年下夫と疎遠確定の妃ですが、ダイナミックな方法でいろいろ解決されました。わけが分からない。
この国には、「名誉妃」というものが存在する。
「名誉妃」とは、王太子が生まれて間もなく婚約を結び、結婚する妃のことだ。
この「名誉妃」が王妃――国王の正式な妻や国母となることは、まずない。なぜなら「名誉妃」は、夫よりも十以上年上だからだ。
「名誉妃」は夫の幼い頃は姉代わりとしてその面倒を見て守り育て、思春期になったら女性の扱い方を教える。そして……夫が成人の十八歳になったら、隠居する。
遥か昔には、幼い王太子を巡って熾烈な争いが繰り広げられたこともあった。そういった争いを避けるために生まれた制度らしいけれど……これはこれで別の問題が浮上するよね? と私は思っている。
フローエ伯爵家の娘である私・エデルトルートは十二歳のときに、おくるみにくるまれた王太子殿下の「名誉妃」に選ばれた。
我がフローエ伯爵家は歴史こそ古いが、今ではすっかり没落してしまっている。両親は資金繰りに困っており、跡継ぎである兄も実家の経営を立て直すために幼少期から必死に勉強していたそうだ。
そんな伯爵家に、「名誉妃」の話がやってきた。
「名誉妃」は、王太子の姉となり、女性の扱い――つまりは閨知識を教える教師となる。けれども夫の子を身に宿すことは許されず、夫が十八歳になったら「今までおつとめご苦労様でした。では、余生はこちらでお過ごしください」といって田舎の別荘に移され、夫は年齢の釣り合う若い令嬢を王妃に迎える。
なんだその女性の権利を踏みにじるような制度はクソ食らえ、と思わなくもないけれど、この制度のおかげで国王夫妻が仲睦まじく暮すことができているという事例が多いので、今でも続けられている。
「名誉妃」になったら、妃の実家には莫大な資産が舞い込んでくる。これから未来の国王を守り育てる決意を固めた令嬢への礼金であり――「これだけやるのだから、絶対に国を裏切るな」という脅しの意味も兼ねている。
そして王子が十八歳になるまできちんとお役目を果たしたら、「よくやってくれました」ということで、さらにお金がもらえる。
両親は、悩んだ。兄も、「僕がもっと優秀だったら」と悩んだ。
そうして……三人は、まだ十二歳だった私に「名誉妃」にならないかという相談を持ちかけた。
私は、二つ返事で了承した。
「名誉妃」の制度自体には、思うことがある。
でも私がきちんとおつとめを果たしたら、実家を立て直すことができる。前払い金だけでも財政は一気に立ち直るし、兄もより高等な教育を受けられる。「名誉妃」の兄君ともなれば、是非とも結婚を、と申し出てくる貴族も出てくるはず。
私が頑張れば、みんなが助かる。
家族も、領民も、使用人たちも。
それならば、と私は笑顔でうなずいた。
両親と兄は泣いて私を抱きしめたけれど、大丈夫。
私は望んで、「名誉妃」となるのだから。
かくして私は王城に迎えられ、まだ生まれて間もない第一王子――オイゲン殿下の妃としてその御前に参上した。
結婚式は、挙げない。いずれ王都を去る「名誉妃」のための盛大な式など、必要ないからだ。
「お初にお目にかかります、王子殿下。本日より殿下の妃となりました、フローエ伯爵家のエデルトルートでございます。どうぞよろしくお願いします」
形式通りに挨拶をした私が手を差し出すと、乳母の腕に抱かれた殿下が眠そうに目を開いた。
まだしわくちゃの顔で、目もやっと開いたばかり。髪もほとんど生えていなくて、国王陛下と王妃陛下のどちらに似ているのかも分からない。
でもそんな殿下はうごうごと体を動かして、腕を伸ばし――私の親指をぎゅっと握ってくれた。
「あら、まあ。殿下はお妃様にお会いできて、お喜びになってらっしゃるのですね」
