「竜乗り」
ウォー・タイグン。緑色の長い髪と綺麗な青い瞳。どこか粗野な風貌と口調だが、その奥には優しさがあるようにも思えた。
もう一度、もう一度会って、この胸がときめくかどうか、どうしても試したかった。
城中を探すもウォーの姿は無く、ヒルダは途方に暮れていた。
せっかくの時間を無駄にしたくなかった。
ウォーは城で会ったらと言っていた。だが、その城にはいない。行き違いになったのかもしれない。ヒルダは戻ろうとしたが、ふと、思い立った。料理長のジオログなら知っているかもしれない。何せ、城の中で食事をする場所と言ったら、食堂以外に無い。
ヒルダは、スカートをはためかせて回廊を疾走した。
2
ジオログはあの不動の鬼の弟で、まるでそっくりな顔をしていた。その眼前で膝を屈しそうになりながらゼーゼー息を喘がせるヒルダを見て、ジオログは血相を変えて駆け付けて来た。
「ヒルダ殿、どうした!? 謀反でもあったか!?」
帝国の重鎮ガーナー伯爵の謀反未遂があって久しい時期だからこそ、ジオログはそう尋ねたのであろう。
「違い……ゼー……ます」
「何だ、それじゃあ何だ?」
「人を探してます」
ようやく息が整ってきた。ヒルダが言うとジオログは幾分、脱力し、こちらも息を吐いた。
「まぁ、人探しならここに来て正解だな」
「べリエル王国のウォー・タイグン様という方を探しています」
「ああ、緑色の髪の」
「そうです! その方です!」
ヒルダは人目も憚らず声を上げていた。
筋骨隆々の料理長ジオログはニヤリと笑みを浮かべた。
「な、何ですか?」
「良い男だったなと。食べ方も気持ちが良いくらいだった。豆を発酵させてネバネバにしたあれを試しに奴に出してみた。そしたら他の連中が嫌がる臭いもネバネバも何のその、あいつは嬉しそうに食べ切りやがった」
「ジオログさん! ウォー殿はどちらに!?」
満足そうに話すジオログには悪いが、ヒルダは待ち切れず声を上げた。
「おっと、すまん。奴は竜乗りだよ。つまり」
竜舎だ!
「ありがとうございます!」
ヒルダは華麗に踵を返し、ジオログの元を去った。
彼女は城の門まで来て、竜舎を目指して駆け出した。
城と並んだ丘の上にあるが、竜舎の斜面は急峻であった。ヒルダはゼーゼー言いながら足を進ませた。
痛い、足が棒になる。座って縫物ばかりしていたからかもしれない。
ヒルダはそれでも上りきった。
「大丈夫か、御婦人?」
番兵が尋ねた。その背に竜舎の扉が見えてヒルダは、ガックリと地面に膝をついた。
「着いた……竜舎……」
「貴方のような高貴な御婦人が竜舎へ何用があって参られた?」
「ウォー……」
ヒルダは食堂での時よりも酷く息を荒げ、肩を上下させてか細い声でそれだけ絞り出した。
「ああ、ウォー・タイグン殿か。会うか?」
「お願いします……」
ヒルダが言うと番兵は竜舎の大きな扉を開いた。途端に鼻をつく不快な臭いがした。植物の肥料に似ている。つまりは竜の排泄物の臭いだろう。竜のフンの肥料だなんてそういえば聴いたこと無かった気もするが、存在するのであろうか。
竜の嘶きと、職員らの声が行き交い外まで届いてくる。足が痛い。座りたい。
靴音が近付いてきた。それは石の床を蹴り、土を踏んだ。
ヒルダが顔を上げると、そこにはウォー・タイグンがいた。
疲れた。とてもときめいている場合ではない。
「あの時の美人さんか。ヒルダ・エイドリアンさん、俺に何の用だ?」
「え……あの……」
そう言われ、ヒルダは呼吸を整えながら考えを巡らせた。まさか、真正直に、あなたに会って再び胸がときめくか試したかったのです。とは言えない。ついでに、エイドリアンじゃなくてアドリアンだ。ひとまず理由探しにヒルダが、悩んでいると、ウォーは言った。
「まぁ、どちらにせよ、竜舎に来る格好じゃないな。綺麗な服に臭いが染み付くぞ」
