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No.4 一人の人間




 あまり接点の無かった父親、リアム・グランヴァイス侯爵。


 俺は転生する前の、要は元のルディノア本人が、父親に対してどう呼んでいたのかを知らない。

 父さん、お父さん、パパ、どれも違う気がする。

 結局何て呼べばいいのか分からないままだけれど、大体の貴族転生ものはお父様もしくは父上だし、とりあえず俺は父上と呼んでいる。


 この約一年で会話したのも、挨拶を含めてせいぜい四、五回程度。考えるまでもなく、この父親は俺に大して関心が無いんだろう。小説の中の俺が、ヴィクトールやイースレイに無関心だったのと同じように。


 互いにモブだからというのもあるかもしれないが、俺はこの世界に生きる一人の人間として向き合ってみたいと思う。先程ヴィクトールを泣かせてしまったように、強制力の波に飲まれて短絡的に行動してしまわないよう気を付けなければ。


 執務室の前で深く深呼吸をし、ノックを三回鳴らす。


「父上、今お時間よろしいでしょうか」

「…… 入れ」


 厳かな雰囲気の漂う部屋に、気品溢れる立ち姿。まさに絵に描いたような貴族。


 俺と同じ白銀の髪に、海のように深いブルーの瞳、俺より少し背が高くてすらりとした長い手脚、もし前世の時代に生きていたらスーパーモデルにでもなれそうな見た目をしている。


 俗に言うイケおじとは、この人のような風貌の人間なんだろうな。


「視察、お疲れ様でした」


 俺が将来じじいになっても安心だ。この父に似て生まれてきて、というか運良くルディノアに転生してこられて俺は本当に恵まれているとつくづく思う。


「…… 用件は何だ」

「子どもを二人、保護しました。その子どもたちを俺の弟にします」

「な、何を言い出すかと思えば…… 」


 俺の発言に父上は呆れてものも言えないのか、眉間に皺を寄せ溜息を吐く。


 部屋をぶち壊した日に魔法学院へ進学すると言いに行った時も一切興味を示さなかったけれど、流石にこれは想定外だったんだろうな。


 さて、ここからが本番だ。俺の前世の知識、小説で得た知識で言い負かしてやる。たとえ何かを聞かれても、一旦は知らないフリをしてやり過ごすことも出来る。そもそも小説でも弟たちは必ずこの家で暮らすことになっているから、あまり心配はしていない。


 明らかに手札が多いのは俺のほうだ。


「ヴィクトール、という名の付く子どもに心当たりはありませんか?」


 ハッとした表情をし、視線を宙に泳がせている。こんなにも分かりやすく反応されては、言葉を選ぶ必要も無さそうだ。父上のこの様子からして、上手くいけば全部聞き出せるかもしれないな。


「…… それで?」


 この家に引き取る前から父上は自分に婚外子がいる、即ちヴィクトールの存在を知っているということだけは小説のお陰で分かっている。


 貴族の男が美人の平民に手を出すなど最低な戯れでしかない、もし何かあれば面倒なだけだ。特に、妊娠して生まれてきた子どもが男児であれば後継者問題に関わってくる。そして、最悪の場合は厄介な婚外子を暗殺する、そういったこともあり得るような馬鹿げた世界だ。


 父上はあろうことか、この下らない貴族社会では厄介者とされる婚外子の存在を普通に認知していて、それどころか名前まで知っている。さらにあの子たちが歩いて来られるような場所に住まわせたままだった。


「やはり、知っておられますね」


 いくらでもどうにでも出来たはずなのに、そうはしなかった。要は、父上はヴィクトールの母である人と遊びのつもりや適当な恋仲だったわけではなく、それなりに深い関係だったんだろう。


 相手との子が出来たことを喜ぶくらい、には。


「…… 何が言いたい」


 しかし小説では、父上がどんな流れでヴィクトールの存在を知ったのか物語として掘り下げられておらず、そもそも父上とヴィクトールの二人の関係についての話も出てこない。物語の流れとして、婚外子が生きていたから引き取るだけ引き取った、という見方が正しい。


 まぁそれもそうか。父上もまた、ヴィクトールの悲劇を際立たせる為に用意された一人のモブなのだから。


「出掛け先で偶然子どもたちと出会い、少し話をした後、グランヴァイス侯爵家の紋章が入ったペンダントを見せてくれました」


 小説には出てこない、俺の知らない話はどこにでもあって、誰にでもスピンオフみたいなものが存在している。俺や父上が、物語の流れを成立させる為に登場させられたモブだろうと、この世界が現実である以上、誰にでも知られざる話や個人の秘密があって当たり前だ。


 目の前にこうして存在している父上は実際、かなり人間味のある複雑な表情をしている。


「俺には、あの子たちがそれを普通に盗んだとは到底考えられないのです。では何故持っていたのか、ということですが…… 」


 俺はシャーロック・ホームズにでもなったかのように饒舌に話を進める。恰も推理しましたと言わんばかりに、じわじわと一つずつ証拠となるものを上げていく。


「家紋入りのペンダント、父上や俺と同じような白銀の髪色をした子ども、ヴィクトールという貴族のような立派な名前…… 」


 父親の浮気、いや死別しているし浮気でも何でもないんだけれど、そういったものを暴いていくようで面白い。しかも、これまで関わりの薄かった息子に、ずっと俺を放っていたくせに婚外子?ふざけるな!と糾弾されるどころか、二人とも自分の弟にすると宣言されるという妙なことが起きている。


