No.3 食事は人を素直にさせる魔法
「ここが、グランヴァイス侯爵家だ」
先に馬車を降りて手を伸ばしエスコートをしてあげると、まずはイースレイが緊張しながらおずおずと手を乗せてくれた。その小さな手を優しく包み込んで、転ばないようにゆっくりと降ろしてあげる。ヴィクトールも同じようにして降ろしてあげると、ちらっとこちらを覗き込むように見上げてくる。
「どうかしたか?」
「あ…… なんでも、ない」
「そうか。なら行くぞ」
いつ魔法って必要になるんだ?と出掛ける前まで疑問に思っていたが、これから存分に魔法を使って楽していこう。
俺の得意な風魔法の一つ、まずは浮遊だ。
「っわあ!う、ういてる……っ!」
「な、なにをっ、わ……!」
ふわりと弟たち二人と自分の身体を浮かせると、門を乗り越えてそのまま玄関まで直進する。怖がるといけないので、二人を抱き抱えるようにぎゅっと両腕で固定する。左にはヴィクトール、右にはイースレイ。両手に花、いや花よりも良い、両手に可愛い弟だ。
二人分の体重を普通に抱えるのは無理だが、魔法で浮かせていれば体重は関係無い。
「魔法は初めてか?」
「は、はじめて……っ!」
他愛のない会話が出来たような気がして心が躍る。弟たちは魔法に興味津々で、イースレイは素直に喜んでおり楽しそうだった。さっきまではあんなに怯えていたのにコロコロと変わる表情が面白い。
ヴィクトールは色々と不安なのだろう、魔法にも興味ありそうだがそれ以上に警戒しているようで、まぁ色々考えるのは後にするしかなさそうだな。
何故なら、さっきから玄関扉の前に佇む一人の男が刺すようにこちらを見ているのが痛いほど伝わってくるからだ。うざい。
「お帰りなさいませ、ルディノア様」
この執事に説明しなければならないのが面倒だ。というか俺が父上と話すまでどうもこうもないし、端的に伝えたらさっさと部屋へ行こう。
「これはこれは、小さなお友達ですか?」
「いや、俺の弟たちだ」
「…… はい?」
ニコニコとしながら聞き返してくるが、俺に弟と明言されて気が気じゃないのだろう。何事だ、詳しく説明をしろと大きく顔に書いてある。
「二度も言わないぞ」
嫌味な笑顔からは強い圧を感じるが、俺はこの男の気持ちなどどうでもいい。
「その…… 旦那様はご存知で?」
「まだ。とりあえず飯にしてくれ。三人分、俺の部屋に用意しろ」
「…… かしこまりました」
玄関扉を開かせると、俺は使用人たちが左右に並ぶところをいつものように歩いていく。
しかし、弟たちからすればこの光景は恐ろしいのだろう。俺の腕の中に居るとはいえ、じろじろと品定めするかのように見られていては気分が悪いのも当然だ。
今後のためにも一言、しっかり言っておくとするか。
「この二人は俺の弟たちだ。食事を摂った後、父上と話す。それまで口を慎んでおけ。以上」
使用人たちは俺の一言で表情をハッとさせ、深々と頭を下げた。
よし、それでいい。屋敷で給仕してくれている使用人たちのことも大切だけど、俺は弟たちのほうが大切だ。今後の為にも、舐めた真似をされるわけにはいかない。
「移動するから掴まっておけ」
そう言うと、何も言葉を発さず頷くだけの二人の姿に心が痛んだ。
こんなにも大勢に囲まれて、多く視線を集めるのはさぞ怖かっただろう。申し訳ないことをしたな、早くこの場から離れて落ち着いてもらいたい。
「……………… 行くぞ」
風魔法の中でも高難易度の魔法、テレポート。
風属性かつ、魔力を多く持っている者しか出来ない魔法だ。正直なところ、これを覚えるまでのコスパは相当悪かったというか、習得するまでの演習がかなり大変だった。それでも覚えようと思った理由は、何となく、転生者として一人で生きていけるかどうか不安に駆られ、いざという時の為に覚えることにした。
しかし、これはなかなか便利だな。少し魔力が消耗する感覚はするが、この程度なら普段から使おう。
「えっ…… !?すっごおおおいっ!!」
「これが、魔法の力…… 」
一瞬で俺の部屋の中へ移動すると、弟たちは驚きのあまり目をぱちくりさせている。
