犬の散歩依頼
(魔族の印象を少しでも良くしなきゃ)
ボクは依頼人の家の前で、レミィからのアドバイスを反芻していた。今回の依頼人はナナンさんという女性だ。
「よし!」
ボクは扉を軽く叩いてノックする。
「はぁい!」
若い女性の声で応答があり、ほどなく扉が開かれた。現れた女性はボクが魔族であることに気付いて表情を強張らせる。
「ボクは冒険者ギルドで【愛犬の散歩】の依頼を受けてやってきた者です。あなたが依頼人のナナンさんですか?」
「……は、はい……」
ナナンさんはボクを怪しそうに見ている。ここはボクが本物の冒険者であることを証明しておいたほうがいいかな。
「ボクは間違いなく冒険者ですよ。冒険者証だってあります」
冒険者証を提示すると、ナナンさんは少し安心したようだ。しかし、クラスの欄を見て驚く。
「えっ! 魔王ですか!?」
「そうなんですよ。魔王ルベタ・リバスといいます」
ナナンさんは信じられないといった表情でボクをまじまじと見つめる。
「あの、それでご依頼の件ですが……」
仕事が前に進まないので先を促すことにした。
「あ……ああ、そうですね。うちの飼い犬の散歩をお願いしたいんですが、大型犬なので私にはとても無理なので、依頼させていただいたんですよ」
なるほど。ナナンさんの体型は細身だ。大型犬の散歩となると無理があるだろうな。
「わかりました。では、そのワンちゃんはどこに?」
「お待ちください。ルード! いらっしゃい」
ナナンさんが家の中に向かって呼び掛けると、巨大な犬が駆け寄ってきた。……というか、そもそもあれは犬なのか? 四つ足の状態でも明らかにボクより身長が高いんだけど!?
呆気にとられているボクをよそに、ナナンさんは準備を進める。巨大犬の首輪に鎖を取り付け、大袋とスコップ、それから散歩コースのメモを手渡してきた。
「それと、途中の公園で少しでかまいませんので遊んであげてもらえませんか?」
ナナンさんは申し訳なさそうに付け加える。
「わかりました。それでは早速行ってきます」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ウォン! ウォン!」
低い鳴き声を響かせながら巨大犬ことリトルはカビラルの散歩コースを闊歩している。どうやら、久しぶりの散歩でご機嫌なようだ。
『この巨体で、よくもまぁリトルなどという名前を付けたものだな……』
リバス様の独り言に激しく同意したくなる。もっとも飼い始めた時は子犬で、ここまで大きくなるとは想定外だったのかもしれない。
それにしても、見た目どおり力が強い。《剛力》を使っているにもかかわらず、油断すれば引っ張られそうだ。
「ウォン! ウォン! ウォォォン!!」
突然、リトルがものすごい力でボクを引っ張っていく。おいおい、なんなんだ、この力は!?
リトルは、ボクを引っ張りながら目的地の公園へと駆け込むと一直線に可憐なメス犬の元へと向かう。
(待て待て待て! それはいろいろとまずいんじゃないか!?)
ボクはやむなく《剛力》を全開にする。が、驚いたことにリトルは止まらない! 踏ん張るボクを引きずっていく。
『ほほぉ。発情したオス犬というのはなかなか侮れぬものよ。たかだか犬畜生に負けるとは情けないぞ。我が代わってやってもいいぞ。我ならば容易く止めてみせよう』
うん。たしかにリバス様なら《剛力》で止めることは可能かもしれない。だけど、なぜか息の根を止めてしまいそうな気がしてならない。
しかし、意外にもメス犬の元まで着いた途端に、すました様子でお座りのポーズを決める。こいつ、メス犬の前だからって紳士を気取ってるつもりなのか?
