No.20 紅茶の味
ニコライン殿下とアンゼル殿下は、庭園の奥の方まで進んでおり、花を眺めながら茶を飲めるよう用意された憩いの場にいらっしゃる。俺たちも手招きをされてそちらへと向かい同席させてもらうことになった。
あ、この良い香りは客間でいただいた紅茶のようだな。それにとても味わい深く、どこの国のものなのか気になっていたことを思い出した。
「こちらの紅茶は素晴らしいですね。良い香りですし、とても美味しいです」
「貴殿も気に入ったようだなっ!ここの紅茶は、あ、あの…… とにかく、美味しいと感じるのならば、よ、良かった!!」
ニコライン殿下は何かを言い淀んだらしい。
聞き返すことは失礼に値するが、俺は殿下と仲を深める為にも会話を続けたい。そう思っていると、先にイースレイがいつも俺に質問をする時のような気軽さでニコライン殿下へ声を掛けた。
「そのっ、ニコラインでんか!このこうちゃ、がいこくさん!ってきいてっ、あのっ…… それはどこのくになんですかっ!?」
「ああ…… 何と言えばいいのか…… 近くではあるのだが、少々危険というか何というか…… つ、つまり今は!そこへ遊びに行くのは難しいということだ!!」
こんなに美味しい紅茶があるのに残念だなと少しだけ肩を落とす。それにしても、国の名前を言うつもりが無いのだろうか?小さな子には言い辛いほど危険な状況にあるのか?万が一政治的なものなら、とこれ以上は聞かないでおこうと思い躊躇した。
わざわざ踏み込んで話を広げ殿下に嫌な顔をされるほうが、今から関係性を深めたいと思っている俺には都合が悪い。それに紅茶のことだ、誰か知っている人が居るだろう。また今後、カフェや紅茶の種類が豊富な店でこの美味い紅茶を飲むことがあれば、もしくはいつか茶葉が手に入った時にでも、殿下が言い淀んだ国についてそのうち知ることが出来るはずだ。
この時はまだ、そう思っていただけだった。
「ルディノア様、こちらの茶葉は一体何処で…… お土産でしょうか?」
俺たちは、庭園へ迎えに来た父上と一緒に王城から帰宅する前、ニコライン殿下が気を利かせて茶葉を一缶お土産として包んでくれていた。貴重なものなんじゃないか?と思ったが、気に入ったものならばぜひ家でも楽しんで欲しいと言われて、有り難く受け取っていた。
「あぁ。ニコライン殿下から俺たちに、と」
「あ…… 左様でございます、か」
「…… 何だ?お前もこの紅茶が好きなのか?」
帰宅後、それを執事に渡したところ何とも表現が難しい微妙な反応をされた。もしこれが有名な紅茶なのであれば口籠る必要がないはすだ。やはりその国に何かがあるのだろう、そうでなければ殿下もこの男も、こんな風に妙な顔をするわけがない。
俺はこの紅茶の原産国についてさらに気になり、この男には遠慮なく質問を投げてみた。
「いえ、実は…… この紅茶の原産地は私の故郷…… そこで摘まれた茶葉でございます」
お前か。早速、原産国を知っている奴が居た。
「故郷?それは知らなかったな。てっきりこの国の人間かと思っていた」
「…… それはそう、ですが…… この国、いやこの国の人間には認められていない地ですので…… 」
こいつは何を言っている?ここはハルモニア王国、つまり植民地は無くこの国に住む全ての民は一つとして成り立っている。もしそういった地があるのなら王国とは呼べず帝国、もしくは合衆国や別の何かだ。
現にハルモニア王国の王家があのように存在している以上、絶対にあり得ない。
「…… は?意味が分からない。まるでこの国だけどこの国ではないみたいな、変なことを言う」
今こいつが言ったことが本当なら、この国の中でおかしなことが起きている。だってあり得ないだろ?俺は小説の世界に転生してきてるんだぞ?ここはハルモニア王国だ、それは間違いない。
「ご存知では…… ありませんか?忌み嫌われた者たちが住む場所、ハルモニア王国から消されたも同然の、あの地のことを…… 」
ここで俺はようやく自分の勘違いに気がついた。
ニコライン殿下も危険だとは言っていたがそれを国とは言っていなかったし、この男も原産国とは言わず原産地と呼んでいる。それに俺も、あの紅茶の風味から勝手に外国産だとばかり思っていたが、そうか。気が付かなかったけれど、そういうことだったのか。
この国で現実にあるその常識を、俺は思い出した。
「そういうことなら…… お前は、まさか……?」
ジェイ・ファルーケの故郷。
ということは、限りなくこの男はそうなのだろう。俺も初めて知ったし初めて会う種類の人間、いや完全な人間ではない。
「…… 私は、獣人でございます。種族は鷹の…… 鳥獣人です」
「そう、か。知らなかった」
「はい…… ですから覚悟は、出来ております」
覚悟?これはまた一体、何の覚悟だ?
