悪魔が好きな人間に送るサイン
スマホのアラームで目が覚めた。
部屋は暗かった。天井だけがやけに赤い。
その赤は蛍光灯の光ではなく悪魔だった。
鹿のような角を生やした牛のような頭。
あたしはスマホのアラームを止めてから、指で合図する。
天井の赤い頭と、あたしを覆っていた黒い影みたいなモノが、指の先ーーーベッドの脇へ移動する。ようやく部屋が明るくなった。
「おはよう」ベッドから起き上がって、パジャマを脱ぐ。
「今日は何の用?」そう尋ねると悪魔は口を広げた。白い舌が1本、あたしに向かって伸びてくる。
「ごめん。時間ないからダイジェストにしてね」
あたしは目を閉じた。感触はないけれど、白い舌はいかがわしいことをしているはずだ。見ると後悔しそうだから見たことはない。
真っ暗だった視界は急に緑色になった。まるで映画館の最前列でスクリーンを見上げているような感覚。
山が映り、旅館が映り、旅行客が映った。ーーーもうだいたい理解できた。ダイジェスト版にして正解、この先の展開は朝から見るようなものじゃない。
大雨、土砂崩れ、吊るされた女の人の死体、切断された脚、血溜まり、ロッカーに閉じ込められた少年、風呂で溺死したおじさん。
視界が暗くなり、あたしは目を開いた。
「ほら、やっぱ連続殺人事件だし。三重でねぇ、行ったことないけど三重県って遠いよね」
制服に着替え終わった。
いつの間にか白い舌は消えていて、目の前には白い腕があった。白い腕は悪魔の目の穴から伸びている。
「ちょ、ちょっと待って、袋、袋」
ゴミ箱をひっくり返してビニール袋を取り出す。悪魔の手の下でビニール袋を構えた。
「この中に入れて」
数え切れない本数の白い指が広がると、ビニール袋に何かが落ちた。
「メガネ?」
黒縁のメガネ。小さいから女物かな? 子供用かも。あたしはビニール袋の取手を縛って、忘れないように鞄に入れる。
「ありがとう」
白い腕は目の穴に引っ込んだ。ミカンみたいな丸い目と目が合う。
「他に用ある?」
そう言うと、悪魔は煙のようにゆらゆらして、いなくなった。部屋が更に明るくなる。今日は天気がいい。
「やばッ、もうこんな時間」
朝ごはんを食べて、髪をセットして、歯を磨いて、家を出た。
マンション1階のエントランスで電話をかける。
「西野さん、あたし。ひさしぶり」
『お! 京子ちゃんか。どないした?』
「さっき悪魔が来てね。今、三重の小凛館って旅館で連続殺人事件がおきてるって、教えてくれたの」
『ほんまか!』
「西野さん、行くよね?」
『行くで』
「でも三重って遠いよ。大丈夫?」
『まかしとき、バイクかっ飛ばして行くさかい』
「じゃあ悪魔からもらった物、またポストに入れとくね」
『京子ちゃんも、たまにはどや、一緒に行かへんか?』
「学校あるから行かないよ。まあ、なくても行かないけど」
『そうか、ほな急ぐさかい。おおきに』
西野さんは電話を切った。あの調子だとすぐにエントランスに降りてきそうだ。鉢合わせするのは面倒臭い。
あたしは【西野探偵事務所】のプレートが付いたポストに、鞄から取り出したビニール袋を押し込んで、マンションを出る。
これで事件は解決するだろう。
学校にも間に合いそうだ。
それにしても、なんで悪魔は連続殺人事件の証拠品を、ちょくちょくあたしにくれるのだろう。
その疑問だけはちっとも解決しない。