ヒルダはハッとして頷いた。
「そうですね……。どんな格好で出向くべきでしょうか?」
「そりゃあ、鎧か、作業服さ。あんたぐらいの美人なら作業服なんて勿体無い。鎧の方が映えるぜ。女騎士みたいにさ」
「剣なんて振ったことがございません」
「ハハハ、だろうな。でだ、あんた、竜に乗ってみたかったんだろう? それで、ここまで俺を訪ねに来た、そうだろう?」
そういうことにしておこう。ヒルダは頷いた。
「分かった。乗って行きな」
ウォーが言った。
ヒルダは痛む足を上げた。その時、ふと、抱き上げられた。背中と膝下に逞しい鎧の腕が入っている。
ウォー・タイグンがウインクした。
「お世話になります」
ヒルダはそう言うのが精一杯であった。何せ、この胸ときたら、やはりときめいたのだ。
ウォーに抱えあげられ、ヒルダは竜舎の中へと入った。
竜の甲高い鳴き声が耳を刺し、便臭が鼻を貫く。竜達は干し草の上で座ったり立ち上がったりしていた。
ふと、視界の端に、シンヴレス皇子とサクリウス姫、不動の鬼とカーラの姿が見えた。四人ともこちらを怪訝そうに見ていた。
「着いたぜ。立てるか?」
ヒルダは度肝を抜かれた。目の前に大きな頭があったからだ。その裂けた口は、勿論ウォーのものではない。彼の竜だった。
「レッドドラゴンのバッシュって名前だ。全長五メートル。まだまだデカくなる」
ヒルダはいつ間にか石の床の上に立ち、愛しそうに竜の頭を撫でるウォーを見ていた。
ウォーの声が耳の左から右へと抜けて行く。
ヒルダは竜の顔を見詰め、またもや心臓がドキドキしていた。胸のときめきではない。今度は竜への緊張であった。竜が飛ぶ姿なら見たことがあるが、こんな凶悪そうな面をし、おおよそ、主人と餌の区別も付かずに食べそうな頭の悪そうな顔を見て、一歩、後ずさった。
「おいおい、大丈夫、あんたを食べやしないぜ?」
「本当ですか?」
「ああ、本当だ。竜ってのは頭が良いんだ。ほら、バッシュ、客人を乗せて空を駆けるぞ」
ウォーが手綱を引くと、竜は何の抵抗も無く歩んで行った。
「ヒルダさん! 行くぞ!」
「あ、は、はい」
と、答えたは良いものの、よくよく考えると空を飛ぶのだ。足が震えて来るのを感じる。だが、竜に乗るために来たのだとウォーは思っているし、そう告げてしまった以上、逃げ出してはカッコが付かない。
「ヒルダ! 頑張って!」
そんな時、若々しい声が聴こえた。
見れば、皇子殿下がこちらを見ていた。
「大丈夫だよ! 空は楽しいところだから!」
「お、皇子殿下!」
ヒルダは慌ててガバッと会釈をし、ウォーの元へと大股で追いついた。
「皇子殿下の言う通りさ、俺の肩か腰か掴んでてくれ、まぁ、最悪落ちても拾いに行くから安心しろ」
「そ、それは、死んでも骨は拾ってやるという意味でしょうか?」
「ん?」
ウォーはそう首を傾げると首を戻し、程なくして意味を理解したようで笑い声を上げた。
「違う違う、地面に落ちる前に捕まえるってことだよ。さぁて、乗って」
竜の出入り口は横長に広く、下は勿論、崖であった。
ウォーがバッシュと呼んでいる竜の背に乗り、ヒルダも覚悟を決めて竜の背に片足を乗せた。意外と安定している? そして思い切ってもう片方の足も竜の背に乗せると、素早くウォーの両肩を掴んだ。乗った瞬間、発進されたらと危惧したためだ。何度も言うが下は崖で落ちたらまず、助からない。ウォーが凄腕の竜乗りでも拾い上げる間すら無いだろう。
その時、冷たい感触が右手に走った。
ウォーがガントレットを付けた手でヒルダの手に重ねて来たのだ。
ガントレットは冷たかったが、ヒルダの心はようやく本当の意味で落ち着いた。
「ウォーさん、バッシュ、この度はよろしくお願いいたします」
「畏まるなよ。さぁ、行こうか。飛ぶぞ、バッシュ!」
レッドドラゴンが大きな翼を広げる音がした。