「あら、リトルじゃない! 久しぶりね。元気?」
メス犬の飼い主であろう若い女性の声が聞こえる。
(元気なのは間違いなさそうだよ。なんたって魔王を引きずり回してるんだから……)
などと思いつつ、立ち上がる。
「あの、大丈夫ですか?」
女性は起き上がったボクを気遣ってくれる。
「うん。なんとか……」
答えて、女性のほうを向く。
「あっ……」
やはり、ボクが魔族であるとわかった時の反応はだいたい似たような感じだ。
「平気だよ。ボクは魔族ですけど人間を取って食べないから」
と冗談めかして言うと、女性はクスッとだけ笑った。
「リトル、超大型犬だから散歩させるのも大変ですね」
「そうなんですよ。【愛犬の散歩】の依頼ならもう少し楽かと思ったんだけど……」
「フフフ……冒険者さんなんですか?」
「うん。昨日、冒険者証を発行してもらったばかりなんだけどね。ルベタ・リバスっていうんだ」
と、さらりと営業しておく。
「あらあら、こんなところで売り込んでくるなんて、なかなかの商売上手ですね。フフフ……わかりました。何かあればルベタ・リバスさんを使命させていただきますね」
「ほんとですか!?」
「ええ。楽しそうな魔族さんね。あっ、アタシはヤンっていうの。よろしく!」
「こちらこそよろしく!……そうだ。公園でリトルの遊び相手になってほしいって頼まれたんだった。えっと、どんなことをして遊べばいいのかな?」
「あぁ、それなら……」
ヤンは同情を込めた視線で見つめてきた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ドンッ
「うわっ!」
リトルの巨体におもいきり体当たりされて宙を舞わされたのは何度目だろうか。公園の芝生の上でボクはリトルの苛烈なスキンシップを受けていた。
『この犬畜生め! 今すぐ代わるのだ! 八つ裂きにしてくれるわ!』
リバス様が激怒している。だけど……いや、だからこそ代わるわけにはいかない。それに、それは、ボクを心配そうに見守ってくれているヤンさんを裏切る行為だ。だからといって、リトルにこのままなめられっぱなしのいうのも考えものだ。
「ウォォォォォンッ!!」
一際大きく声をあげたリトルが、これまで以上の勢いで突進してくる。あれは完全のヤンさんの連れているメス犬を意識しているな。だったら!
ボクは腰を落として両足をしっかりと踏ん張り、《剛力》を全開にして前方から突っ込んでくるリトルを迎える。
一陣の風が吹く。今こそ男同士の勝負の刻だ!
「きゃっ!」
一瞬だ。ほんの一瞬だったんだ。ボクは風に捲し上げられたヤンさんのスカートに視線と意識を集中してしまった。
「のわぁぁぁぁぁぁっ」
リトルの渾身の突進をまともに受けたボクの身体は勢いよく弾き飛ばされるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ああ、ひどい目にあった……」
遊び相手を終えたボクは疲れきった表情で、リトルの糞を回収していた。
『犬畜生ごときに好き放題にされ、あまつさえ糞の後始末をさせられる魔王などどこの世界におる!?』
リバス様、めちゃくちゃ怒ってるなぁ……
「えぇっと……ここに、とか?」
恐る恐る答えてみる。
『えぇい、黙れ!! 貴様には呆れ果ててしまうわ!!!』
後始末を終えて立ち上がる。
「大変でしたね。お疲れ様です……」
隣からヤンさんが労をねぎらってくれる。
「ありがとう。これも仕事のうちだから仕方ないよ。それに、あとは帰るだけだしね」
「もうひと頑張りね! それじゃ、アタシももう行くわ」
「うん。それじゃあね」
ボクはヤンさんと別れて、依頼人のナナンさんが待つ家へと戻った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ほんとに助かりました! おかげさまでリトルも溜まったストレスを発散できたみたいです」
大袋とスコップを返却したボクに、依頼完了書にサインをしたナナンさんが言う。
「いえいえ、満足してもらえて何よりです……」
どうにか笑顔で完了書を受け取ったボクは冒険者ギルドへと向かうのだった。