 この状況を楽しんでいる俺とは裏腹に、勝手に変な駆け引きを繰り広げられている父上の顔はどんどん気まずそうな表情へ傾いていく。


「そして、父上が昔しばらく帰って来なかった頃のことを思い…… 」

「も、もういい私の負けだ…… 全て話そう」


 俺の勝ち。


 ただ、これだけでは満足出来ない。弟たちも交えて話する許可を得なければ実質意味がない。


 小説での展開を回避する為にも弟たちの理解を得る必要があるし、淡々と事実だけを語られ人伝にされても、二人は納得出来ないだろう。


 万が一、何かしらの勘違いや誤解があってもいけない。ちょっとした問題でも、遠い未来で幾つもの疑念が生まれ、そういうのは長く足を引っ張ると決まっている。


 言い辛くても、あの時ちゃんと話しておいて良かったと思える日が来るはずだ。こういう大事なことや自分たちに関係のあることは、全員が揃っている時に話をするべき、それが向き合うということだ、と俺はそう思う。


「それは明日、子どもたちも含めて皆で話しましょう」

「お前から伝えればいいのではないか?」

「父としての役目ですよ。俺は、あの子たちとも家族になりたいのです」

「……!その、お前…… は」


 何だろう。この人のことがまるで掴めない。父上もモブだから、じゃなくて。もう俺はそういった考えを捨てたんだった。


 そうだ。俺は今、この世界に生きているルディノア・グランヴァイス。父上の息子だ。リアム・グランヴァイスに父の役目を求めるなら、俺もこの人の息子としての役目を果たすべきだろう。


 これはきっと、俺たちが親子としての第一歩を踏み出すタイミング。小説のことは気にせず俺の意志で、この人と親子関係を築きたい。何を言われるか分からないし少し怖いけれど、ここで逃げたり誤魔化したりしちゃ絶対に駄目だ。


 この空気、この瞬間、俺も父上も互いに向き合わなければならないと感じているはずだから。


「…… 憎くないのか、私のことが」


 なるほどな。本当は父上も、内心では恐れていたんだ。


 どれだけ寂しくて辛いと嘆いても、この人の逃げ場は何処にも無い。当然のように侯爵家の当主として領地を守り、この領地に住む全ての民を食わせていかなければならない。それがこの人の、貴族の義務だからだ。


 そうしているうちに父親として息子への接し方が分からないまま時が流れてしまったんだろう。


 妻を亡くして、後に出会った人とも一緒には居られなかった。その頃にはもう父親としてではなく、この家の当主という立場でしか息子に関われなくなっていた。


 つまり、俺に孤独を抱えさせていたことや、無関心でいたことに罪悪感を感じていたというのか。


 この人が。いや、だからこそその言葉が出てきたのかもしれないと思うと、俺はより父上を理解していきたいと感じる。


「…… えぇ。憎くありません。だって」


 父上も孤独だったんだ、俺と同じように。


「父である前に、貴方も一人の人間ですから」


 俺の父親は名門貴族グランヴァイス侯爵家の当主。絵に描いたような貴族。言わずもがな、聡明な人間だ。


 父上は俺のこの言葉で、先程まで気まずそうにしていた表情が少し和らいだ。俺は言いたいことが伝わったと安心し、これまであった溝を埋めるように微笑みを返す。


「…… ルディノア」

「はい、父上」


 ようやく親子らしい会話が出来た気がした。


「…… 明日、またこの時間に子どもたちを連れてきなさい」

「分かりました。ありがとうございます」

「それから、っ…… 今日はもう、休みなさい」


 すると父上は、俺に何かを言いかけて止めてしまったようだった。


 素直な気持ち、そのたった一言を伝えるのはとても恐ろしくて沢山の勇気が要るということを、俺はヴィクトールから学んだばかり。この良い雰囲気を壊したくないし、仕方ないな。息子の俺から父上へ、一歩前に進んであげるとするか。


 思った通り、俺には手札が多いんだ。


「はい、俺は部屋へ戻ります。父上、お先に失礼します。それと、愛してますよ」


 これが息子としての役目だ、そのまま受け取るがいい。


「は…… っ、っ!?」


 決まった。ばっちり決まった。俺の圧勝だ。


 豆鉄砲を食らったような顔に思わず吹き出してしまいそうになるが、俺は言い逃げるようにして執務室を後にする。


 今までの俺、元のルディノアであれば絶対に言わないであろうセリフだったのだろう。因みに前世の俺も言ったことがない。多少恥ずかしさはあるものの、正直この父親を揶揄うのはかなり楽しい。


 それに何よりも、これを言ったことについて微塵も後悔していない。


「そろそろ無関心な父親は卒業するしかなさそうですよ、父上」


 父上とする会話の空気感は、今後も俺の細やかな楽しみになった。


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