「初めての試合」
眩い光りに目を思わず閉じる。耳に聴こえるのは一つの音となった影のように聳え立つ大観衆の声だ。対戦相手は剥き出しの地面の中央に立っていた。
ヒルダは緊張を覚えながら木剣を一度振り、騎士のように鍔を顔の前で真っ直ぐに立てて下ろした。何も考えられない。歓声の海へと落とされた気分だ。何とか藻掻き上がらなければならない。
地面を歩んで行くと、相手の姿がよく見えた。ヒルダよりも完全武装であるが軽装だ。とは言っても鉄のリベットの打たれた、頑丈そうな革の鎧を着ている。兜の下から見える目は、喜悦であった。
「何だ、七人目は楽勝だな」
相手が言った。ヒルダはそこで敵を睨み付けた。
「おお、怖い」
相手がおどけて言って見せた。
舐められている。私にはカーラさんや闇騎士殿の訓練があった。過酷と言えば過酷だ。自主練だってやってきた。筋肉は裏切らない。
審判が進み出て来て、両者は五、六メートル離れた位置で向かい合った。
「第七試合、フレデリック対、ヒルダ、始め!」
審判が宣言する。
フレデリックはロングソード型の木剣を悠々振り回し、弄んでいた。
ヒルダは、相手の目を冷静に見て逸らさず、次の瞬間、踏み込んだ。
木剣同士の高く軽い音色が木霊する。
「み、見えない」
フレデリックの顔が嘲笑から恐れへと変わった。
ヒルダは打ち込んだ。
観衆の中からヒルダを応援する声が僅かに聴き取れた。声援が気持ち良い。これが、コロッセオという場所なんだ。
ヒルダはもはや戦士であった。幾度も幾度も打ち込み、相手のフレデリックとか言う男は後方へ後方へとヒルダの剣を受け止めながらジリジリ後退していった。
フレデリックが忌々し気に舌打ちしたかと思うと足払いを掛けて来た。
ヒルダは転倒し、一瞬何が起きたのか分からなかった。青い空を仰いでいた。綺麗な空だったが、相手の姿が視界を遮った。剣を逆手に持ち振り下ろす。ヒルダは倒れたまま薙ぎ払い、素早く起きて後方へと跳んだ。
「見掛けによらず、やるじゃねぇか、あんた」
フレデリックが言った。
ヒルダは無言で敵の隙を窺った。
「今度はこっちの番だ」
フレデリックが大上段に剣を振り上げ、ヒルダ目掛けて振り下ろした。ヒルダは受け止めるか、避けるか逡巡し、結局避けた。重い風の音色と木剣の影が過ぎった。
膂力だけはある。そして足払い、冷静でもある。ヒルダはそう判断し、次々振り下ろされる剣を避けた。会場全体からブーイングが飛んだ。よく耳を澄ませれば、消極的な戦いになっているヒルダへの不満であった。
「新人さん、聴こえるか? これがコロッセオの恐ろしいところさ。この空気、不況を買う前にくたばるべきだったな」
フレデリックが言った。
ヒルダは焦って踏み込み、突きを放った。
フレデリックがその下を掻い潜り、こちらも突いてくる。ヒルダは身を捻って避け、両者は位置が正反対になっていた。
勝てない相手では無い。ヒルダはそう結論を出した。再び茶色の剣を向けて睨み合い、ヒルダは頭を使う必要があると思った。一番手っ取り早い戦術を思いつく。
「はあっ!」
ヒルダが気合いの声を入れて踏み込もうと足を出そうとしたところをフレデリックが剣を突き出す。ヒルダは踏み込まずに避け、勢い余って少しよろめいたフレデリックの剣を下から思いきり叩きつけた。
フレデリックはそれでも手を放さなかったが体勢が伸びきっている。ヒルダは今度こそ踏み込んで、以前試合で見たウィリーの如く剣を薙いで胴を打った。
鞭で打擲されたような鋭い音がなり、会場は静まり返った。
フレデリックは信じられんとばかりに打たれた箇所に手を置いていた。
「勝者ヒルダ!」
審判が宣言すると、会場は大いに湧いた。
「舐めたわけじゃなかったが、あんたも外見に似合わず鍛えていたんだな」
フレデリックはそう言い残すと、背を向けて出口へと歩んで行った。
ヒルダは気持ちが良かった。心が高揚し、踊り出したい気分になった。会場の声はヒルダを讃えるもの一色であった。
すると、次なる相手が向こう側から歩んで来た。
木製の長槍を手にした兵士のような姿をした相手であった。
「女性が相手か。だが、侮らんぞ」
若い男であった。ヒルダよりも幾つか年上だ。
間合いを取り、審判が両者を見る。
ヒルダは相手と睨み合った。
「ヒルダ対マルコ、始め!」
言った瞬間、マルコの長槍が突き出された。ヒルダは避ける。これは間合いに入れば勝てるわね。素早くそう計算した。
だが、次なる相手マルコは長槍を繰り出しては薙ぎ、突き、旋回させて振り回していた。
そのマルコの半ばパフォーマンス気味な動きを、観客達は喜んで承認している。
いけない、ブーイングがまた来るわ。
ヒルダは槍先を木剣で打ち落としたが、マルコは素早く槍を上げ、上から叩いてきた。
物凄い風がヒルダを撫でる。マルコはそのままヒルダを叩こうとしている。その時、ヒルダは両手で剣を握り、今度こそマルコの槍を跳ね返した。
今だ!
ヒルダは駆けて踏み込んだ。マルコが歯を食いしばり、槍の石突きを向けた。木剣は見事に敵の思う様に防がれた。
だが、間合いではヒルダが有利なのは変わらない。
石突きと何発も打ち合い、敵が遂に石突きから短めに持った槍先を繰り出した。
こうするために時間を稼いでいたのだろう。
槍を連続で突き、ヒルダは全てを払いきれず、思わず後退したが、槍が追って来た。一撃、突きを避ける。だが槍先は薙ぎ払われ、ヒルダを追撃した。ヒルダは木剣で受け止めるが、膂力の乗った長槍を彼女は防ぎきれず、片膝を付いた。
瞬間、槍が持ち上がり、ヒルダの頭を強かに打った。
ヒルダが覚えているのは頭から首、肩に雷に打たれたような痺れが走ったことだけであり、真っ暗な世界が来たのは僅かに遅れてからであった。




