「鍛練」
日々、筋肉の痛みとの戦いだった。カーラとの訓練は一日置きに繰り返され、間に乗馬の訓練を門番のバルトと行った。
カーラとは本当に基礎的なものから始まった。
腕立て伏せ、スクワット、腹筋、兵士達の演習場の外周を走るなど、いきなり剣になるかとばかり思っていたが、片手持ちの木剣を両手で握らなければならなかった。カーラは言った。「馬上や竜の上では片手は手綱を握るものよ。まずは筋力からつけて行こう」と。
諭すように言われ、ヒルダはこの二十四年間、筋肉を酷使したことが無かったことを悔やんでいた。空までの道は遠い。悔し涙が流れて来ると、カーラが抱き締めてくれた。
「貴族には貴族の役目ってものがある。あんたは今までそれをこなしてきたんだから、恥じることも悔しく思うことも無い。務めを果たした自分を立派だって褒めて上げな」
ヒルダはカーラが好きになった。この人の言うことなら新米剣士として何でもこなしてみよう。彼女はそう思い、ボロボロに疲れ果てながら家へ帰った。
女中の一人、年下の金髪のヴィアが、席に着きだらしなく身を投げ出しているヒルダを見て、料理を運びながら尋ねてきた。
「お嬢様、今日も御疲れですか?」
「そうね、疲れたわ」
ヒルダは身を起こして答えた。
「そうまでして竜乗りになりたい理由は何ですか?」
「空が好きなのよ」
ウォー・タイグンの大きな背を思い出しながら答えた。
「とか言って、男じゃないですか?」
鋭い。
ヒルダはちょうど水を一口飲んだところで咽った。
「やっぱり、そうなんですね? 良かったぁ、お嬢様にもついに思い人が」
「ヴィア、何を騒いでいるのですか?」
ヒルダより一つ年上の赤い髪の怖い顔をした女中が尋ねてきた。
「リーフさん、聴いてください、ついにお嬢様に意中の人ができたみたいなのよ」
ヴィアの報告を受けてリーフは目を吊り上げて言った。
「悪い虫なら成敗しなければ」
フライパンをまるで両手持ちの剣のように構えた。
「二人とも、そんなんじゃないから」
「とか言って、お嬢様、顔真っ赤ですよ」
「え!?」
ヒルダは慌てて両手で自分の頬に触れた。
「やっぱり図星でしたね」
ヴィアが勝ち誇ったように笑った。
その頭にフライパンの底が落ちて来た。
「いたっ」
「いつまでもお嬢様をからかってるんじゃありません。仕事をなさい。私はバルトさんを呼んで来ます」
そう言って場を治めてくれたリーフだが、ヒルダを見る目は嬉しそうだった。
2
カーラには腕立て伏せも必要無いだろう。ヒルダは四つん這いになって身を上げ下げしながらそう思った。何故ならカーラの剣は最初の印象もそうだったが、重い鉄塊だ。それを愛用するほどの腕前なのだ。筋力はもう充分過ぎる程ついているだろう。しかし、カーラはヒルダに付き合い、並んで数を数えながら腕立て伏せをし、その他、基礎訓練を行ってくれた。兵舎の外周を走る時も重い甲冑をものともせずヒルダと並走し、時には追い抜いたり、後ろからだったり、ヒルダを叱咤激励した。
乗馬の方はバルトに手伝って貰い、愛馬バロの心を掴むことにも成功していたが、個人的に馬上での剣を振るう訓練をしていた。だが、ヒルダが持っているのはロングナイフである。竜乗りと言えばグレイグバッソ、そうじゃ無くともグレイグショートと愛用すべき武器がある。みんながみんなそうでは無いが、ヒルダはグレイグバッソを握って振り回すことを当初の目標に定めていた。
少ない間合いでロングナイフを馬上で振るう。バルトが槍でゆっくり突いてくると、それを弾く動作をする。本来ならヒルダの膂力も及ばず、貫かれて死んでいるだろう。
なのに何故、侍女を辞めてしまったのか。
ウォー・タイグンのせいか?