乳母はそう言って、笑った。
私は自分の親指を力強く握りしめる殿下を見て――誓った。
殿下が成人の十八歳を迎えるまで、私が必ずこの方をお守りしよう、と。
私はオイゲン殿下の「名誉妃」として、離宮で暮すことになった。
殿下のお世話係ではあるけれど、私も学びの途中だ。私は殿下がある程度の年になるまでにしっかり教養を頭に入れ、それを殿下にお教えする。
家庭教師のようにびしばししごくのではなくて、姉が弟を守り甘やかすように優しく教え諭すのが、私の役目だという。
王家の慣例に従い、殿下は両陛下とはほとんど顔を合わせずに成長される。歴代の王家はそんなもので、家族が顔を合わせるのは一ヶ月に一度あるかないかくらいだという。
なお現在の国王陛下にも当然、「名誉妃」がいた。陛下よりも十四歳年上の彼女は、陛下が成人したことで別荘に移ったときには既に三十二歳だった。
夫の子を身ごもることはもちろん、離縁するわけではないので他の男性と関係を持つこともできない彼女は一生、自分の子を産めない。女性の権利はどこへやら……という感じだけれど、彼女も――そして私もそれを覚悟で「名誉妃」になったのだから、文句は言えない。
さて、オイゲン殿下は最初は当然赤ん坊なので、まずはすくすくと育つことが優先だ。
私は自分の勉強をしつつ、殿下にミルクをあげたりおしめをかえたり乳母車に乗せて散歩に行ったりした。
ある程度大きくなると、食事の介助をして手をつないで散歩に行ったりもした。
「ルティ、あれは何?」
「あれはですね……」
手をつないで庭を歩いていると、殿下はいろいろなものに興味を持たれた。
私は両親がよくいろいろなところに連れて行ってくれたし兄と一緒に野山で遊んだりもしたので、自分の知っている知識を何でも殿下に教えた。
花、虫、植物、魚の名前。花冠の作り方や、草笛の吹き方。木登りのし方や釣りのやり方、食べ物を食べられることのありがたさや、動物との接し方や……死んでしまった生き物を弔うことの大切さも。
「ルティ。ペルルはいつか、またぼくにあいにうまれてくれるかな……?」
「ええ、きっと。だからペルルに再会できたときに笑顔で『おかえり』と言えるようにしましょうね」
「うん、そうする……」
可愛がっていた犬のペルルが死んでしまったとき、殿下はベシャベシャに泣いてからペルルを葬り、力強く宣言していた。
生まれたばかりの頃は何色か分からなかった殿下の髪色は、鮮やかな金色だった。昔はしょぼしょぼしていた目はぱっちりと見開かれ、秋の空のような澄んだ青色が美しい。
気丈にしつつもペルルの死に嘆き悲しむ殿下を抱きしめて……こうやって喜怒哀楽の感情を大切にできる方にお育てしよう、と十八歳の私は自分に言い聞かせた。
最初のうちは無邪気に私を慕っていた殿下だけれど、慣例により十二歳の誕生日を迎えられた日に、宰相から「名誉妃」のことを聞かされる。
誕生日会は王城で開かれたけれど、そこに私は招かれていない。
準備中の殿下は「どうしてルティは来ないの?」とずっと不思議そうな顔をしていたけれど……会の後でその理由を聞かされるはずだ。
「名誉妃」が表に出ることは、ない。
いずれ王城を去る妃に、そのようなきらびやかな場所はふさわしくない。
きっと殿下は宰相から話を聞いた後、王妃選定のことも説明されるはずだ。
もう既に、殿下と年の近い令嬢たちが複数名、王妃候補としてそろえられている。彼はいずれその中から王妃――そして必要であれば第二妃、第三妃を選ぶことになる。
殿下の帰りを待ちつつ、私は離宮の掃除やお茶の準備などをしていたのだけれど……突然、すさまじい音を立ててドアが叩き開けられた。
「ルティ!」
「えっ? あ、あら、おかえりなさいませ、殿下……」
