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No.6 安心という薬




 父上との話も終わり、俺は部屋へ戻った。


 弟たちは二人揃って大人しくソファーの上で寛いでくれていた。腹も満たされ眠気に襲われているらしく、座ったまま船を漕いでいる。静かに近寄ったつもりだったけれど、俺の気配に気が付いたヴィクトールは、目を擦りながらこちらを見上げる。


「おかえり、なさい」

「あ…… っ!おかえりなさいっ、ルディノアさまっ」


 イースレイもソファーに凭れていた背を離し眠そうな顔をしながらも俺の方を見る。気を遣わなくていいのに、と思いつつ緊張が抜けないのも仕方がないのかもしれないな。


「ただいま二人とも。少し眠るか?」

「でも、まだ夕方だし…… 」


 眠いなら先に睡眠を取ってもいいかと考えていたけど、まだ起きていられるなら先に風呂に入れてやるか。そのほうが格段に寝やすいし心地も良いはずだ。


 それはそうと、いつから湯浴み出来ていなかったんだろう。昼間はともかく、夜を外で過ごすなんて大人でも厳しい。子どもである身体でよく我慢出来たな、寒くて怖くて色々不安だっただろうに。


「じゃあ先に湯浴みしようか、俺が手伝ってやるからおいで」

「えっ、いやだっ」

「どうして?」

「いやだっ!ぼく、よごれてるっ」


 嫌だと言われても困る。汚れているなら尚のこと風呂に入る必要があるが、イースレイは尋常じゃないくらいに嫌だと繰り返す。部屋備え付けの浴室なら、使用人たちの目に晒すこともなければ弟たちが必要以上に怖がることもなさそうで都合が良い。


 もしかして、俺に手伝われるのが嫌なのか?


「使用人たちに手伝ってもらうほうがいいか?」

「も、もっといやだ!いやだいやだっ」

「イースレイ?嫌な理由を教えてくれ。そうしたら何か出来るかもしれないだろ?」

「でもっ…… でもっ」


 まずい、イースレイが泣きそうだ。


 どうしたらいい、俺はまた何かを見逃してるのか?俺が手伝うのも使用人が手伝うのも嫌だと言う。手伝ったほうが確実に汚れを落とせるし、何より子どもたちだけで風呂に入るのは危ないというのに。とりあえず、ここは一旦引いたほうが賢明かもしれないな。


 まだ何もしていないはずだけど、何故か異様に怖がらせてしまっているみたいだ。


「怖がらせるつもりは無かった」

「ちが、ちがうっ!こわくないよ、そ、そうじゃないんだ……っ」

「ん……?他に何かあるのか?」

「あの…… 俺が、話す」


 ヴィクトールは何かをグッと堪えつつ、どこか不安に揺れた眼差しで、ぽつぽつと話し始める。


「俺たちの、父親…… だった人から、いつも殴られてて、その、まだそれが治ってないから…… 」

「身体を見せるのが嫌、ということか?」

「…… うん」


 そういうことか。だからこの子たちは寒くて暗い夜でも耐えることが出来たんだ。家を出て孤児になることを選んだ時から、何日も何日も空腹で過ごすことになろうと、その怖さ全てを含めても、ここに至るまでに経験した辛さは父親から受ける暴力よりましだと思えたんだ。


 なんて悍ましい現実なんだ。


 どうしてこの子たちが、俺の弟たちがそのような目に遭わなきゃいけない。


「俺が手伝うのは…… 嫌かもしれないけど、風呂は大きいから子どもたちだけでは危ないんだ」


 いくら小説の展開だからとはいえ理不尽にも程がある。ああ苛ついて仕方がない、駄目だ、この子たちに怒りが伝わってしまう、怖がらせてはいけない。


 よし、決めた。この二人が正式に弟になったら手始めにその男を始末しよう。近いうちに必ず報いを受けさせてやる。


「それに、お前たちの怪我の状態を知る必要がある」


 これ以上、誰かに弟たちを傷付けさせない。


「…… どうしても?」

「どうしても。俺は、ヴィクトールのこともイースレイのことも大切にしたい。お前たちを守ると言っただろ?」

「うん…… うんっ……」


 身体の傷も心の傷も、放っておけば癒えるものもあるだろう。


 だけど、それは適切な方法じゃないと知っている。大したことないと思っていた怪我で傷痕が残ってしまうこともあるし、何かの体験から精神を病んでしまったりすることもある。


