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No.14 夢幻劇




 真っ白な花が咲き乱れている。

 まるで大地に降り積もった雪のような、その景色は一面に、何処までも広がっている。


「…………?」


 ここは?ん?何か、普通に歩けてるぞ?


 夢にしてはやけにリアルというか、かなり意識がはっきりとしている。もしかして、これが俗に言う明晰夢というやつか?それならちょっと嬉しい。そういう変な夢、見てみたかった。


「…… 何でなの……?どうして……?」


 遠くの方で子どもが泣き啜る声がする。


「うっ、ううっ、かあ…… さ、っうああ…… 」


 よく見慣れた白銀の髪。小さい男の子。

 俺の可愛い弟が、背中を丸めて泣いている。


「ッヴィクトール、ヴィクトール!」


 泣くなと頭を撫でて慰めてあげたいのに、走っても走ってもヴィクトールの元へ辿り着かない。何で?こんなに走っているのに、全然辿り着かない。俺は次第に息が切れ、そのままごろんと寝込ぶように真っ白な雪へ身を沈めた。


 雪?違う、さっきは花で、っ?あれは、誰だ?


「…… あの場所へ行きたいのか?」

「うん…… もう何の意味も、無いんだ」


 誰かと話しているヴィクトールの背中が見える。辺りは真っ暗なのに、二人の姿にだけスポットライトが当たっているような、そんな光景に目が釘付けになる。


 しかし、いくら目を凝らして見ても、その姿をはっきりと捉えられない。


「…… ずっと探してるんだ」


 何を?何を探してる?さっきから声が遠くて、よく聞こえない。何だ?何が欲しいんだ?お前のためなら俺は何でも探してやるぞ。この国に無いのなら、地の果てまででも、何処へだって探しに行ってやる。


 ふと、濡れた感覚がして足元を見る。これは、血?


 思わずバッと振り返ると俺が走ってきた足跡は赤く、真っ赤に、いや黒に近い、濃い血のような赤色で染まっている。


「!?っ、な…… 何だ……?」


 ヴィクトールがいた方へ顔を向き直すが、そこにはもう誰も居なかった。俺はただ呆然とするしかなく、何もない暗闇を見つめていた。


 足元は白く、元に戻っていた。


「…… 何処にも、無い」


 今度は誰の姿も見えず声しか聞こえないが、その声も相変わらず遠くて、よく聞こえない。

 もし近付くことが出来たらはっきり聞こえるようになるのかもしれない、そう考えたけれど、姿が見えないんじゃ近付くことも出来ない。


「ヴィクトール……?大丈夫、なんだよな?」


 とにかく前へ前へと走ってみた。何処に居るかは分からないけれど、声が聞こえたような気がする方向へ、とりあえず走り続けてみた。


 ぐしゃ、と花を踏み潰す音がする。


「何処に居る?お前もここに居るんだろ?」


 返事は無い。それに、声も全く聞こえなくなった。辺りを見渡すも、先程のようにライトが当たっている場所も見当たらない。


 すると、やはり姿は見えないが何かが聞こえてきた。最初は小さな音でよく分からなかったが、それは徐々に大きくなり、ようやくその音の正体が声だということに気が付いた。


「無い…… 」


 その声はこの暗闇中に響き渡るほど大きくなっていき、やがて悲鳴のようになっていく。


 声は俺の鼓膜に、頭に、ガンガンと響く。


「無い…… 無い、無い無い無い無い無い無い」


 無い。劈くような声はあまりにも辛くて胸を刺すような痛みを長く耐えているような、酷く苦しんでいるのが尋常でないほど伝わってき、ッ?な、何、え、あれ?胸が、苦しい、何?何だ、辛い、苦しい、痛い、息が吸えな、息、くるし、い、くるしい、苦しい、苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい、苦しい。


「や、やっと…… やっと見つけた…… っ!」


 はっ、と突然、胸の痛みや苦しさから解放される。俺はようやくまともに息が出来ることに安堵した。


 ああ、良かった。というか何だ?何だったんだ?


