「竜乗り見習い」
謁見の時間になり、部屋へ通されたヒルダは金色の竜の模様が描かれている青い絨毯の上で平伏した。
「ヒルダ、このようなことをしなくとも話しなら直接で良かったのだぞ」
エリュシュオン皇帝が玉座に着くと言った。
「私だけ特別扱いは許されません」
ヒルダは平伏したまま、絨毯を見詰めていた。
「面を上げよ」
その通りにすると、エリュシオン皇帝は厳格そのもの態度でこちらを見下ろしてた。
「ヒルダ、私にどういった用向きがあるのだ?」
「許可を。御許可をいただきたくてお願いに上がりました」
「許可?」
「私は……竜乗りになりたいのです」
思い切って、だが、丁寧にヒルダは述べた。
皇帝の顔色は変わらない。
「お前が竜乗りを志すとは驚いたものだ」
無言が続いた。
「何故竜乗りになりたいのだ?」
ヒルダは頷いて口を開いた。
「空が好きになったからです」
「……もしやとは、思うが、先日の意中の相手とは竜乗りの中にいるのか?」
「……はい」
ウォー・タイグン。粗野だが、優しい気配りのできる男だ。そして頼もしい。
「しかし、そなたがわざわざ竜乗りにならなくとも……いや、空が好きと申したのだったな」
「はい」
「まぁ、やれるだけやってみなさい。そなたの父には私から報せておこう。勿論、竜舎の方にもだな」
「ありがとうございます」
穏やかな口調で皇帝は言い、ヒルダは安堵した。領地にいる父にも報せてくれるという。少しだけ心が上向きになるのを感じていた。
謁見は終わり、ヒルダはさっそく侍女達へ報告しに戻った。
2
一週間後の朝、父も母も領地にいるため、使用人と門番だけの屋敷をヒルダは出ると、登城した。と、言っても今日からは違う職場だ。昨日、正式に竜乗り見習いになることに決まったのだ。侍女の仕事の引継ぎをすると、ヒルダは、布鎧クロースの他、カーラに見立てて貰った装備品を身に帯び、これから急峻へと挑もうとしていた。
ここを歩いて行くのは自分だけだろうか。何故ならば、ヒルダは知ったのだ。竜舎へ赴く者は王城の入り口にある厩舎で馬を借り、この険しい道を竜舎まで疾走するのだ。何故、ヒルダがそうしないか。それは彼女が乗馬の経験が無いからだ。
ヒルダは歩みを進め、丘の天辺にある竜舎を目指した。
背後から馬蹄が聴こえたのはその時であった。ヒルダは脇へのいて歩き始めた。
「どうどう!」
隣で男の声がし、馬は止まった。
「まさか、この坂を徒歩で行く気をしているわけではあるまいな?」
バイザーの下りた鉄兜の下から男の声がした。
「そのつもりですが」
ヒルダは馬鹿にされるのを覚悟で返答した。おそらく竜乗りだと思われる相手は馬から下りた。
「ん? ヒルダ殿?」
「え、あなたは?」
すると、相手は快活そうに笑って兜を脱いだ。緑色の長い髪がさらりと下り、切れ長の目の青い瞳が輝くようにこちらを見ている。意中の人、ウォー・タイグンであった。
「ウォー殿? サクリウス姫の護衛はいかがなされたのです?」
「他の者が受け持っていてくれている。おかげで俺は自由の身さ。まぁ、竜の世話をしなきゃならぬしな」
「そうでしたか」
ウォーの目が優し気に細められた。
「乗馬を覚えるまでは、これからは俺の背に乗って行こうか」
「良いんですか?」
思わぬありがたい申し出にヒルダはウォーに恋していることを忘れて感激していた。
「ああ。城前で七時にでどうだろう?」
「お願いします!」
ヒルダはウォーの手を借り、馬の後ろに座った。そしてあの時のように、竜の背に乗って空を駆けた時のようにウォーの両肩に捕まった。
「ようし、行くぞ。はっ!」
馬が走り出す。
「ヒルダ殿、良いことを教えてやろう。乗馬が出来れば、竜乗りの手順の半分以上はできていることになるぞ」
「そんなに!? ですか?」
「ああ。よし、舌を噛むからお喋りはここまで」
ヒルダはウォーの後ろで、不慣れな馬上で不安だったため、彼の身に着けている鉄の肩当てをギュッと握り締めていた。
乗馬が出来ればか……。乗馬は学んでおいて損はない特技だ。練習することにしよう。
そうしてヒルダが思ったよりもずっと早く竜舎の門に辿り着いた。
馬は二人を乗せて坂を駆け上がったため、荒い呼吸をしていた。ヒルダはそれが申し訳なく思った。だけど、いつまでも不甲斐無い思いをしていてもしょうがない。何せ、全てが初めてなのだから。
「行こうか? 髪結ったのだな。鎧姿も様になってるぜ」
ヒルダが返事をする前に竜舎の扉をウォーが開いた。
竜の便臭が漂う。大きな声こそないが、竜達があちこちで鳴いている。たくさんの職員らが動いていた。
「エシュード殿!」
「タイグン卿か」
「ウォーで良いですよ」
歩み寄って来たのは鉄の鎧を着た老兵だった。柄が金に塗られているグレイグバッソを提げていた。
「ヒルダ殿か?」
「そうです、これからよろしくお願いいたします」
「グランエシュード・グソンだ。竜乗りの教官をしている。こちらこそよろしくな」
教官。ということは、このグランエシュード・グソン殿から指導を受けるのだろう。
「ウォー、ヒルダ殿のことはお主に任せる」
「だとさ、よろしくな、ヒルダ殿」
ウォーが笑みを浮かべてウインクする。
「はい、よろしくお願いいたします」
ヒルダは頭を下げ、ウォーの胸甲に額をぶつけた。
「大丈夫か?」
「はい。鎧にぶつけてしまってすみません」
「良いんだよ。鎧なんて替えがあるが、貴方の存在には替えが無い。貴方が頭蓋骨を折っていないようで何よりだ」
ウォーがそういうと、ヒルダは思わず涙が漏れそうになったが、こらえた。何て優しい方なんだろう。ヒルダはウォーに感謝した。
「さあて、じゃあ、今日は初めてだし、貴方の竜も無いしな。俺の後ろで空を見に行こう」
「分かりました」
ヒルダは自分がもう侍女では無く本当の竜乗りの仲間入りをしたことを痛感し、その瞬間、緊張に襲われた。
「こっちだ」
ウォーが先に進んで振り返った。
ヒルダはグランエシュードに一礼すると、ウォーの後を追ったのであった。