「は?何の…… 何がだ?」
「えっ……?と、その、お屋敷を解雇される覚悟ですが……?」
「…………?何で解雇を?するはずがないだろ?」
俺たちの間に静かな、というか互いに疑問が拭えないと言わんばかりに不思議な間が流れる。
「お暇を出さない、と?そう…… ルディノア様は仰られていますか?」
「あぁ。何で突然そう思ったのか分からないが、とにかく俺はお前が獣人だろうが別に関係ない」
「本当、です…… か?まだお屋敷に居ても……?」
この男は屋敷に十年も前から仕えている。当然その年月だけの信用があるし、俺が転生してきてからも何もおかしな点はなく真面目に働いている。それどころかこいつは、まあ、忌々しいくらい仕事が出来る。
獣人?じゃあお前クビな、と急に解雇する馬鹿が何処に居るんだ?それに獣人と言われても、この男から微塵もそれらしさが伝わってこない。
「当然だろ?俺が気にしないのだから。隠しておきたいならそうすればいいし、公言しようが追い出したりしない。ここで働くのも辞めるのも、お前が決めろ」
こいつの驚いた表情からそれが現実に起きていることなのが容易に察しがつく。俄かには信じ難いが、俺がそうじゃないだけで獣人を嫌がったり、必要以上に怖がって排除する奴らは大勢居るんだろう。
「…… 私は、十年前から行く当てもなく、このお屋敷に人手が足りないことを知り転がり込んだようなものです」
この国には獣人をはじめ排除された者たちが集まるところがある、そしてその地で栽培された茶葉だったことから殿下は言い淀んだのか。
何が危険だ、と思いつつもそう言うしかないのも分かる。小さい子が興味を示して訪れても何も良いことはないだろう。しかも今や弟たちは貴族、要するに排除する側に立っているようなものだ。
「ですが今は…… 望んでここに居たいと、そう思っております。ルディノア様に、もちろん何方にもご迷惑は掛けません、お約束します。ですからどうか、どうかこのままっ…… 」
「もし俺が暇を出すなら、お前がまたそんなくだらないことで今みたいに泣きそうな変な顔をした時、かもな?」
俺は冗談めかしに意趣を返した。これで、俺が解雇するつもりが無いと伝わったはずだ。
忌々しいが、この男が突然居なくなるほうが困る。誰でも専属執事の仕事が務めるわけじゃない。仕事が出来る有能な奴を、獣人だからと簡単に手放すなんて真似はしないししたくもない。
「し、失礼、いたしました」
何よりも弟たちが何故か!何故かこいつに懐いている。ああ忌々しいやっぱり解雇し、いや待て冷静になれ、そんなことをしたら俺が弟たちに嫌われる。
仕方がない、最初から考えていたようにこいつにはこのまま俺の専属執事として働いてもらおう。獣人だろうが何だろうが知らない、俺には関係ないことだ。役に立つなら何者でもいい。
「今までと何も変わらない。俺の専属執事はお前しか居ないのだから、さっさとその美味い紅茶を淹れてくれるか?ジェイ・ファルーケ」
これからもこき使ってやるから、その覚悟だけは今からでも充分にしておけ。という気持ちを盛大に込めて、俺はこの男の名を呼ぶ。
「……!はい、只今。すぐにご用意をさせていただきますね」
にっこりとした、その顔は煩いが今日だけは紅茶に免じて許してやるとするか。この国で起きている問題というか現実について、俺はあの時ニコライン殿下に直接お聞きしなくて良かったと胸を撫で下ろす。政治的なことかと思ったが、まさにそんな感じだった。
しかし、王宮でもその紅茶を嗜まれていることから話題として触れてはいけない、というほどでは無いのか、俺はどの辺りに超えてはいけない発言や何の話題に対して線を引けば良いのか、その見極めは難しいと感じる。何度も殿下にお会いして、少しずつ仲を深められたらいつか分かるだろうか。
俺は執事が淹れてくれた紅茶を口に運びながら、頭を動かす。とりあえず今は、この男から知りたいことを聞けるし丁度良い。
「あぁ、そうだ…… もう一度聞くがお前は鷹?なんだよな?」
「左様でございます。しかし私は半分人間、半分鳥獣の形ではなく…… より人間に近い血を持ち獣人としても半端な、そういう異種類の者です」
まず、ハルモニア王国には人間、それも限られた貴族にだけ強い魔力を持つ者や魔力量を多く持って生まれてくる者がいる。この俺、ルディノアの生まれでもある名門貴族グランヴァイス侯爵家、つまり上級貴族にはそういった魔力を持つ人間が生まれやすく、領地運営で成果を出して国に貢献し、高い爵位を持つことを認められてきた。
