「乗馬」
ヒルダはバルトの助言を受けながらバロの世話を甲斐甲斐しくいった。小さなときの皇子殿下にお仕えしていた時のような気分だった。
餌をやり、ブラシで手入れし、厩舎を清掃した。ヒルダはひたむきに頑張った。
そうして門前にバロを引いて行った。ヒルダは驚いた。バロが大人しく引かれて行ってくれているのだ。きっと心が伝わったのだ。そう感じていた。
鞍を置く時もバロは嫌な顔一つしなかった。
「これなら大丈夫でしょう」
門番のバルトが言った。
「ええ、やってみるわ。行くわよ、バロ」
ヒルダは慎重に鐙に足を掛けた。
その時だった。バロが棹立ちになり、嘶いた。ヒルダは尻もちをついた。
バルトが必死にバロを宥めている。ヒルダは気持ちが伝わらなかったことが悔しかったが、同時に、何故だろうと思案する。乗る以外は大人しく従ってくれるというのに、何故だろう。
「ヒルダ嬢」
向かいのエイケン子爵の老門番が歩んで来た。これまでの一部始終を見ていたようだ。
「エルドンさん」
バルトが言った。
老門番エルドンは、バロの顔を撫でた。
「これは名馬だぞ。だが、ヒルダ嬢は乗ることさえできないのだな」
「エルドンさん!」
バルトがヒルダを庇うために声を少し上げた。
ヒルダはゆっくり起き上がり、頷いた。
「あいにく私には名馬との区別はつきませんが、このバロに乗りこなせていないのは確かです」
「ふむ。何故か、分かるか、ヒルダ嬢?」
「いいえ。エルドンさんには原因が分かるのですか?」
問い返すとエルドンはバロを見詰め、槍をバルトに預けて、鐙に足を駆けると次の瞬間にはバロに騎乗していた。
「凄い」
ヒルダは思わず言った。まさか、たった今、関係した人物にバロは心を許したのだ。
エルドンは手綱を握り、バロを歩ませた。
「エルドンさん! 私の何がいけないんですか!?」
戻って来て、バロから下りたエルドンにヒルダは必死の思いで尋ねた。
「ヒルダ嬢は、バロが怖いと思っていないかね?」
ヒルダは思案する。心当たりがあった。鐙に足を掛けるときに迷いを押し殺すように念じていたのだ。バロが大人しくありますようにと。
「バロを信じなさい。恐れがバロをも疑心暗鬼にさせるのだよ」
ヒルダはもう一度、鐙に足を掛けた。乗りこなしてやる! という強い思いと共に。
そうしてヒルダは一段高いところに居た。
バルトとエルドンを見下ろし、感動の余り、バロの太い首に顔を摺り寄せた。
「ありがとう、バロ。怖がらせてしまってごめんなさい」
馬は鼻をブルルと鳴らした。
「さて、王城まで歩いて行くと良い」
そうしてバロを歩ませる。
ヒルダは振り返った。
「エルドンさん、ありがとうございました!」
エルドンは槍を左右に振って応じてくれた。
2
以前、バルトが言っていた通り、バロは一通りの動作を覚えていた。後はヒルダが指示を出すだけだ。
ヒルダはバロを駆けさせたいと思っていた。時期尚早かもしれないが、いつまでも竜舎に顔を出さないわけにはいかない。ヒルダは正直駆けるのが怖かったが、騎乗者がそれではいけないと、嫌という程思い知っているので、恐れを捨てて、目を見開き、声を出して馬腹を蹴った。
「はっ!」
途端にバロは疾走した。
ヒルダは手綱を強く握り、幅広い貴族街の王城への登り道を駆けて行った。
城が眼前に見えた時に、ヒルダは手綱で合図を送った。
「どう! どう!」
バロは脚を緩めた。
「ふぅ」
ヒルダは自分の心臓が緊張と達成感で高揚しているのを感じた。
「よぉ、ヒルダ殿」
声を掛けられ、見ると、馬に跨ったウォー・タイグンがそこにいた。
「ウォー様」
「もう馬を乗りこなせたか」
「いいえ、走らせたのは今回が初めてです」
「だったら毎日慣らして行かないとな」
「そうですね」
ヒルダは頷いた。
「さて、馬と並行して、剣術も学んで置くべきだな」
確かにいざという時のために竜乗りにとって必須の項目であった。
「本当は俺が教えてやりたいが、ヒルダ殿が自分の目で確かめて師を決めるべきだろう」
ウォーには正式な竜乗りという仕事がある他、サクリウス姫の護衛という役目もあった。ヒルダは頷いた。
「剣術の師も何とかして探してみます」
「ならば良かった。だが、どうだろう、今日ぐらいは一緒に走らないか?」
ウォーは元来た道を振り返った。竜舎への急な坂道だ。
「久々に空を見せて差し上げたい。どうだろう?」
「ですが、戻ってきたばかりでは?」
「良いんだよ」
ウォーがニコリと笑みを浮かべたので、空が好きになっていたヒルダは頷いた。
「よろしくお願いします」
「よし。では、行こうか」
ウォーが馬を駆けさせる。
「バロ、行くわよ!」
ヒルダもバロを走らせた。
バロはあっという間にウォーの隣に並び、追い抜いて行った。
「羨ましいほど、良い馬だ」
竜舎に着くとウォーが言った。
「ウォー様も、良き竜をお持ちです」
厩舎にバロを預け、二人は竜舎の正面を潜った。
レッドドラゴンのバッシュは二人を見ると、四つ足で立ち上がった。
「バッシュ、もう一度、飛ぶぞ」
主人の声にバッシュは嬉しそうに小さく鳴いた。
バッシュを飛び出し口へ引いて行くのに着いて行きながら、自分は一体、どんな竜が相棒になるのだろうかとヒルダは考えた。炎を吐くレッドドラゴン、冷気を吐くアイスドラゴンとも呼ばれるフロストドラゴン、そして襟巻があり毒を吐く緑色のフォレストドラゴン。もし、ここで希望を訊かれてもヒルダには選べなかっただろう。なので、運を天に任せることにした。
「ヒルダ殿」
ウォーがバッシュの上で右手を差し出していた。
ヒルダはガントレットで覆われたその大きな手を掴んでレッドドラゴンの背に乗った。
そしてレッドドラゴンは羽ばたき、飛んだ。
澄み渡る青いカーテンのような空はやはり陽光でキラキラと輝いていたのだった。