「どこが痛いのか、どのくらい傷付いているかを知って、ちゃんとした方法で治したいんだよ」


 小説のヴィクトールが長い間、苦しんだように。


「ちゃんとした方法……?」

「怪我したところへ薬を塗ったり、病気に効くものを食べたりして、二人の身体に合う方法で治すことだ」


 男の子だから仕方ないとかではない。痛いものは痛いし、ちゃんと治る傷なら綺麗に治してやりたいと思う。病だってそうだ、病状を軽く出来る方法があるならそうしてやりたい。小説のイースレイの病も、もしかしたら治す方法があったのかもしれない。


「でも見たら、俺たちのこと嫌になる…… かも」

「ならない。お前たちは何も悪くない」

「じゃ、っ!じゃあっ、がんばる……っ」


 俺は魔法を使って、門を乗り越えた時と同じようにソファーに座っている弟たちをふわっと浮かせ、浴室へ移動する。また急に浮いたから驚いた表情をしているが、初めて浮いた時よりも警戒心が薄れていている気がして嬉しくなった。


 この調子で魔法にも俺にも、慣れてくれるといいな。


「これ、本当に凄い……!」

「お前も出来るようになる」

「ぼくは!?ぼくも、できるよーになるっ!?」

「あぁ。俺が魔法を教えてやるから安心しろ」


 そういえば明日、父上と話す時に魔力の話題になるかもしれない。


 恐らく父上はヴィクトールに魔力があることは分かっているし、本人に伝えても問題はないと思うけれど、イースレイのことはどう伝えよう。小説で知っていることもあるけど、悩ましいことこの上ない。


「っ、これは…… 」


 明日のことを考えながら、ぽいぽいっと二人の服を脱がせると、想像していたよりも目立つ怪我が多かった。所々に大きさの違う痣や、既に傷が塞がっているものまで、弟たちの受けた暴力の名残りを目の当たりにして言葉が出ない。


 鎮めたはずの怒りが再び込み上げてくる。その男を見つけ出し、同じ苦痛を味合わせてやりたい。まだ小さい子どもに、俺の弟たちに、よくもこんな惨たらしい真似が出来たな。


 絶対に許さない。許すものか。


 ついに俺の怒りが伝わってしまったのか、弟たちはおろおろと不安そうにしている。


「…… これは、痛かったな。触れて痛むようなら教えてくれ、気を付けるから」

「あっ、うん…… 大丈夫」

「ル、ルディノア、さま…… っ」

「どうした、どこか痛いか?どうして欲しい?」


 傷に触れてしまっただろうか、イースレイの声が僅かに震えている。下を向いている顔をそっと覗き込んで表情を確認すると、きゅっと目を瞑っており、目尻には涙が溜まっているように見える。


「ほんとに、ほんとに…… っ、いやになってない……?」


 嫌になるわけがない。何度でも言おう。


 もう聞き飽きたと言われる程、繰り返し言葉を掛けよう。


「嫌になるわけがない。痛いところ全部ちゃんと治して、元気になろうな」


 二人が毎日楽しく、心穏やかに過ごせるような場所にしなくては。


「うん……っ!げんきになるっ」

「俺はお前たちが大切だ。心も身体も全部。全部俺が守るから大丈夫、心配するな」

「俺も、俺も…… ちゃんと治る?」


 ヴィクトールは俺の直球な発言に照れているのか、視線を床へ動かしつつも時々ちらっと俺の顔を見ては逸らしている。


 外では誰かに甘えたり頼ったりすることは疎か、兄としてイースレイを守ることに気を張り続けていたから、こんな風に自分に対して気に掛けられることへ慣れていないようで、どんな顔をすればいいのか分からないみたいだった。


「あぁ。安心しろ、頑張ったら綺麗に治る。一緒に頑張れそうか?」

「…… 頑張る。イースレイと、ル、ルディノア様と、一緒なら…… 」

「そうか。みんなで一緒に頑張ろうな」


 水圧で患部に痛みが響かないよう、ゆっくりと丁寧にお湯を掛けていく。ある程度の汚れを落とし、湯を張った浴槽へ順番に入れていく。二人が浸かるに丁度いい、完璧な温度だ。


 因みにこれも魔法のお陰。俺の火属性の保温魔法で、常に一定の温度になるようにしている。


「あったかい…… っ、ふぅ…… 」

「きもちいいーっ!おゆ、ひさしぶりだぁ…… 」


 コロコロと表情の変わる様子をずっと眺めていたいけれど、弟たちが逆上せてしまう前にさっさと洗ってしまおう。


 俺は風魔法を使って、ミキサーの要領で湯と削った石鹸の欠片を混ぜて、もこもことした泡を作った。二人とも、最初は楽しそうに大きな泡の塊で遊んでいたのだが、次第に頭を洗われる気持ち良さと身体が温まってきたことが相俟って再び眠りかけている。