「『名誉妃』のことを聞いた。……ルティが六年後に王都から追い出されるというのは、事実なのか!?」
ここしばらくの間にすっかり大人びて落ち着きを身につけた殿下だけれど、今は顔を真っ赤にして私に詰め寄ってきた。まだ身長こそ私の方が高いけれど、もう数年もすれば越されるはず。
「はい、そうです。殿下が十八歳になられたら私は別荘に移り、殿下は王妃様をお迎えになります」
「……なぜだ。なぜルティを王妃にするのではいけないんだ!」
「宰相閣下からお聞きでしょうが、殿下が成人なさったときに私はもう三十歳になっております。女性はどうしても、年を取れば取るほど妊娠出産が難しくなりますし、子を産める年齢にも限度がございます。その点、若い王妃様を迎えられたら健康面でも年齢の面でも、不安要素が少ないのです」
私は感情を込めずに、淡々と説明する。
今更、ショックなんて受けない。「名誉妃」のあり方は、殿下よりもずっと私の方が理解しているのだから。
でも殿下は受け入れられないようで、「そんなことはない!」と声を上げる。
「僕は、ルティが僕の子どもを生んでくれると思っていたんだ!」
「ですが殿下はまだ、そのあたりの教育がほとんどできておりませんよ」
「そ、それはそうだけど……でもちゃんと勉強するし、ルティが困らないようにするから!」
「……学ぶだけではだめなのです。私はもう、二十四歳です」
「構わない! 僕は、ルティがいい! ルティ以外は、嫌だ!」
「殿下……」
「……殿下!」
ドア開け放たれたままだった出入り口から、この離宮の執事がやってきた。殿下が「じいや」と呼び慕う彼は息を切らせ、殿下の肩を掴んだ。
「もうおやめくださいませ。エデルトルート様がお困りでしょう」
「じいや! おまえも『名誉妃』なんて制度に賛同するのか!?」
「……わたくしごときでは、どうにもなりません。よいですか、殿下。もし殿下が無理にエデルトルート様をお引き留めしても……お世継ぎを作るとなり、苦しまれるのはエデルトルート様です」
「でもっ……!」
「それはつまり、エデルトルート様の死亡率が高くなるということなのです」
私ではちょっと言いにくかったことを、執事が代わりに言ってくれた。
するとそれまでじたばた暴れていた殿下は動きを止め――うつろな青色の目で私を見てから、泣きそうに顔をゆがめた。
「……やだ。ルティが死ぬなんて、嫌だ……!」
「であれば、どうか受け止めてください。……エデルトルート様は全てをご理解なさった上で、殿下の『名誉妃』になられたのです。今の殿下と同じ十二歳のときに、その決意を固められたのです。……どうか、ご理解ください」
「っ……」
殿下は目を真っ赤にして黙ると、執事の手を振り払って部屋を出て行ってしまった。
「……申し訳ありません、エデルトルート様」
「お気になさらずに。……私がいずれ殿下のもとから去る『名誉妃』だと、もっと早く教えられたらよかったのですが……」
「慣例ですからね、仕方のないことです。それに……エデルトルート様が真心を込めて殿下をお育てしたからこそ、あれほどまで必死になられたのでしょう」
「そう……ですかね」
「そうですとも。……あと六年の間に、殿下も心を決めてくださればよいのですが……妙に頑固なところがおありの方ですから、難儀しそうですがね」
執事がやれやれとばかりに言ったので、私は苦笑を返すことしかできなかった。
殿下は誕生日会の後、何日も部屋にこもってしまった。
特に私とは顔を合わせたくないようで、ドアの前で呼びかけても「ルティは来ないで!」と追い払われてしまった。食事はちゃんと取っているみたいだから、大丈夫だとは思うけれど……。
