも泣き出しそ、あ、もう既に涙が零れ落ちてきて、ああまずい。


 とにかく、俺が俺を慰める時間など一秒も要らない。考えるのは後でいい。俺が優先するべきことは目の前の、この可愛い弟を慰めることだ。


「…… っ、う…… うぅ…… だ、だって、俺、俺が兄上に酷いことしてっ、それでっ、変なこと言ったからもう…… 」


 そもそもヴィクトールが今、漠然と感じている不安に比べたら全部どうだっていいことだ。俺の抱えている自己嫌悪も自責の念も、今は捨ておけ。


「もう俺のことなんか…… っ、好きじゃない…… 」


 ダムが決壊したかのように泣き出すヴィクトールの涙は止まらない。宥めようと頭を撫でても、寧ろ余計に溢れ出してしまった。嗚咽を漏らしながら、ぐすぐすと泣きじゃくっている。


「ヴィクトール聞け、違う!俺がお前を嫌うはずないだろ!お前が俺を嫌うなら分かるけど!」


 俺は自分がどこまでも利己的な、そういう類の人間なのだと酷く呆れていた。そのうち弟たちからの信頼も消え、俺のせいでヴィクトールは悪役暴君となってしまうだろうと、さらに結果が着いて来ないとこうもネガティブに陥る冷静さの欠けた奴だ。


 どう考えても、嫌われるとすれば俺のほうだろ。


「へ…………?な、何で……?どういう、こと……」


 ヴィクトールは目を丸くして驚いた。止まらなかった涙の勢いも、徐々に緩やかになっていく。


「…… あの時、ヴィクトールにまた何も言ってやれなかったから。お前はただ、俺やイースレイの役に立ちたいって思ってただけなのに…… な」


 自嘲気味に笑うと、ヴィクトールは慌てて声を上げた。


「そんな、違う……!兄上は悪くない!俺がその…… 兄上のことを困らせたんだ…… だから…… 」


 ん?何故だ?ヴィクトールが避けていた理由は、俺がまた情けなくも何も言えなかったせいで呆れていたんじゃなかったのか?


「俺は兄上のこと…… 全然嫌いじゃないもん…… 」


 俺たちは二人とも、とんでもない勘違いをしたまますれ違っていたらしい。

 

「そうか…… 良かった。でもな?お前に、絶対勘違いして欲しくないのは…… 」


 もう一度、俺はヴィクトールを強く抱き締めた。


 強張るヴィクトールの身体はビクッと跳ねたが、俺はそれを気にすることなく、正直に困らせられたと前置きをした上で話し続けた。誤解を解くように、真摯に答える。


「俺はヴィクトールを嫌いにならないし、とにかく何があっても…… お前を嫌うなんて絶対にないことだ」


 俺にとっては、いや俺だけじゃない。父上も、この屋敷の人間たちからしてもヴィクトールとイースレイは二人とも大事な存在になったんだ。


「困らせられたとしたら…… そうだな。お前は色んな人に愛されているのだと、自覚してもらわないと困るよ」


 その中でまた上手くいかないことも、これから先も色々あるだろう。理不尽でも何でも、全ては悲劇を強いる物語のせいにしてしまえばいいんだ。やはり俺が何者であっても、関係無い。


「う、うぅ…… っ、ごめんなさ、い、兄上っ…… 」

「俺もごめんな。上手く言えなくて」


 俺たちの平穏に水を差すもの、全てが煩わしい。


「お前は俺の可愛い弟だ、ヴィクトール。もちろんイースレイも、二人とも大好きだ」


 だから全部、滅茶苦茶に壊してやる。


 ヴィクトールが悪役暴君となり得る芽を、一つ一つ毟り取り、悲劇の華が咲いてしまわぬよう根絶やしにする。跡形も無く消し去ってやる。その代償に、いつかこの魂が地獄へ堕ちようとも構わない。


「っ……!うん……!俺も、大好き……!」


 それが、俺の唯一の希望なのだから。


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