No.0 知らない世界
「………… 様 …… ノア様、そろそろ起きてください。ルディノア様」
「は、っ…… あぁ」
「ようやくお目覚めですか、おはようございます」
ルディノアと呼ばれている俺は、約一年前、このよくわからない場所へ異世界転生していた。
前世の俺は、漫画や小説、アニメやゲームなどを趣味にしていたインドア派の人間で、かなり色んなジャンルを楽しんできたが、ルディノアという名の響きに心当たりがない。
分かっていることといえば、ここはグランヴァイス侯爵家という名門貴族の家で、俺はこの家の一人息子である。
父親は当主、母親は俺が転生してくる前に死別していた。仕事が忙しい父とはすれ違う日々で、あまり会話はない。現にここに住んではいるが、一緒に食事を取る習慣もなければ用がない限り話をすることもなかった。親子関係は悪くないはずだが、良いかと聞かれると良くもないのだろう。
そもそも、俺が知ってる異世界転生だと大体はここが何かしらの物語の舞台であるはずだが、手掛かりらしい手掛かりが無い。
ただ一つ、手掛かりらしい手掛かりといえば、この世界には当然のように魔法の概念がある。そのくらいだ。
「ルディノア様。本日のご予定は?」
「あー…… 何も考えてない」
「左様でございますか。魔法学院をご卒業されたばかりですし、ぜひゆっくりとお過ごしになられてください」
そして、この春。俺は無事、魔法学院を卒業した。
「それでは、また何かございましたらお呼びくださいませ。失礼いたします」
転生した初日、この世界に魔法があると知った俺は、テンションが上がった勢いで頭に浮かんだように魔法を使ったところ、思った以上に魔力があったせいで一部屋ぶっ壊してしまった。
大した力を込めず部屋を破壊する程の魔力を持っていながら、この国のルールや魔法について何も知らないのはあまりにも恐ろしいことだと感じ、俺はすぐに魔法学院へ編入することを決めた。
怪我の功名か、部屋をぶち壊した罪を償うという口実を手に入れられたお陰で、父親を含め屋敷の人間たちに魔法学院へ編入することを不自然に思われなかったようだった。
願書は父親が用意してくれて、幸いにも自分のプロフィールを確認することが出来た。
その際に、早速一つ発覚したことがある。
ルディノア・グランヴァイス、十六歳、風属性、長男。父リアム・グランヴァイス、母ソフィア・グランヴァイス(死別)
この通り、俺は風属性らしいのだが、部屋を破壊した時に出した魔法には明らかに火も混ざっていた。
どうやら俺は、転生した際に火属性も持ってしまったらしい。
属性の記入欄が一つしかないことから、その珍しさを察することが出来た。つまり、風属性だけでなく火属性も持っていると口を滑らさずに済んだのは、この願書のお陰だ。
この国の中央部、要するに首都には教育都市があり一般的な学園や魔力を持つものを年齢問わず受け入れている魔法学院などがある。
入学試験や編入試験に合格しないと入学が許可されることはない。読み書きが出来たとしても平民の殆どが魔力を持っていない為、入学してくるのは貴族ばかりだ。そういう理由から、しっかりと休み期間もあり学習期間は短く実質一年程で卒業となる。
夏の時期に編入した俺は、入学してから休みを返上し、初歩的な座学から難易度の高い実践演習まで物凄いスピードでこなしていった。何故なら魔法を思う存分に使えるのが楽しみで仕方がなかったし、実際に受けた授業はどれも、とても楽しかった。
「この教材、懐かしいな…… 」
まずは六種類の属性についてや、王族や上級貴族は高い魔力や珍しい属性を発現させることが多いなど、そういった基本知識から研究資料まで全て頭に叩き込み、卒業する頃には高難易度魔法というものまで習得した。
どうやらそれは俺の持て余す魔力があったからこそ出来た奇跡らしい。講師は驚きのあまり目を点、いや目も口も、大きく開き過ぎてそこから裂けそうなほどだった。
しかし当然、学院内では風属性しか使わず、帰宅後はバレないように演習で学んだことを火属性でも活かせるよう自主訓練をするなどして、俺はますます魔法が好きになっていった。
使えたら使えただけ便利だし、それに何か、魔法を使ってる俺ちょっと格好良いし?
「だけど…… 魔法っていつ必要になるんだ?」
必要か不必要かで考えれば、日常生活が少し便利になるくらいで、今のところこれといって何もない。
ただ、知らないまま生きていたら確実に被害は一部屋どころの騒ぎじゃなくなっていたことだろう。やはり魔法学院へ行った意味はある。
目が回るほどに忙しかったが、お陰で異世界転生している実感もあったしな。
約一年前から過ごしてきた日常の殆どは、ぼっち学生としてはかなり濃密な学生生活を送っていたが、そんな日々もようやく終わり、晴れて自由の身だ。
魔法がある世界に転生したというだけでも嬉しいのに、強力な魔力を持っている侯爵令息で金にも困らない。まさに人生イージーモードだ。
自分で言うのも何だが、白銀の髪に橙色に近い琥珀色の瞳、身長も一八〇センチ近くあり、相当見た目の良い男に生まれ変わっている。
もしかして主役級のキャラなんじゃないか?いや、それならせめて名前くらいは覚えているはずだ。
まあ、正直何だって良い。そういうわけで、恐らく俺はモブらしいが、それでも俺自身がこの世界を気に入っている。
「悠々自適な生活を満喫しよう。異世界転生、最高」
当主である父親はまだ若いし、病気さえしなければこの家を継ぐのは先だ。それまで楽しく穏やかに、俺の自由にのんびりと、ただ好きなように過ごそう。
そう心に決め、呼び出しのベルを鳴らす。
「朝食を取ったら街へ出かけることにする」
「もう昼ですが、はい。そのように」
一言多い執事には構わず、部屋を後にした。