これまで王城と離宮とのやりとりはあまりなかったけれど、誕生日会以降はあれこれ手紙が届いたりした。また、王妃候補らしい令嬢たちと殿下の面会も予定されていたそうだけれど、殿下は頑として部屋から出てこなかった。
放置された令嬢はおかわいそうだったけれど、彼女らやその親たちが私を睨んで「おまえが余計なことをするからだ」と吐き捨てていくのは、さすがにむっとした。私は指示されたとおりに殿下をお育てしただけで、嫌みを言われるのはお門違いだと思う。
……十二歳になったら、そろそろ本格的に閨教育を……とも言われている。私としては仕事なのでちゃんとやる気だけど、殿下の方が私を全面拒否しているので教育が進まなかった。
最近は他の家庭教師は部屋に通すようにしているのに、私だけはお断りらしい。
でも、いざ殿下が王妃様と共寝するときに大失敗したりしないようにするために、私がお教えする予定なのだけれどね……。
そんなことを考えていた、ある夜のこと。
「……ルティ、いるか?」
「えっ、殿下?」
今日も殿下に会えないまま一日が終わろうとしていて、寝る仕度をしていた私はドアの向こうから聞こえてくる声にびっくりした。
「どうかなさったのですか?」
「……ドア、開けてくれるか? 話したいことがある」
「はい、すぐに」
もしかすると、殿下もいろいろと吹っ切れたのかもしれない。それならば、私としても喜ばしい限りだ。
そう思ってドアの鍵を開けるとそこには、もう夜なのにきっちりと外出用のジャケット姿の殿下がいた。ここ最近顔を合わせていなかったから、健康状態が心配だったけれど……元気そうでよかった。
「こんばんは、殿下。……そのお召し物は?」
「……。……ルティは、僕のことが好きか?」
「え? はい、好きですよ」
「……その『好き』は、姉が弟を見守るような気持ちの『好き』だろう? 僕のことを異性として愛しているか?」
「……それはちょっと」
ここで嘘をつくのはよくないと思って素直に答えると、殿下は「だよな……」とうなだれた。殿下はごまかされるより、直球で受け答えしてもらう方を好む方だった。
「……それは、僕が年下だからか?」
「一番の理由は、まあ、それですね。それに殿下もご存じの通り、私は殿下からの愛を求めてはならない妃ですので」
「……僕が大人になったら、異性として見てくれる?」
あれ? 私の言葉を聞いていた? とは思うけれど。
「……まあ、そうですね。そのときになってみないと分からないですが……ああ、でもそのときにはもう、私は三十歳を超えているでしょうが」
「よし、言質を取った」
「え?」
「ルティ――エデルトルート。僕の妃は、生涯で君、ただ一人だけだ」
顔を上げた殿下は微笑むと、私の手をぐいっと引っ張って――私の頬に、ちょんとキスをした。
「ひゃっ!?」
「今はまだ頬へのキスだけど、いつか唇をもらうから。……じゃ、おやすみ」
「お、おやすみなさいませ……?」
なぜか満足げな殿下は、さっさと帰って行ってしまった。
……結局、なんで外出用の服を着ているのか、聞けなかった。でも、自分の部屋に入られたし……大丈夫、よね?
「……一応、警備兵に言っておこう」
そうつぶやきつつ、さっき殿下の唇が触れた箇所にそっと手のひらを当ててみる。
……実はこれが私の、ファーストキスだったりする。
夜に殿下が若干怪しい行動をしたので、廊下やベランダの警備を頼んだ。
そうして私は眠りについたのだけれど……。
「……ルティ!」
バンバンバン、とドアを叩き開けられる音で、私は目を覚ました。
時刻は……もうちょっとで起床時間、といったところだろうか。普段だったら二度寝にしゃれ込むだろう時間だけど、誰かがドアを叩くのでそうもいかない。
……でも、この声……誰?