魔力を魔法として使うことで、生み出したものが人々の生活を豊かにすることに繋がる。例えば、俺が弟たちを湯浴みさせた時のように湯を一定の温度で温め続けたり、ドライヤーのように髪を一瞬で乾かしたりと魔法を使ってちょっとした便利なことが出来る。
簡単に言えばそういった便利さを当たり前に使えるように魔力を持つ貴族は、納められた税を領地に住む領民へ還元する。魔法付与したものを各地へ提供したり、または父上のように視察へ赴き問題があれば魔法を使って解決したりする。
「…… 言いたくないことは言わなくてもいいが、獣人について色々と聞きたいことがある」
魔力自体は遺伝しやすい。しかしそれは魔力があるかないかの話であって、魔力の量は個人差があり属性はそもそも遺伝しない。
下級貴族だからいって魔力が弱い者たちだけが集まっているわけではないが、結局魔力が少ないと出来ることも少なくなる為、目に見えて分かりやすく成果を出せない。領地を運営する上で不利になるというか、普通の運営の仕方になる。
「何なりと仰ってください。ルディノア様に私が話せぬことなど一切ございません」
「…… じゃあまず、お前について聞こうか。その獣人としても半端な異種類の者、というのは?」
そして獣人。血の半分は人間、半分は獣。
しかし、この男は獣人の枠からも外れた異なる存在らしい。こいつのことを知りたいというわけではないが、知っておいて損はないし寧ろ何がそんなに恐れられているのかを把握しておきたいと思った。
「人間に近い血を持つ者自体は少ないのですが、時々そういう異端な存在が生まれることがあります。獣人というだけでも忌み嫌われますが、それは普通の人間からだけで…… 」
執事は少々俯きながらも、至極当然のように、何の抑揚もなく淡々とした口調で話を続ける。
「それでも不都合は多いのですが、私たちのような者は獣人たちからもよく思われません。恐らく人間として隠れて生きていきやすい、と妬まれているのでしょう。実際に私は紛れ込めていますし、獣人としてではなく人間として生きております」
人間の血が濃い者が獣人の中にもいる、ということは殆ど人間と変わらないが獣人である何かその要素がある。こいつの何処に?見てくれだけでは何も分からない。背中に羽根でもあるのか?それなら早々に、誰でも気が付くはずだ。
「それは人間、とは言えないのか?」
「はい。獣人は獣人に気が付きます。どれだけその血が薄くても、匂いで分かるのです」
「…… 人間の俺からすれば、何も分からないな」
「人間如き…… いえ、人間には察知出来ないほど微量でして、それに獣人特有の匂いというもの…… がありますから余計に分からないことかと」
こいつの腹黒さが露呈しつつあるが、俺もこの男に踏み込んだことを聞いているし、一旦何も言わないでおく。
「なるほどな。逆に、何かしら獣に近い血を持つ者は獣人たちから好かれているのか?」
「好かれているというか…… まあ、そうですね。どちらかというと利用されていると言ったほうが合っている気はします」
この男の発言とは到底思えない流れるように放たれた物騒な言葉は、大きくて速い川の流れを急には堰き止められないのと同様に、この国で起きている問題を簡単には解決が出来ないことを表現しているかのようだった。
「人間の世界にもございますよね?簡単に利益を搾取することが出来る、そんな夢を叶える素敵なお手伝いをする存在を…… 」
この国の人間に認められない地、そこで摘まれている茶葉は、排除された者たちの主な収入源となっていることだろう。普通の人間と同じように普通に働いたり普通に生活が出来ない獣人も、さらに獣の血が濃い獣人も、結局やってることは同じ。それが正当なものであるかどうかは、普通の生活を営めることが保障されている立場の人間、普通の人間社会だけの話だ。
さらに言うと貧しい国ではなんてことない、それも獣人ではなく、人間が人間に。他の国ではそれが普通の社会の制度として成り立つ現実も、存在している。
言葉の続きを待たなくても容易に理解出来る。
「つまり、奴隷ですよ」
俺は、舌に残る茶渋のしつこさを確かめるように喉を鳴らして嚥下した。




