「出撃命令」
ウォー・タイグンという男がヒルダは好きだった。
竜乗りの先輩として、師としてもそうだったが、やはり一人の異性としての愛があった。だが、竜乗りの訓練の最中には、そんな恋心など感じられる余裕などなく、竜を操り、剣を振るった。
グレイグバッソはすっかり手に腕に身体に馴染んでいた。
ウォーの打ち込みを捌き、反撃に出る機会を伺っていた。
午後の空は快調で、誰の邪魔もなくヒルダはウォーに鍛えてもらっていた。
「すっかり筋がよくなったな。歴戦の猛者と遜色ないかもしれない」
ウォーが言い、ヒルダは思わず嬉しく思っていた。
この人は大きな人だ。大きな心を持った人だ。夜会の時のことを思い出す。素晴らしいダンスに導いてくれた。だけど、何故だろう。
「ウォー殿」
剣越しに睨み合いながらヒルダは覚悟が必要だったが尋ねた。
「何か?」
視線が少し緩むのを感じた。
「何故、こうも私を鍛えてくれるのですか?」
「何故? うーん」
ウォーは少し考える様子を見せ剣を離して、こちらを見た。
「理由は二つある」
ヒルダはウォーの言葉を待った。
「一つは、空の素晴らしさを俺があなたに教えた責任を取るためだ」
「もう一つは……」
その時、二人は右手を見た。
体長七メートルのバースぐらい大きな影がこちらへ羽ばたいてくる。
そいつは高らかに鳴いた。
「ロック鳥か。道を避けよう」
「分かりました」
二人がそれぞれ距離を取ると、紫と黄色の羽毛に包まれた怪鳥はその前を羽ばたいていった。
ヒルダはウォーのもう一つの理由を聴きそびれたことに気付いたが、もう一度尋ねることは憚られた。単純にそんな雰囲気では無くなってしまったからだ。
「そろそろ帰還しよう」
「分かりました」
二人はそれぞれの竜に声を掛け、反転の指示を出して竜舎へ帰投した。
2
あくる日、竜舎に着くとグランエシュードが、ヒルダを呼んだ。
「おはようございます、グランエシュードさん。ウォーさん」
ウォーも呼ばれたようで老兵の前に立っていた。
グランエシュードは少し固い表情を見せた。
尋常ではない空気だと思った。こんな表情をする人をべリエルとの戦争以来見ることは無かった。ヒルダは気構えをして、老兵を見た。
「密猟者だってさ、ヒルダさん」
ウォーが言った。
「密猟者? まだいるのですか?」
戦争のときは特に竜の確保に苦労していたべリエル王国は密猟者達から竜を買っていたと言われている。だが、戦争は終わったのだ。それなのに何故?
「竜を素材として取引しようとしている者達がいるらしい。戦争時もあった話だが、帝国自然公園に侵入しては竜を捕縛しようと試みているらしい」
グランエシュードが少々憤ったような口調で言った。
素材のために竜を殺す。ヒルダも竜についてはいろいろ聞いている。角や鱗や臓器、爪に牙、舌に目玉と、竜の身体はどれも秘宝並みの価値があるという。
勿論、イルスデン帝国は竜を崇めている。そんなことはしないだろう。
「では、べリエルの者達が?」
「いや、まだ詳しいことは分からん。帝国生まれの人間が全て敬虔な竜教徒とは限らぬのだ」
「べリエルも今では竜を神聖視してますよ。リオル・べリエル王の言いつけではあるがね」
ウォーが言った。
「まぁ、どちらの国にも邪な考えを持つ者は存在する。今回、二人を呼んだのは、帝国自然公園の守りに着いて欲しいためだ」
その言葉を聞いてヒルダは驚いた。
「私がですか?」
竜乗りの新人の域である自分がそんな頼みを引き受けてよいものか迷った。しかし、老兵は言った。
「ヒルダ嬢と、ウォーはコンビのようなものだ。息もあっている。あのダンスパーティーにこっそりワシも呼ばれておったのだ」
つまりダンスをしているところをばっちりと見られたわけだ。ウォーとの息の合ったあの動きをだ。
「皇帝陛下にヒルダ嬢の近況を報告したところ、大変感激しておった。ウォーとも空の訓練は積んでいるし、行ってはくれぬか? 他の竜乗り達は、それぞれの退路に網を張らせておかねばならん」
竜乗りとしての任務が回ってきたのだ。
「分かりました」
「うむ、良い返答を得られて良かった。さっそく向かってくれ」
「はいっ!」
ヒルダは敬礼した。
3
バースと共に飛び出口へ立っていると、ウォーとバッシュも現れた。
「俺達で捕まえられれば良いが、追尾するだけでも役には立てる。バースもバッシュも鍛えこまれた竜だ。そう簡単には音を上げないよ」
「はい」
ヒルダが頷くと、ウォーはニコリとした。
「緊張するのは分かるけど、空に出れさえすれば大丈夫だ」
「そうですね」
ウォーはバッシュの背に立った。ヒルダも手綱を掴みバースの背に立つ。
「では、行こうか。自然公園がどんなところかは分からないけど」
「場所ならわかります。街道沿いに真っ直ぐ南です。竜達は自然公園の山岳地帯に生息していると聞いたことがあります」
「分かった。向こうの人達にその辺りは詳しく訊こう」
ヒルダは頷いた。
「よし、バッシュ、飛べ!」
「行くわよ、バース!」
バッシュに続いてバースも飛び立ち、二人は竜を並べた。
「どうだい? 今日の空は?」
そう問われ、晴天に恵まれていてよかったとヒルダは思った。
「良い天気です」
「ヒルダさんは、晴れ女だもんな」
そう言われ、確かに、ヒルダは雨や曇りといった天候の中で竜を動かしたことがないことに気付いた。途端に不安になり、竜の神に願った。任務が終わるまでで良いので晴れの日が続いてくれますようにと。
二匹の竜はコロッセオの遙か上空を飛び、宿場町を過ぎた。あまり低いと人々を驚かせてしまうためだ。
ここからは何もない。帝国自然公園が待ち構えているだけだ。
「急ごうか、ヒルダ殿。竜のためにも」
「分かりました」
ヒルダは頷き、ウォーと共に竜で空を疾走したのであった。