「……あ、あの。どちら様ですか?」
ベッドから身を起こし、ガウンを羽織った上でドアに近づきながら尋ねると、ドアの向こうで誰かがあっと声を上げたようだ。おそらく、二十代くらいの男性の声だと思う。
「その声……ルティだ! ああ、やっと君に会えた……!」
「……」
よし、警備兵を呼ぼう。
私が警報代わりの大きなベルを置いている棚に向かおうとしていたら、ドアの向こうが一瞬だけ静かになった。
「……ああ、そうだ。今の僕だと、誰のことか分からないよね」
「……」
「ルティ、僕――オイゲンだよ」
「……」
これは警備兵だけでなくて、王族を騙った罪で司法に掛けるべきだろう。
「本当だよ? ちょっと声は低くなったけれど、君の夫のオイゲンだ」
「……」
「信じてくれないか? うーん……あ、そうだ。僕が六歳の頃にペルルが死んだとき、生まれ変わったペルルと再会できたときに『おかえり』って言えるようにしようね、って話をしてくれたの、ルティだったよな?」
「えっ……」
思わず、声を上げてしまった。
この怪しい男は、私と殿下だけの思い出をさらりと答えた。ペルルを埋葬したときには、周りには誰もいなかったのに……。
ごくりとつばを呑み、私は少し考えてから口を開いた。
「……。……殿下が十歳のとき、私の誕生日プレゼントに贈ってくれた花の種類は?」
「ああ、そんなこともあったな! あれは、君が大好きなスイートピー――が咲いていなかったから、代わりに薔薇にしたんだったか。全然似てないけど」
正解だ。
「……殿下?」
ドアの方に戻って鍵を開け、そっとドアを開――いた途端、何か大きなものがぐいっと私を抱き寄せた。
「きゃっ!?」
「ああ、ルティだ。僕の記憶の中のと寸分違わない、ルティがいる……!」
私をぎゅうぎゅうと抱きしめる人が、感極まった様子でそう言っている。
その人は――金色の髪に、青色の目を持つ美丈夫だった。私よりずっと背が高くて、体もがっしりとしている。着ているのは……何だろう、これ。見たことのないデザインの服だ。
「あ、あなたは……殿下?」
「そう、オイゲンだよ」
私を抱きしめていた人はそう言って、抱擁を解いた。
きらっきらの笑顔を向ける、知らない成人男性。でもその顔立ちには確かに、私がお育てした殿下の面影がある。
「……え?」
「いろいろあってね。僕、今二十四歳になったんだ! ルティと同い年だな!」
「……。……えーーっ!?」
説明しよう!
昨晩、殿下は神の啓示のようなものを受けたそうだ。
それによると、こことは別の世界が悪魔によって滅びようとしていて、その世界を救えるのは異世界からやってくる勇者のみらしい。
神は殿下よりも前にも、勇者の素質のある人のもとに行ってお願いをした。
でも、勇者になって異世界を救っても褒美として与えられるものが何もないどころか、いたずらに年を取って元の世界に帰って来るだけだという。
ということで、ほとんどの人からはあっさり断られた。
でも殿下はそれを聞き、一瞬で食いついたそうだ。
殿下が異世界に行っている間、こちらの世界の時間は進まない。
おそらく悪魔の討伐まで、十年以上かかるだろうから……役目を終えた殿下がこちらに戻ってきたら、彼だけその年月を経た姿になる。
これが、彼にとって降って湧いた幸運だったという。
「僕は、ぴんときた。僕が約十年間異世界にいれば、僕はそれだけの年齢を重ねることができる。そうしてこっちの世界に戻ってきたら、二十四歳のルティと並んでも全く問題のない状態になっているはずだ、とな!」
「……はぁ」
離宮のリビングにて。
いきなり成長した殿下を前にして皆大騒ぎだったけれど、「城に伝えるのは待つように」と殿下が言ったのでひとまず落ち着いて、話を聞くことになったのだった。
なお私は正直、殿下の話について行けていない。
だって、目の前に座っているきらきらした美丈夫があの可愛らしい殿下なんて……信じられない……。それに、異世界って何よ。異世界って。
「実は異世界の悪魔は、五年ほど訓練した後でさくっと倒せてしまったんだ。だが今すぐに戻ってもまだ僕たちの年齢差は開いたままだから、神にお願いしてもう少し居座らせてもらったんだ。その間に将来に役立てるため、いろいろな勉強をしてきた」
「……はぁ」
「ああ、そうだ。僕にとってはもう十年も前のことだけど……ルティなら昨夜のことのはずだから、覚えているよな? 僕が大人になったら、異性として見てくれるかって話」
「え? ……え、ええ。しましたね……」
……あ。もしかして。
殿下は先に神から説明を受け、急いで私のところに来たのだとか?
それで私が、大人になったらまあ、異性として見られるかも、と言ったので言質を取り、そのまま意気揚々と異世界に飛んでいったと……?
殿下はにっこりと微笑んで身を乗り出し、私を見つめてきた。
「……で、どうだ? 今の僕はルティから見て、魅力的か?」
「えっ!? え、ええと、それは……」
「……ふふ、ルティ、顔が赤いな。僕が子どもの頃は、いつもクールだったのに……この十年間、体を鍛えるだけではなくて異世界の美容技術も学んできたから、ルティの好みの男になれたかもしれないな」
そう言って妖艶に笑う、殿下。
はっきり言わせてもらう。
今の殿下は……めちゃくちゃ、私のタイプだった!
