「竜乗りの日々」
ヒルダは毎朝そうするように早起きし、庭で基礎トレーニングをこなしていた。
門番バルトも、女中のリーフとヴィアも起きている。
カーラに教わったように、そしてあの人に教わったように、入念に丹念に素振りにも励んだ。そしてふと、視線が門の方を向くのを見てしまった。バルトの背を偽の闇騎士と錯覚していた。もう、彼は来ないというのに。
ウォーは今頃何をしているだろうか。姫様付きの騎士であるし、夜勤をしていたりするのだろうか。
食事を終え、使用人達に見送られ、ヒルダはバロの背に跨り、王城を目指した。
城の左手の急な坂をバロで歩み、建物の影が見えてくる。
飛び出口が開けられているようで、竜達の囁きが聴こえてきた。
厩舎にバロを預け、馴染みの番兵に挨拶すると、扉を開く。
濃い竜舎のにおいと竜達の声が一気にヒルダを出迎えた。
職員らが食事を与えていた。掃除の方は既に終えてしまったらしいが、それが本来の職員達の役目である。
そんな中、馴染み深い、甲高い鳴き声が木霊した。
バースは四つ足で立ち上がりこちらを凝視し、もう一度、鳴いた。
ヒルダは嬉しく思い、竜達の間を抜けて、バースのもとへと辿り着いた。
「おはよう、バース」
バースはもうヒルダを疑わない。その視線が嬉しかった。
「よぉ、ヒルダさん」
少し離れたところにウォーが居た。愛竜バッシュの手綱を引き、飛び出口へと向かっていた。ヒルダはバースを見た。
「バース、私達も飛んでみる?」
ヒルダの問いにバースは小さく鳴いて肯定した。
以前ならこうもいかなかっただろう。バースの手綱を引き、導いて、飛び出口でウォーとバッシュに並ぶ。
「すっかり仲良しだな」
ウォーが微笑んで言った。ヒルダはウォーの笑みは少し子供っぽい顔に近いと思った。やんちゃ盛りの少年のような笑顔だ。
「皆さんのおかげです」
ヒルダが言うと、ウォーは頷いて、少し表情を緩めたまま腰のグレイグバッソを叩いた。
「竜に乗っての戦いはまだ試したことは無かったよね?」
「はい」
乗馬を教えてくれた偽の闇騎士の鉄仮面が脳を染める。
「ま、ヒルダさんならどうにかなるだろう。バロをあそこまで乗りこなしていて、バースの心も掴んでいる」
「はい」
「だから大丈夫だ。行こうか、空へ」
二人の竜が伏せ、その背に立って手綱を握る。
「バッシュ、行くぞ」
「バース、行こう!」
二匹の竜が大空へ羽ばたいた。
2
バッシュとバースでは、バースの方が大きい。偽の闇騎士に教わった馬での騎乗戦では間合いを詰めるために相手の馬に体当たりを喰らわせるのが常であった。
だから、どこからでも掛かって来て良いよ、と、相手が言った時に、ヒルダは一切の遠慮をせず空でバースを駆けさせ、レッドドラゴンにぶつかった。
だが、体格差を物ともせずレッドドラゴンのバッシュは受け止めた。
驚いている場合じゃない!
「はあっ!」
グイレグショートを抜いて、ウォーに斬りかかる。ウォーは軽々剣で受け止めた。一筋の鉄の音色が空を流れた。
ヒルダは猛連撃を繰り出す。ウォーは捌きながら嬉しそうに笑んでいた。
「地面とはかってが違うから苦労するかと思ったけど、取り越し苦労だったみたいだな」
その剣術を教えてくれたのはあなたです。
偽の闇騎士が目の前に立っている。正体を幾度か問い質そうと思ったが、やはり無粋に思えてならなかった。偽の闇騎士との思い出だって大切な宝物だ。
「では、そろそろ反撃と行きますか」
ウォーが防いでいた剣を押し、ヒルダを仰け反らせる。やはり男性の力には勝てない。
ウォーの一撃を受け止め、肩に重い力が加わった。
負けない!
カーラの顔が過った。
すると、ヒルダはウォーを押し返していた。
ウォーは油断していたらしく慌てて竜の背で体勢を整えた。
「筋肉は裏切らなかった」
ヒルダは茫然と、己の手を見て呟いていた。成人男性を押し退けた。それが、ヒルダが地道に鍛えていた結果であった。
「やるな、ヒルダ殿!」
ウォーもまた感心、いや、感動しているようであった。
「恩ある人達のおかげです。さぁ、ウォー殿、お覚悟!」
「どんどん、来い!」
二人は派手に剣を打ち鳴らし、時を忘れていた。
息がようやく上がり始め、ウォーの方から帰還を切り出してくれた。
バースとバッシュは主人の名誉を思ったのか、競うように竜舎へと飛んで行った。
3
「ヒルダさん、これ、持ってみないか?」
ある日、修練を終えて竜舎へ戻ると、ウォーが自分のグレイグバッソを引き抜いて渡してきた。
グレイグショートよりも、長く分厚く頑健な剣だという印象を持っていたが、まさか、その重さが腕に馴染むことまでは予測できなかった。
「振ってみて良いですか?」
ヒルダは驚きを飲み込んだままウォーに尋ねた。
「御存分に」
ウォーは笑顔で下がった。
ヒルダは周りと距離があることを確認し終えると、グイレグバッソを振るった。
重たい風の音色になるかと思ったが、そうではなく鋭利であった。まさに鋭い風切り音であった。
「ヒルダさん!」
ウォーの大きな声でヒルダは自分が夢中で剣の感触を確かめていたことに気づいた。だが、恥じる心よりも感動が勝った。
「グレイグバッソ、丁度良い感じです!」
ヒルダが思わず言うと、ウォーは背中から鞘に納まった新品のグレイグバッソを差し出して見せた。
「やっぱり、貴方ならば、そろそろこちらを持つに相応しい力を得たと思っていましたよ」
「ウォーさん」
ヒルダはウォーを見上げて、そして胸が熱くなり、思わず泣いた。
ウォー、偽の闇騎士、カーラ、グランエシュード、恩人達の顔が浮かんでゆく。
「良かったね、ヒルダさん」
「はい……。本当に皆さんのおかげです」
ヒルダは抜き身の剣を返し、そして、自分の物となったグレイグバッソを抱き締めた。
その時、状況を見守っていたらしく、竜乗りの同僚達と、職員が温かい拍手を送り、竜達は祝福するかのように長々と遠吠えのような声を上げて鳴いていた。
ヒルダはまた新しい感動をウォーに周囲の人々や竜から貰うことができ、感謝の気持ちのまま気を引き締めていた。
もっともっと強くなる。
グレイグバッソの柄を握り締めそう決意したのであった。