 そもそも夢の中なら痛みを感じないんじゃないのか?それとも明晰夢だからか?こんなにもリアルに感じるものなのか?


 それにしても、今の感覚は一体。


「…… 何処に居る?ヴィクトール?」


 真っ白な花が咲き乱れている。

 まるで大地に降り積もった雪のような、その景色は一面に、何処までも広がっている。


 そんな広い大地の上、遠くの方で誰かが立っているのが見える。


 本?その手に持っているのは、ん?いや、あれはただの紙?何だろう、またよく見えないな。それでも、誰かがそこに居るのは分かる。


 真っ暗な闇の中たった一人、静かに佇んでいるその人を際立たせるように、大袈裟にスポットライトが当たっている。




 白銀の髪、少年。


「…… これで、叶うんだ」




 琥珀色の、瞳。


「は、っ………………!?」






「オルフェウス」






 ーーどうして。何故それを、何故。その言葉を、今。




 あの小説は、物語は、悲劇は、その全ては。


「…… 渇、き」




 目が覚める。


 短いのに、酷く長い夢だと感じた。


「あ……!兄上、兄上が目を、目を覚ました!!」

「かわ……?のど?のどがかわいたのっ?ちょっちょっとまっててっ!!ぼくおみずとってくるからっ!!」

「水ならここにある!それより父上を呼んできて!」

「まかせてっ!!ジェイいっしょにいこっ!!」


 ヴィクトール、ああ、良かった。やっと本物のヴィクトールに会えた。


 俺は手を伸ばして、その小さな手を握る。


「兄上…… 良かった、兄上は俺のせいでっ…… ぅう、っ、っとに…… 本当にごめんなさい……!」

「ヴィクトール…… お前のせいじゃない。大丈夫だと、そう言っただろ?」

「なっ…… 何も大丈夫じゃない!!もう三日、兄上は三日も眠ったまま起きなかったんだ!!」

「………… そんなに?」


 目尻に涙を溜めて謝罪するも、ヴィクトールは感情の行き場を見つけたと言わんばかりにその怒りを俺にぶつける。それと同時に、心配や不安までもが震えた声から素直に伝わってきた。


 俺のことで胸を痛めて泣いている姿に、早速あの誓いを破ってしまったなと情けなくなる。


「うん…… だからもう起きない、かもって…… 」


 愛らしい笑顔を見たいのに、どうして俺はいつも怖がらせてしまったり、こんな風に泣かせてしまったりするんだ。ああもう、本当に情けない。酷い兄だな、俺は。


「俺も心配掛けて、本当にごめんな…… 」


 こんなことでは明るい未来をプレゼントするどころか、俺が台無しにしてしまうんじゃないか?と頭を抱えてしまいたくなった。仮にも今その仕草をすれば余計な心配を掛けてしまうだろうなと思い、俺はその衝動をぐっと耐える。


 ぱたぱたと扉の方から足音が聞こえてくる。どうやらイースレイと執事が父上を連れて、部屋へ戻ってきたようだ。


「おにーさまっ!!」

「身体は大丈夫か?ルディノア」

「もうへーき……?もうだいじょーぶ……?あっ、おみずのんでねっ!はいっどーぞっ!」


 俺は上体を起こしてヘッドボードに背を凭れさせて受け取った水を飲む。俺は先に「ありがとう」と言い、まだ心配そうな顔をしているイースレイの頭を撫でてから父上に返事をした。


「はい、心配ありません」

「心配ない…… わけがないだろう?すぐに医者を呼ぶ。お前はそのまま大人しくしてなさい」

「…… 分かり、ました」


 あの執事も心配そうに、いや少々呆れた顔をしつつも医者を呼んで来てくれた。俺は診察を無事に終えると、父上からの怒涛の攻撃が始まった。


「まったく…… あの時イースレイが私の元へ来てくれていなければ、お前はさらに寝込むことになっていただろう」

「…… 助けていただき、ありがとうございます」

「一応、二人から話は聞いているが…… 釈然としないな」


 怒っていらっしゃる父上を見るのは初めてで、俺は何も言えない。いつもなら父上に優位を取るのは俺のほうなのに、今日は揶揄うどころではない。


「申し訳ございません…… 俺の実力不足です」

「そうではない…… 頭に魔力が直撃した上に自分の魔力まで流しただろう、それを私は…… とにかく、私が来るまで待てば良かったものを」


 弟たちの前で堂々と説教をされる俺の姿に二人はおろおろとしており、俺と父上の様子を交互に見ては、何故かあの執事に助けを求めるように目で訴えている。当然、首を横に振られてしまい、二人は耳の垂れた子猫のようにしゅんとしてしまった。