背が高くて、しなやかな筋肉を身につけている。
物腰は穏やかで、優しげで、でもぐいぐいくるところはぐいぐいくる……。
そう、この一晩で私のタイプど真ん中に成長したこの方は、私の夫なのだ。
「あ、ああああの、殿下……」
「ああ、そうだ。諸々のことを、父上たちにも報告しなければならないな。もちろん、ルティを王妃にすることも」
「だめでしょう?」
「いや、だめではないはずだ。なぜなら『名誉妃』が王妃になれないのは、主に年齢の面で不都合があったり妃の体に負担が掛かったりするからだろう? だが今の僕は大人になったから、君と年齢が釣り合う」
「そうですが……」
「それに、かつて王妃候補として連れてこられた令嬢たちは、まだ十歳そこそこだ。彼女らが成長するのを待つのは、それこそ世継ぎのことを考えると効率が悪いし……逆に今年頃の令嬢のほとんどは、婚約済みだ」
「確かに……」
「その点、ルティはずっと前から僕の妃だし今では同い年になったから、何も問題ない。むしろ一日でも早く世継ぎをもうけるべきなら、ルティに産んでもらうのが一番いいと思う」
「……」
「……ここまでが、『名誉妃』の立場を考慮した上での話」
そこで殿下はすっと真面目な顔になると、パチンと指を鳴らせた。
その瞬間、何もなかったはずの殿下の手元に鮮やかな花束が現れた。
「わっ!?」
「……ふふ、よかった。この力、こっちの世界でも使えるみたいだな」
「えっ?」
「……エデルトルート。僕は、子どもの頃からずっと君だけを愛していた。これからの生涯他に妃を持つことはなく、ただ一人君だけに愛情を注ぐと誓う」
だから、と殿下はそれまでは澄ましていた顔を少しゆがめ、頬を赤らめた。
「どうか……改めて、僕の妃になってください!」
「で、殿下……」
「今の君が今すぐに僕を受け入れることができないのは、分かっている。だからこれから僕は、全力で君に愛を告げる。幸い、異世界でいろいろなことを学んだからな。ルティを口説き落とすためなら、使える手段は何でも使ってみせる」
「な、何を学んでいるのですかっ!」
思わず言い返すけれど……ああ、だめだ。頬が、熱い。
目の前にいるのは、私が可愛がっていた殿下。見た目は全然違うけれど、お守りするべき対象で……でも、見た目はすごく好みで……。
殿下は小さく笑うと、花束――色とりどりのスイートピーだ――をそっと私の腕に持たせた。
「……返事は、まだ後でいい。まずは、城に報告しに行こう」
「えぇ……」
「それから、『名誉妃』制度。あれの意味が本当に分からないから、いずれ廃止させたい。それから、王太子が両親と一緒に暮らせないという慣例も意味が分からないから、撤廃するよう進言して……いやむしろ、さっさと僕が王位を継いだ方が早かったり?」
「……」
殿下は、楽しそうだ。
何も言えなくて、私はスイートピーの花束に顔を突っ込んだ。
甘くて、優しい匂いがした。
その後、殿下は意気揚々と王城に行き――離宮のときとは比べものにならないほどの騒ぎになった。
当然、陛下たちも殿下が異世界に行ったなんて信じられなかったけれど、目の前で天井近くまでジャンプしたり指をパチンと鳴らせるだけでいろいろなものを出現させたり、はたまた「はぁっ!」の気合いの一声だけで兵士たちをバタバタとなぎ倒したりしたからか、最後には認めてくださったそうだ。
異世界を一つ救ってきた殿下は、常人離れした能力を身につけていた。
彼は「すぐに王位を継ぎます。それだけの才覚があると、証明してきます」と言って城を飛び出し――長く問題になっていた財政問題、貧困問題や地域格差などをあっという間に解決させた。
いきなり王太子が大人化してしかもイケイケになったことで危機感を抱いたようで、敵国が攻め込んできたりもした。でも殿下はたった一人で敵軍に立ち向かい、例の「はぁっ!」の一声で何百もの兵士をなぎ倒したそうだ。もう、わけ分からない。