 思ったとおり風呂場は戦場、時間との戦いだ。


 やはり、子どもたちだけで風呂へ入れるのはよくない。いつか溺れたり何かしら事故が起きてしまう気がしてならない。


 しばらく湯浴みするタイミングには気を付けなければ。子どもを育てたことなどあるわけがないし、俺はずっと一人っ子だったから効率の良い方法を知らなかった。


 これは多分、食事の前に湯浴みさせるのが正解だったな。ミスった。


「二人とも、まだ寝るな。もう少し頑張ろう」

「う、うぅー…… 」

「ん…… 起きてる…… 」


 このまま寝落ちしてしまいそうな二人を浴槽から急いで取り出す。全ての泡を流し切るとバスタオルに魔法を掛けて、ラッピングするかのように一人ずつ包んで水気を取ってやる。


 俺はそこで、ハッと気が付いた。


 何ということだ。まるで拾った野良猫が、実は純血種の猫だったという程の衝撃を食らう。


 やはり小説の主要キャラは出来が違うのか。


 外の汚れは完璧に落ち、綺麗になった弟たちからキラキラと何かしらの輝きを放っている。髪の艶のせいなのか、もしくは何処からともなく現れた謎のエフェクトが掛かっているのかと疑ってしまうくらいには輝いて見える。


「お前たち、ちゃんと綺麗になったな」

「…… 前よりも、綺麗になった気がする」

「ねっ!ぼくたちいいにおいだーっ!」


 あまりにも可愛い。何だ?この愛らしさは?

 その辺の子どもより可愛くて愛らしい。その辺の子どもを知らないけれど、それでも分かる。


 この二人のほうが遥かに可愛い。圧倒的だ。


「二人とも、少しだけ下を向いてくれないか?」

「んっ……?なぁに?」


 温風ドライヤー。俺は風魔法と火魔法の組み合わせて、この世界の文明を軽く超越した。


 前世では当たり前のようにあったドライヤーも、この世界では存在しない。充分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない、と誰かが言っていたが俺はそれに激しく同意する。


「髪、もう乾いたぞ。触ってみろ」

「えええぇっ!?なんで!?」

「ど、どうやって……?え……?」


 子どもの毛量程度なら一瞬で乾くらしい。


 俺の髪型は所謂ウルフカットで、長さはミディアム。襟足が少し長いせいで魔法でも十秒は掛かる。前世にあったような本来のドライヤーであれば、五分は掛かっていることを考慮すると、やはり本物の魔法の力は偉大だ。


 ついさっきまで濡れていた髪が、あっさりと乾いたことにより混乱している弟たちが可愛くて、バスタオルに包んだままなのが申し訳なくなってきた。この部屋がいくら暖かいとはいえ、このままじゃ風邪を引いてしまうかもしれない。


「…… お前たちの着替え、俺の服でもいいか?」

「ルディノアさまのっ!?きたいっ!!」

「うん、着る…… 」

「じゃあこっちへおいで、着せるから」


 服を着せたのはいいものの、ぶかぶかと布が明らかに余っていて、着ている意味がないような気がしてならない。


 肌に良いシルクのシャツを着せて袖を捲ってやるが、どう考えても明らかに大きい。とりあえず何も着せないより幾分ましだ、と無理矢理納得した。


 明日は弟たちの服や諸々、話し合い前に買いに出掛けることにしよう。大まかな予定を頭の中で決めて、お馴染みの風魔法を使い、弟たちをキングサイズのベッドへと運ぶ。


「わあぁ…… ふかふか…… すごぉい…… 」

「…… ルディノア、様は……?」

「ちゃんと二人が眠るまでここにいる。だから、このまま安心して眠っていい」

「うん…… 分かった…… 」


 弟たちはすぐに夢の中へ旅立った。こうして安全な場所で睡眠を取るのは久しぶりだったはずだろうから、何も気にせずゆっくりと休んで欲しい。


 俺は弟たちが完全に眠ったことを確認すると、起こしてしまわぬよう静かに部屋を出て、書斎へ向かう。


「おや、こちらでしたかルディノア様。如何なさいましたか?」


 この男と話をしなければ。


 俺の専属執事、ジェイ・ファルーケと。


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