いや、やはり空なのだ。空が彼女を魅了しているのだ。雲が壁じゃ無いと分かった時の驚きは新鮮なもので、頬を撫でる風は優しい。空は太陽の光りに煌めいていて、まるで別世界へ来てしまったかのようなファンタジックな印象を与えた。
それでもやはりウォー・タイグンの影響もあるかもしれない。彼に惹かれていることを認めるべきなのだろう。
「よぉ、ヒルダ殿」
中庭でカーラと小休止を取っていたところにウォー・タイグンが訪問してきた。
「ウォー様!」
ヒルダは思わぬ客に驚いて疲れを忘れてしまった。
「何か用?」
「いいや、侍女から竜乗りへ転向した無謀な奴がいるって、城中の噂になってたものだから、まずもって貴方のことだろうと思って様子を身に来た」
「そんな噂が?」
ヒルダはウォーを見た後、カーラを振り返った。
カーラはヒルダの肩に手を置くと言った。
「無謀じゃ無かったって教えてやれば良いだけの話しよ。何の恥ずかしいことでもないわ」
「俺もそう思う」
ウォーが言った。ヒルダはウォーを見た。深い青い瞳がこちらを射貫くように見詰めている。
「ヒルダ殿は馬を乗りこなした。それだけで何百歩かは竜乗りへ向けて前進している。そういうわけで、どのぐらいの技量を会得したか、試させて貰おうか」
ウォーが籠に入った木剣を取り、一本をヒルダに差し出した。
ロングソード型の木剣だ。ヒルダは柄を両手で握り締めようとして、片手は手綱を掴まなければならないことを思い出し、右手だけで握った。
「この辺で、自分の力を知るのもいい機会か。ヒルダさん、この男を仇だと思って挑みなさい」
「わ、分かりました!」
ウォーが、涼しそうな顔で木剣を振り回している。
ウォーは、仇。目の前にいるのは仇。
だが、暗示も虚しく、大好きなウォーの胸を借りることにした。
「たあっ!」
ヒルダは剣を振り下ろした。ウォーの剣とぶつかる。ウォーは頷いた。ヒルダは次々打ち込んだ。
木剣の軽い音色が中庭に響き渡る。
「ヒルダ殿、これから俺は反撃をするぞ」
その言葉を聴いてヒルダは剣を持つ手を強張らせた。
ウォーの一撃は速くて、重くて、まさしく迅雷の如しであった。
ヒルダは剣を叩き落されてしまい、その勢いで自らも尻もちをついた。
「カーラ殿を師に仰ぐことだけはある。思ったより、膂力があった」
ウォーが手を差し出す。ヒルダはその手を掴んで立ち上がった。
「実は貴方の竜の候補が見つかったんだ」
「え?」
空と鍛練のことしか頭に無かった毎日で、肝心の竜のことをすっかり忘れていた。
「ガランに七メートルのフロストドラゴンが余ってるらしい。竜舎の竜の特性を見ながら、受け入れるか上で話している」
ヒルダは一気に緊張した。
私が世話をする竜が来るかもしれない。そうなればいつでも空へ発てる。だが、ウォーの堅実な言葉が現実へ引き戻した。
「ヒルダさんは、このままトレーニングを続けていると良いよ。いざ、竜の上でとなった時に、残念だが、ロングナイフでは素人が戦うのは難しいぞ」
「そうですね……」
ヒルダががっくりと項垂れるとカーラが背を叩いた。
「ヒルダさん、武器庫へ行ってみない?」
「え?」
「あなた、随分筋力が付いたわ。さっきの打ち込みでそう私は判断したけど。グレイグショート辺りなら持てるんじゃないかしら」
「本当ですか!?」
ヒルダは驚き、尋ね返した。カーラは真面目な顔で頷いた。
「さっそく行きましょう!」
グレイグショート、竜乗りの証の剣だ。
ヒルダはウォーに向かって深々と頭を下げた。
「お手合わせありがとうございました」
「何、貴方を応援したい一心で、ちと出しゃばったかな」
「そんなことはありません!」
ヒルダは声を上げてそう言い、ウォーに歩み寄るとその手を握り締めていた。
「あなたのおかげです!」
ウォーの目を真っすぐ見て、ヒルダはそう言っていた。
その頭の中では竜乗りの証を持てるかどうか、自分自身で審議していた。ウォーが手を握り返す。
「お役に立てたのなら光栄です、ヒルダ殿。さぁ、武器庫へ、竜乗りの証が貴方を待っている」
「はい!」
ヒルダはカーラを振り返った。
カーラは頷いた。ヒルダは胸を躍らせながら、もう一度軽く頭を下げ、ウォーの前を辞去したのであった。