これだけの力を持っていてかつ、国民に優しく手を差し伸べる。しかも、二十四歳という十分な年齢で、見目麗しい美丈夫。
殿下はあっという間に国民たちの支持を得て、王位をもぎ取ってしまったのだった。
即位した彼がまず行ったのは、「名誉妃」制度の廃止。これにより、彼の「名誉妃」だった私はそのまま王妃に格上げとなった。
王妃候補だった令嬢たちは悔しがったそうだけれど、かつて殿下――陛下がおっしゃったとおり、現在十歳そこらの令嬢の成長を待つのは時間が掛かってしまうし、妙齢の令嬢は結婚・婚約済み。
その点、これまで陛下を支えてきた元「名誉妃」の私ならば彼を支えられるし、十分世継ぎを産める年齢だろう、ということで、あっさり決まったそうだ。
かくして陛下は、幼い頃に悩まれていた諸問題を超ダイナミックなやり方で解決し、私は彼のたった一人の妃として離宮から王城に移ることになったのだった。
「ルティ、ただいま戻った!」
「おかえりなさい、陛下。……無茶はしていませんか?」
「していない。しかし、異世界の悪魔たちと比べると何もかもがかわいく思えるな。こっちの世界では誰も、ビームを放ったり拳で地面を割ったりしないからな」
「しないのが普通の世界だと思います」
そんな会話をしつつ、陛下が脱いだ上着や剣を受け取るのが、私の仕事だ。
異世界風の特訓を受けることで超人級の能力を得た陛下は、毎日国中を飛び回っている――文字通り、飛んでいた。
彼は「空気を圧縮させたものを足場にして云々」することができるらしく、空を軽々と飛んで移動していた。なお、そんな陛下でもビームを放つのは不可能だそうで、悔しそうにしている。
「それより。ルティこそ無茶をしていないか? 重いものを持ったりしていないだろうな」
「陛下のおっしゃる『重いもの』の範疇に当てはめるなら、答えは『持った』ですね」
「だめだ! ルティは今が大切な時期なのだから、ゆっくり休まなければならない!」
そう言って陛下は、私のお腹を愛おしそうに撫でた。
私の体調を気遣ってくれるのは嬉しいけれど、彼の言う「重いもの」は園芸用のじょうろも入ってしまうくらいなので、彼の言うとおりにしたらむしろ体が鈍ってしまいそうだ。
なお私には過保護全開の陛下だけど、本人は鋼鉄製の剣三十本くらいなら平気で抱えられるそうだ。わけが分からない。
何だかんだ言って大人の姿の陛下のことも好きになった私は今、待望の世継ぎを懐妊中だ。これまた彼が法律を変えて、「国王となる者の性別は問わない」となったので、お腹の子が男の子だろうと女の子だろうと王太子になる。
さらには前に宣言したとおり、「国王と王妃は二人で王太子を養育する」と決めたので、出産した後も私は赤ん坊と一緒にいられる。これは……本当に嬉しい。
ふいに陛下が私の背後に回り、ぎゅっと抱きしめてきた。
「陛下?」
「……今は、名前で呼んで」
「……オイゲン様」
「ありがとう。……愛しているよ、ルティ。僕の、たった一人の奥さん」
「……私も愛しています。オイゲン様」
少し身をよじって彼の顔を見上げると、そっと唇が重ねられた。
彼が子どもの頃は頬で止まっていた、キス。大人になった陛下は私がプロポーズに応えるまで辛抱強く待ってくださり、私がうなずいたその日に、やっと初めての唇へのキスをした。
「名誉妃」の制度はなくなり、私は陛下のたった一人の妃になった。
お腹には子どもがいて、実家の伯爵家も立ち直って兄もかわいいお嫁さんをもらって幸せな家庭を築いている。
きっと、私は――私たちはこれからも、たくさんの幸せを築いていく。
その幸せを、後世にも残していけると信じていた。
国王「僕たちの子どもならば、ビームを撃てるかもしれないな!」
王妃「諦めきれないのですね……」