ゆっくりと二人を降ろし、魔法を解除する。初めて馬車に乗り込んだ時のように、俺の部屋の中をキョロキョロと見渡している。何の変哲もない部屋だが、弟たちにとっては全てが気になって仕方がないようだった。
このままその様子を観察していたい気持ちもあったけれど、これ以上疲れさせたくはない。急いで食事にしようと思い、俺はあの男を呼び出すベルを鳴らす。
「食事はまだか」
「ご準備が出来ております。もうお持ちしてよろしいでしょうか?」
「あぁ、ここに並べてくれ」
「かしこまりました」
珍しく小言を言わず従順で気味が悪いが、気にしている暇はない。弟たちをソファーに座らせると、小さくちょこんと並んで座るその姿が可愛らしくてうっかり口元が緩んでしまった。
「これから食事が運ばれてくるが、何も気にせず好きなように食べてくれ」
「ほ、ほんとにっ……?ほんとにいいのっ?」
「あぁ。汚しても大丈夫だ」
食欲を唆る匂いと共に数々の食事が運ばれてきた。
ほかほかと温かそうなポタージュや、しっかり火の通った柔らかそうな肉、食べやすそうな温野菜が皿に沢山添えられている。
「ありがとう。もう下がっていいぞ」
「とんでもございません。それでは、失礼いたします」
それらは全て、俺が好んで食べるミディアムレアの肉、生野菜のサラダ、固いパンなどではない。どれも分かり易く子どもに合わせたような様々な種類の食事が並べられていた。
指示しなくとも、これらの行き届いた仕事が出来るのはあの忌々しい執事の采配というわけか。ムカつくが、仕事だけは完璧だと言わざるを得ないな。本当にムカつくが、な。
「さあ、お食べ」
「うんっ!ありがとうっ!」
もぐもぐと無心で食べ始めた弟たち。次々と口へ運び、美味しそうに食べている。
食べている姿って、こんなに癒されるものなのか?前世では食事の時間も常に一人だったし、それが当たり前だったから知らなかった。
「あっあのっ…… 食べない、の?」
「ん……?あぁ、食べるよ」
二人を見ているのが楽しくて、自分の食事に手を付けていなかった。初めて兄弟と食事を共にするのだから、一緒に食べないと勿体無い。
このように誰かと食卓を囲むことは、とても幸福なことなんだと俺は初めて気が付くことが出来た。
「美味いな」
「とってもおいしい…… ね!にーさんっ」
「…… うん」
ヴィクトールも味に満足しているらしく美味しそうに食べてはいるが、びっくりするくらい静かだ。
やはり先程のことで気を悪くしてしまったのだろうか。
「ヴィクトール、大丈夫か?」
「えっ…… 」
「いや、さっき広間で大勢に囲まれたから嫌な気持ちになったんじゃないか?」
「あぁ…… そうじゃ、ない。その…… 」
ヴィクトールの手が止まる。何かを言おうとしているが、言い辛いのか言いたくないのか、それ以上言葉を発することはなかった。
これから時間はあるのだから、話せるときに話せばいい。まだ二人はこの家に来たばかりだ、焦らず徐々に仲を深めていこう。
「大丈夫だ。俺はいつでもお前の話を聞く準備が出来ている。だから今すぐ無理に話さなくてもいい」
「…… うん」
「に、にーさんっ、これおいしいよ!ほらっ!」
そうだ、今は難しい話をするよりも美味しい食事を楽しむことが一番重要だ。この子たちには沢山食べてもらって、空腹を満たしてもらいたい。
イースレイは、予め食べやすいよう一口大に切られているステーキを頬張りながらキラキラと瞳を輝かせている。余程気に入ったのだろうか、ヴィクトールの皿へもどんどん肉を乗せていき、本人の許可無く勝手に盛り付けている。少し強引だが、好きなものを勧めたくなるという行動に関心する。
小説の通り、兄想いの優しい子だな。
「その肉、気に入ったか?」
「うんっ!こんなにやわらかいおにく、はじめてたべたーっ!」
「そうか。良かった」
物語の中でのイースレイは病弱だったけれど、こうして栄養をつけていけば身も心も健康でいられるはずだ。
良いことを思いついた。もし俺が毎日弟たちと一緒に食事を摂れば、二人の健康状態や好き嫌いも色々知ることが出来るんじゃないか?
