「ウォー・タイグンという男」
出来上がったコロッセオ。そのお披露目式と結婚式が同時に行われていた。
ヒルダは感激していた。役目とは言え、自分がずっとお世話をしてきたシンヴレス皇子がついに結婚するのだ。相手はかつてここイルスデン帝国と敵対してきたべリエル王国の姫君、サクリウス様である。侍女の一人として二人の身の回りのことをやってきたヒルダは、感慨も一入だった。
もしものためにと、特別のゲスト用の観覧席でエリュシオン皇帝陛下と、リオル・べリエル王、そしてその僅かな従者と共に結婚式の様子を眺めていた。
シンヴレス皇子は幼少の頃に母君アイリーン様を失っていた。だが、シンヴレス様は当時からお強かった。いや、強がっていただけなのかもしれない。しかし、こうしてサクリウス姫様と結ばれてくれて良かった。幸せになって欲しい。
結婚式の後も催し物があるようだが、シンヴレス皇子とサクリウス姫様が揃って退席なさったので、私も追従する。その時、べリエルの従者の方とぶつかってしまった。
「おっと、悪い」
おおよそ、対等か、下手に見ているかのようなセリフで相手は言った。
粗野な風貌、兜と甲冑姿。このまま行くのかと思っていたら、その人は兜を脱いだ。緑色の髪の毛とは珍しい。兜の下で長く折り畳まれたそれが揺れ、切れ長の瞼にある青い瞳を見た時にヒルダの身体は硬直した。
「御婦人、大丈夫か?」
その顔が怪訝そうなものに変わると、ヒルダは我を取り戻し、慌てて言った。
「だ、大丈夫です」
だが、相手は納得していないようだった。
「尋ね方が悪かった。大丈夫って言葉は案外無理をしている時にいう言葉だ。貴方は、本当は俺に何か言いたいことがあるんじゃないか?」
「本当に大丈夫ですから」
ヒルダは慌ててもう一度言った。
「そうかい。まぁ、肩を打撲とかしてたら国際問題にも発展しちまうしな。べリエルの竜乗りがイルスデンの麗しい侍女殿をケガさせたってな。そういうわけで何かあったら言ってくれ、俺はウォー・タイグンだ」
「ウォー・タイグン様、申し遅れました私は、ヒルダ・アドリアンと申します」
「ヒルダさんね。さぁ、行こうか」
皇子殿下とサクリウス姫は随分先を歩いていた。不動の鬼殿と、カーラ殿が護衛に就いているとはいえ、皇子殿下と姫様のお世話をするのが私達侍女の役目だ。それはウォー・タイグンも同じようで、腰から提げた竜乗りの証でもあるグレイグバッソの鞘を叩いて駆け出した。その時、ウォーは手を伸ばし、ヒルダの手を握った。
「走るぞ、ヒルダ殿」
「そんな、走るだなんてはしたない」
「なら早足で主人に追いつけると思うのか?」
「それは」
「そういうことだよ」
ウォーに手を握られ、ヒルダは駆けた。
走ることなんて滅多に無かった。侯爵家の家にいた時も、登城してからも。
あ、でも、何回か遅刻しそうになって走ったこともあった。
そこでヒルダは溜息を吐く。若い頃の思い出だ。今はもう二十四歳。貴族の社交界でも行き遅れと言われそうだ。
皇子殿下達に追いついてそのまま後に続いた。手を繋いだままだったことに気付いたのは城の門の前に来た時であった。
「あの、お手を御放しになられて下さいませんか?」
「おお、悪かったヒルダ殿」
ウォーは手を放してくれた。だが、ヒルダはそれを後悔していた。ウォーの手の感触が、温かみが、拭いきれなかったためだ。
年の頃、自分より少し上、二十六ぐらいだろうか。甲冑姿が様になっている。ヒルダはウォーを見詰めていた。
「ん?」
ウォーがヒルダを見詰め返すと、ヒルダは身体が熱くなり、慌てて言った。
「すみません」
するとウォーが笑った。
「貴方は、美人な御方だな。俺の任務はこの城でサクリウス姫様の護衛だ。城のどこかで会ったら、気楽に声を掛けてくれ」
恥ずかしげも無くそう言われ、逆にヒルダはまた身体がほてってきた。
それからシンヴレス皇子とサクリウス姫のうち、シンヴレス皇子の部屋を新婚夫婦の寝室として使うことになっていた。結婚式の間にもそちらの準備も居残ったメイドらによって進められていて、皇子の部屋にはダブルサイズのベッドが置かれていた。
皇子とサクリウス姫が部屋に入る。
ここで気付いた。あ、これからは皇子の御着替えの支度もサクリウス姫様がやるのだな。と。
少し寂しかった。皇子は御自身の部屋の隣にある私達侍女の待機所を以前のように訪ねてくれるだろうか。
2
特別な日が過ぎ、皇子はやはり待機部屋に顔を出してくれなくなった。
孤独感に浸され、ただ当ても無く縫物をしていた。その間、空想ばかりしていたが、もっぱらウォー・タイグンのことばかりであった。湖畔でお弁当を食べたり、城下を仲睦まじく散策したり、とか、そんなことだ。
だからか久々に扉をノックされて、空想の世界から現実へ引き戻され、小さく声を上げてしまった。
「は、はい、開いてますよ」
何と、訪ねて来たのは、イルスデン皇帝陛下だった。
「へ、陛下!?」
「ユシュタリア侯爵の息女ヒルダか?」
「は、はい」
心臓が早鐘を打つのが聴こえて来るようだった。
皇帝陛下は頷くと、床に慌てて跪く私に言った。
「長きに渡り、皇子の面倒を見てくれたこと礼を申すぞ。そなたの侍女の任を解く。領地へ戻り、良き伴侶を見付けよ」
皇帝陛下は私のことを心配してくれているのだ。それは分かる。だが……。ウォー・タイグンの姿が脳裏を過ぎる。分かっている、初めて私の手を掴んでくれたあの人に、自分の心もまた握られてしまったということだ。
「そ、それは……」
「不服か?」
「不服と申しますか……不服です」
「結婚相手を探さなくとも……む、もしや、この帝都に好いた異性でもいるというのか?」
「……はい。ただ、まだわかりません、恋などの自覚が無いので」
気付けば、皇帝陛下相手に恋の悩みを打ち明けてしまっていた。
「分かった。ならば、侍女頭として今後は励むが良い。不慣れな貴族の娘達に色々教えてやって欲しい。そうしながら意中の人を探すのだ」
「は、はい」
「シンヴレスがあそこまで成長できたのも、ヒルダのおかげでもあると確信している。だが、歳月は待たぬぞ。気が変わったらいつでも申して来るが良い」
「ありがとうございます」
ヒルダは深く深く頭を下げた。
皇帝が去ると、ヒルダは長椅子に倒れ、今度は別の緊張に苛まれていた。
ウォー・タイグン殿にアプローチしなければ話しは始まらない。部屋の外に出る。
皇子殿下の部屋の前には誰もいなかった。つまりは留守だ。不忠なのかもしれないが、ヒルダはウォー・タイグンと会って、自分の気持ちに偽りがないことを証明する必要があった。彼女はまだ確定していない仮の思い人を探すべく部屋を離れたのであった。