「黒衣の戦士」
シンヴレス皇子とサクリウス姫の子供はチコルと名付けられた。都が国が祝福の声を上げる中、もう一つの結婚の話しが舞い込んできた。他ならぬカーラと皇子護衛の不動の鬼であった。
二人の式は、竜教の教会で静々と行われていた。シンヴレス皇子とサクリウス姫がいて、その手にはチコル様が抱かれている。ヒルダも数少ない招待客の一人として、カーラに招かれた。
純白のウェディングドレス姿のカーラ、タキシード姿だが、腕が太くて合わないため、袖を切った正装とも言えるような言えないような不動の鬼。二人は武名高く、歳も近いため、まさにお似合いだった。だが、二人とも衣装の下は実はチェインメイルであった。腰には短剣を隠して帯びていた。こんな状況であろうとも、来賓のシンヴレス皇子達を護衛するという役目を二人は忘れていなかったのだ。
結婚式を追えた後、カーラが言った。
「ヒルダさん、これからの稽古だけど、私実は……」
カーラは言い難そうに口を噤むと自分のお腹の辺りに手を置いた。
ヒルダにも事情が分かった。
「カーラさん、これまでありがとうございました。心配しないでください、私なら一人でも自分自身を厳しく指導できると思ってます」
「そうね、ヒルダさんなら大丈夫よね。本当に中途半端な形になってごめんなさい」
カーラが師から外れたが、ヒルダはカーラの教えを自分なりに戒めて励んだ。
だが、ある日、ふと思ったのだ。竜の上で戦う訓練を想定した修練を積んでいなかったことを。
ヒルダは登城する理由も義務もなく無くなったので、乗馬をし、修練を積むことに決めた。
屋敷の庭でバロを操りながら、左、右と剣を振り回す。バルトが下から槍を繰り出し、それを弾く。延々と続け、昼過ぎにリーフとヴィアが食事に呼んだ。
それから午後もバロの上で命令を与えながら剣を振るい、払い、突いた。
その時、門扉を叩く音がした。開け放たれた門の前には一人の影が立っていた。
「聴いたとおりだったようだな。イルスデンの貴族令嬢は剣術にも励むのか。大したものだが、馬上ではまだまだ不慣れなようだな」
「何者!?」
バルトがヒルダを庇い前に出て槍を向ける。
上から下まで黒塗りの鎧を身に纏った客は笑って言った。
「我が名は闇騎士とでも名乗って置こう」
「はぐらかすな、当家に何の用だ!?」
バルトが声を上げると、屋敷の外へリーフとヴィアも飛び出して来た。鍋をかぶり蓋を盾にして、フライパンで二人とも武装していた。
「逸るな。俺はカーラの頼みを聴いて来ただけだ」
「カーラ殿の?」
ヒルダが問うと闇騎士は頷いた。
「ヒルダ殿が、こうして馬上特訓をしていることを彼女は見抜き、俺を指導者変わりに寄越した」
「兜を脱いでいただこう」
「それはできぬな」
バルトの厳しい口調にも闇騎士はやんわりと返した。
「お嬢様、城へ問い合わせて見た方が良いのでは?」
リーフが言った。
「いえ、強いならそれで構いません。馬上で私と打ち合って見せてください」
「話しが早いな、よろしい」
闇騎士は門の向こうに消えると、一頭の黒毛の馬を引いてきた。そして甲冑姿だというの慣れた動作で馬上の人となった。
「ヒルダ殿、隙があれば打ち込んで見せろ」
馬を寄せると闇騎士は言った。
隙だらけであった。だが、ヒルダには分かっていた。あえて隙だらけに見せていて、実際には隙が無いのだ。
「どうした、怖じ気付いたか?」
「いいえ」
ヒルダは覚悟を決めて左手で手綱を握り、バロを寄せながらグレイグショートを薙ぎ払った。
甲高い音色と、腕から全身に痺れが走り、ヒルダは剣を落としていた。
なるほど、早くて見えなかった。
「すっごい」
ヴィアがかぶった鍋の下で感心した声を出した。
「感心している場合ではないですよ! バルト殿!」
逸早く正気を取り戻したリーフが声を上げる。
「お嬢様!」
バルトが闇騎士の後ろから槍を繰り出すが、闇騎士は後ろを見ず、剣だけ回して槍を受け止めた。
「ぬ、ぬぅ、おのれー!」
バルトが連続で突くが、闇騎士は全て振り返らずに捌いて見せた。
「つ、強い」
バルトが思わず声を漏らす。
「門番、ヒルダ殿に剣を拾って差し上げろ」
闇騎士はようやく首を回してバルトに言った。
「バルト、お願い」
ヒルダが言うと、バルトは飛んで行った剣を取り、歩んで来た。
剣を受け取ると、ヒルダは闇騎士を睨んだ。
「どうする、ヒルダ嬢、俺を新たな師と認めてくれるか?」
屋敷の三人が見守る中で、ヒルダは頷いた。
「是非、剣の師となって下さい」
「よろしい。そういうわけだ。心配は要らん、ヒルダ嬢に傷を付けたりはせんよ」
闇騎士が言うと、バルトとリーフとヴィアが互いに見詰め合っていた。
「お嬢様がお認めになられるなら」
リーフが代表して述べた。
「ありがとう。さぁ、闇騎士殿、さっそく稽古をお願いします」
「良いだろう、その意気、気に入った」
ヒルダと闇騎士は馬上で剣を打ち合い、その内、手綱を操り、どちらも自分が有利な位置になるように馬を動かしたが、闇騎士の方が圧倒的に早かった。完全にヒルダの頭の中を読まれているようだった。
その日の夕暮れ、闇騎士が稽古の終了を告げると、ヒルダは尋ねた。
「当屋敷に逗留致しませんか?」
「ありがたい申し出だが、兜を脱ぐわけにはいかぬのでな、明日から朝の九時にこちらに通わせて貰おう。ではな、ヒルダ嬢」
闇騎士は、馬を反転させ、貴族街へと消えて行った。
「お嬢様、本当によろしいのですか?」
門を閉めるとバルトが尋ねてきた。
ヒルダは頷いた。
闇騎士の教えは荒っぽそうに見えるが、丁寧であった。
「彼に教えを乞います」
ヒルダはそう答えると、バロを厩舎へ戻しに歩ませた。