我ながら実に兄らしい発想だと思っていたのだけれど、空気は一変する。
「…… っ、うう」
突然、くぐもった声が聞こえてくる。
ヴィクトールが泣いている。涙をポロポロと流し、苦しそうに顔を歪ませて泣きじゃくり始めた。
何だ?何があった?喉に何か詰まらせたか、それとも腹が痛くなったか、どうしよう、分からない。
「ヴィ、ヴィクトール……!?どうした!?」
俺は今どうするべきか、何を、どうすればいい。
「にーさんっ!!」
「だい、じょーぶ、大丈夫っ、うぅ、っ…… 」
とりあえず俺は急いで立ち上がり、対面のソファーへ座っているヴィクトールの方へ行く。
「どこが大丈夫なんだ?泣いているじゃないか」
前から両脇に手を差し込んで、ヴィクトールを抱き上げてみた。そして、そのまま一緒に座ると俺の膝の上に座らされたことに驚いたのか、ヴィクトールの涙は一瞬ピタッと流れを止めた。
「どうした?お腹が痛いか?どこか苦しい?」
「いたく、ない、っ…… あの、ぅう……っ 」
「うん?」
しかし、すぐにまたヴィクトールの目から涙が溢れ出す。一生懸命に声を出し何かを伝えようとしているが、涙が邪魔して上手く発声出来ていない。
俺は一旦落ち着かせようと思い、背中をぽんぽんと優しく撫でてやると、ヴィクトールは俺の瞳をじっと見つめ、暫くすると少しずつ言葉を繋げられるようになった。
「っこわ、こわい…… 嬉しいのに、っ、ご飯も、全部っ、でも、すごく怖いんだ……っ」
あぁ、そうか。そりゃそうだよな。
今まで平民、さらに孤児だったことで貴族に対する印象は最悪だ。それなのにも関わらず、そんな人間に声を掛けられたと思ったら弟だと言われて、流されるまま知らない場所へ連れて来られた。
俺の存在は、ヴィクトールやイースレイからすれば敵だと認識していた側の人間だ。貴族に優しくされることなんて無かっただろうし、道端では酷い言葉を投げかけられたことがあると言っていた。
きっと、それだけではない。他にも傷付いた記憶が多いように見える。だからこそ、もしもこの優しさが何もかも嘘だったら、これから自分たちはどうなってしまうのかと想像を膨らませていたことだろう。
ヴィクトールはこれまで兄として、ずっと弟のイースレイを守ってきたのだから、こんな風に扱われると何か裏があると考えるのも無理はない。
「怖い…… と、それが言い出せなかったんだな」
さらに魔法なんか使われたら自分じゃ弟は守れないと絶望してしまったのかもしれない、な。
いくら警戒しようが、どれだけ強がろうが、怖くないわけがないんだ。頭の中で過った嫌な想像がいつか現実になってしまうかもしれないと、ヴィクトールはずっと一人で怯えていたんだ。
「…… 俺は、何て馬鹿なんだ」
奴隷にするつもりかと聞かれた時、その意味を深く考える必要があった。そんなもの杞憂だと、的外れだと軽く捉えて、何のフォローもせずに笑ってしまったのだから。この子たちが感じてきたリアルな恐怖を、その実態を俺は何も分かっていなかった。
たった一言、素直に怖いということさえ言い出せずにいたのかと思うと、胸が張り裂けそうになり苦しくなる。
「ヴィクトール、俺が悪かった。びっくりさせてしまったな」
「…… うん、っ」
「俺が簡単に考え過ぎた。俺は、お前たちに出会えたことが嬉しくて、少し舞い上がってしまったんだ」
この世界に魔法が存在すると分かった時よりも、ここが俺の知っている小説の物語の世界であると気付いた時よりも、何よりも嬉しかった。ずっと孤独を感じて生きてきた俺は、弟ができるという喜びの方が何倍も大きく上回っていたのだから。
「っ……?嬉しい……?」
「そのペンダントを見せてくれた時、家族が増えると、俺に弟ができると思って嬉しかったんだ。だから…… その、早く家へ連れて帰りたくなって急ぎ過ぎてしまった」
俺はなんて安直なんだ。最悪だ。怖がらせたくないと思いながら自分勝手過ぎた。ヴィクトールとイースレイの気持ちも考えず行動した結果、このように泣かせてしまった。
この子たちを視界に捉えた途端に声を掛けたくなった衝動や、ここまで連れて帰るまでの流れが物語の強制力だったとしても、いくらでも工夫出来たはずだ。もっと二人の気持ちに寄り添って考えるべきだった。
これじゃ本当に、この子たちが恐れるその辺の貴族と何も変わらないじゃないか。
「なかないで、にーさん……っ」
ヴィクトールのことを心配そうに隣で見つめるイースレイにも片腕を広げ、その小さな肩を抱き寄せる。
俺の本心を、そのままの形で二人へ伝わって欲しくて丁寧に言葉を掛ける。
「わ、っ……!?」
「ヴィクトール、イースレイ。俺にとって二人はとても大切にしたい存在なんだ。嘘じゃない。怖くても、これだけは信じていい」
「本当……?嫌なこと言ったり、叩いたり、そういうこと、しない……?」
「するわけないだろ?お前たちにそんな酷い真似をする奴がいたら、俺が全部始末してやる」
泣いて目元が赤くなってしまったヴィクトールの不安を訴える姿が痛々しくて、せめて少しでも心に抱えているもやもやを取り除いてやりたいとと思い、俺と同じ白銀の髪をさらりと撫でる。
イースレイにも同じことをしてやりたくて、肩へ回していた腕は包み込むようにしたまま、そっと手を頭の上へ置く。小さくて丸い頭を二つ、同時によしよしと優しく撫でる。
子どもならではの柔らかい質感の髪を梳くように暫くあやしていると、コンコンコンッとノックが部屋に響く。
「ルディノア様。旦那様がご帰宅されました」
これからも強制力は生じるだろうが、ちゃんと慎重に考えて動こう。ヴィクトールを破滅させず、イースレイも病死させない。そして、絶対にグランヴァイス侯爵家を没落させたりなどしない。
「…… あぁ。分かった」
俺の気持ちは変わらない。
悠々自適な異世界転生ライフを満喫する、その為に。