「寄り添い」
ヒルダはやっとの思いで竜舎に着くと、愛馬バロを番兵に任せて扉を開いた。
午後も遅い時間だが、職員らは活動し、他の竜乗り達も思い思い、竜達と触れ合っていた。答えはここにあったのだ。ヒルダは、それさえ見過ごした。今更反省しても仕方が無いが、この竜舎に広がる光景と竜達に心が圧倒されていたのだろう。
まずは自分が、竜舎に慣れるところから始まらねばならない。
ヒルダはバースを見付けた。動物もそうだが竜も見分けがつかない。それはもしかすれば竜達もそうなのでは無いだろうか。だが、ヒルダは前方竜舎の奥にいる竜こそがバースだと確信していた。
「バース」
ヒルダは歩み寄るとうずくまる竜に囁いた。竜は反応せず、身体を呼吸で上下させ、眠っていた。
無理矢理起こしたくはなかった。ヒルダはバースの隣に腰を下ろし、ジッとバースを眺めていた。綺麗な青い鱗が目に入る。竜というのは宝石を身に纏っているようなものだ。ヒルダはそう思った。
バースが身動ぎしたのは二時間後だった。
竜乗り達と日勤の職員が去り、夜勤の職員が十名入って来た。
職員らは怪訝そうにヒルダを見ていたが、その内の一人が歩んで来た。茶色の髪を首元まで伸ばしたヒルダより少し年下と思われる女性であった。
「後は、私達に任せてください」
厚意的に言われたが、ヒルダは応じた。
「私は、バースのところにお泊りします」
「え?」
「すみません、ご迷惑をお掛けします。でも、決めたのです。バースが心を開いてくれるまでずっと一緒に居ると」
「分かりました。でもこれから竜達も夕食なので少し慌ただしくなりますよ」
「私も何かしましょう」
そうしてヒルダは生肉と野菜の詰まった大きな桶を持ってバースの前に来た。
バースは四つ足で立ち上がった。
他の竜達が食事を始めたので、ヒルダも桶をバースの前に置いた。
よほどお腹が減っていたのか、バースは桶に顔を突っ込み、食事を始めた。ヒルダはただ側で愛しくバースを見ているだけであった。
バースは食事を済ませると、再び身体を伏せ、丸くなって寝息を立て始めた。
「バース、お眠なの?」
竜と会話しろ。ドラグナージークの教えが脳裏を過ぎる。例えバースが聴いて無くともヒルダは幾つか言葉を掛け、あとはバースの眠りの邪魔にならぬように側で座ってバースを見ていた。しかし、竜舎の事務所以外は暗く、ヒルダもいつの間にか眠りに落ちていた。
2
ヒルダが目を覚ましたのは、騒々しい声がしたからだ。まるで何人もの人々が一斉に喋っているかのようだった。
竜舎の飛び出口は閉じられていて、ここは暗かった。だが、朝なのだろうと思った。それは竜達がまるで会話をしているかのように互いに静かに鳴いていたからだ。
丸まったバースは会話には加わらず尻尾越しに目を開いてヒルダを見詰めていた。
「おはよう、バース」
だが、バースは目を瞑ってしまった。
ふと、あちこちから便の垂れ流す音が聴こえて来た。物凄い悪臭であった。それはそうだ、あんなに色んな物をたくさん食べたからだ。
バースが立ち上がり、屈んで屁の交じった便をし始めた。大量の折り重なったフンに、身体の下を尿が流れて行く。
二人の職員らが両端に分かれて、飛び出し口の戸を開き始めた。
朝の肌寒い空気にヒルダは身を震わせた。だが、上リ始めた陽が竜舎の中を照らす光景を見て、竜がいかに神秘的な生き物なのかと思わせ、ヒルを感動させた。
「掃除しなくちゃね」
ヒルダは他の職員を見習い、外の井戸で桶に水を汲むと、まずそれだけを持ち、バースのところへ置いた。その後、長柄のブラシを取って来る。
「先に汚れた干し草を変えてください」
ヒルダのことを心配して見てくれていたのだろう。昨日の女性職員がそう教えてくれた。
干し草を抱え、所定の位置まで持って来て重ねると、ヒルダは職員らが手袋をして竜のフンを取っているのを見た。
「手袋は何処にありますか?」
ヒルダは女性職員に尋ねた。
「掃除ブラシのところです。土嚢袋もあるのでフンはそれに入れて決まった場所に置いてください」
丁寧に言われ、ヒルダは手袋と土嚢袋を持って来る。
「さぁ、綺麗にしないとね」
ヒルダは手袋越しに竜のフンを掴んだ。凄まじい臭いがし、フンは崩れた。ヒルダは文句も何も言わずに淡々と仕事を進める職員らを尊敬しながら、大きなフンの塊を次々袋に詰めていった。
他の職員らは既に作業を終えたらしく、次の工程であろう、床に水を流しブラシで磨き始めた。
ヒルダもすぐに参戦する。
「バース、綺麗にするから、ごめんね」
ヒルダは竜にそう声を掛けると、桶の水を流し、ブラシで床を磨き始めた。
バースは四つ足で立ち上がった。ヒルダはバースがわざと立ってくれたのだと思い、ブラシで胴の下の床を磨き始めた。
水を汲みに行くこと五回、ようやくヒルダは作業を終えた。とにかく疲れた。その時、お腹が鳴った。
昨日の夜から何も食べていないことを思い出した。
「バース、一旦、私は帰るわね」
ヒルダが言うとバースは既に身を伏せて目を閉じていた。
3
てっきり、音沙汰無しで家に戻らなかったため、大騒ぎになるかと思ったが、そうはならなかった。
「既にウォー殿が知らせてくれました」
「ウォー殿が?」
昨日、どこからか見ていたのかもしれない。
食事を済ませ、リーフが率先して焚いてくれた風呂に入る。
湯船の中、ヒルダは大きく一息吐き、長湯をせずに出ると、女中のどちらかが置いてくれた新しい鎧下着に袖を通す。
そうして慣れたように装備品を身に着けると、女中二人が心配そうにこちらを見ていた。
「お嬢様、御無理はなさりませんように」
リーフが言った。
「大丈夫よ。バースの隣に居るだけだもの。二人とも、心配掛けるけど、しばらくよろしくね」
バロを引いてくると、ヒルダは思い出し、門番のバルトに言った。
「闇騎士殿にはしばらく不在が続くことを言って貰えるかしら?」
「ええ、分かりました。お嬢様、どうぞ御無理なく」
「ありがとう」
ヒルダはこうして再び竜舎へとバロを飛ばした。