 可愛、いや、本当に情けない兄で、ごめん。


「確かに、ご心配を…… おかけしました」

「…… あまり無茶をするな」

「はい…… ありがとうございます」


 仕事に戻る、と言い父上はそのまま部屋を後にした。俺はようやく肩の力が抜けて、ふうっと一つ息を吐く。


「ふう、じゃありませんよルディノア様」

「今度はお前か」

「開き直られて…… そのご様子では旦那様も気が気ではないでしょうね」


 この男はこれ見よがしに俺に不満を零す。いつもは顔が煩いけれど、今日は本当の意味で煩い。


「仕方ないだろ?それより、ヴィクトールはこの三日、大丈夫だったか?」

「はい、ご体調も良さそうでした」

「そうか。それなら良かった」

「よ、良くないよ…… 兄上が倒れちゃったのに、俺は…… 」

「お前のせいじゃない、俺が無理をしてしまって倒れた。二人とも、助けてくれてありがとな」

「…… 助けてくれたのは兄上だよ、あの時とても怖かったから…… 本当に、ありがとう…… 」


 ヴィクトールは何故あの時、魔力が溢れたんだろう?それに、あれは明らかに魔力暴走のような感じだった。溢れる、ではなく。意志を持って魔力を放出させたような、そんな感じがした。


 あの時、一体ヴィクトールに何が起こったんだろう。


「ぼくもっ…… おにーさまたちがたいへんだったからっ…… とってもこわかったっ…… 」

「ごめんなイースレイ、心配させた」

「でもたすかったから…… よかったっ、ねっ?」


 良かった。確かに良かった、けれど。


「おにーさまっ?」

「兄上……?」


 ーーあの夢の中に居たのは、俺?


「あ、あぁ。そうだな、良かったよ」

「うんっ!もうたおれないでねっ!」

「兄上、その…… また、授業してくれる……?」

「もちろん、当然だろ?一緒に頑張ろうな」

「う、うん……!」


 二人の頭を撫でながら、あの夢のことを思い出す。


 あれは本当に夢だったのか、もし夢じゃなければ何だ、あの場に居た俺は誰なんだ、いや間違いなく俺だった、でもあの俺は一体、誰と会話していたのか、それにオルフェウス、とそう言っ、て。


 その言葉を何故、どうしてそれを、俺は。


「………… ルディノア様」


 ハッ、と俺は頭の中に入り込んでいた意識を現実に戻す。


「…… 何だ」

「お食事にされませんか?栄養を摂らなければ、考え事も捗りませんよ」


 目敏く俺の様子に気が付いていたこの男は、余計な一言を加えた上に、にっこりと煩く聞こえてくるほどの笑顔を俺に見せつける。いつも通り、いやそれ以上に色々うざいな。


「……………… あぁ。そうだな」

「それでは、ご準備をしに行って参ります」

「ぼくもいくっ!にーさんもいこっ!」

「あ…… じゃあ、俺も…… 兄上、また後で」


 部屋に一人残された俺は、食事の用意が出来るまでの間に湯浴みをした。三日も眠り続けていたから身体のあちこちが痛くて怠い。


 湯に浸かりながら、ぼーっと高い天井を眺める。


 真っ白な、あの夢の中に広がっていた景色のような、泡の香りがまるであの真っ白な花のような、雪のように真っ白な、天井。


 天井?ああ、そうだ、ここはあの夢の中じゃない。


 思わずその白さに吸い込まれそうになり、俺は不意に呟いた。


「………… オルフェウスの渇き」


 ここは小説の中の世界、そのタイトルを。


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