第九十八話:仕込み
第十章は奇数日の十二時に投稿します。
「ここは穏やかな丘陵地帯なので、牛や馬の放牧に適している」
カークを案内してくれる初老の紳士は、開拓地の最前線を視察に来ていたストラマー伯爵その人だった。
「北部の山裾にある森に囲まれた湖は、多種の淡水魚が棲息しており、住民が食べてゆくには十分な漁獲量が確保できた」
高身長だが痩せている彼は、にこやかな表情で淡々と語る。
「湖から流れる幅の広い川は、穏やかな流れで豊富な生活水を供給してくれているんだ」
まるで貴族の保養地だと思えるほどに、風光明媚で恵まれた環境だった。
「更には<ウーイ>を始めとした、優しい精霊の存在も多く確認されている」
彼は<見える人>だ。
「……あの山にある、魔物の巣窟さえなければ……」
ここからでも見える大きな洞窟があった。
レッサードラゴン。
ドラゴンの亜種であり本物より脅威は低いが、他の魔物とは一線を画す強さだ。ワイバーン三匹分の大きな身体に強靭な鱗を持ち、各種魔法の耐性にも優れている。巨体の割に素早い動きで、鋭い牙と爪はミスリル銀製の鎧をも貫く。そして高温のブレスを吐き散らし、オーガ程度であれば骨まで焼き尽くす。
それが魔物の巣窟を支配していたのだ。
(放牧された牛や馬は、ヤツラにとって格好の獲物になっているんだな)
カークは頭を悩ませた。
(グリフォンとワイバーンが家畜を集め、湖ではサーペントが漁師の役目を負っているのか)
採った魚を運ぶのはキマイラだ。
(レッサードラゴンを頂点とした、魔物の王国が出来上がっているぞ)
強力な魔物には、精霊も手を出せない。
『頼みがある』
フェアリー経由で風の精霊であるシルフィへ、簡単な伝言を依頼した。
『アポロへ<やります>と伝えてくれ』
一応、返事が来るまでは待つつもりだ。
◇◇◇
「何も持て成せないが、料理には自信がある」
ストラマー伯爵がディナーへ招いてくれた。カークはロクサーヌに教えてもらったマナーを思い出す。バターとチーズがアクセントになった料理は確かに旨かった。
「私が若くして家を継いだ頃に、サーモントラウト侯爵にはお世話になったんだよ」
只の御用商人でしかないカークを、丁寧に扱ってくれる理由の一つだ。
「たった百名でこの地の開拓を始めて、つい先日一周年を迎えた」
その記念に彼が訪れていたのである。
「恵まれた環境にやる気を出していたが、魔物の巣窟に気付いてからは難易度が桁違いに跳ね上がったのさ」
スタンピードに備えて、複数の地下シェルターを作っていたのだ。
この村の建物は北向きに強く傾斜した屋根を持ち、南に面した壁の高い位置に明かり取りの窓が設けられている。そして全戸に地下室が備えられており、太い地下道で繋がっているのだ。
「冷凍乾燥された保存食は助かる」
備蓄に最適だった。
「消費期限の半年ごとに入れ替えるから、間に合うように補充してくれ」
百名の一週間分を年に二回、卸すことが決定して今の在庫は完売する。
「帝国軍には状況を報告してある。それでもあと一年待てと言われた」
現在の計画を変更した上に、新たに討伐軍を編成するとしても、準備にそれだけの時間が必要なのだ。何しろ相手が悪過ぎた。
「魔物の危険度に対して現在の被害が少ないことも、時間がかかる要因だと理解している」
悔しそうに呟く。
「魔物に生け贄を捧げて安全を確保している状況は、私達の精神衛生上に於いても好ましくない」
その口調には、やるせなさが滲んでいた。
◇◇◇
『馬車は置いて行くぞ』
『御意』
深夜にカークとアルベルトは宿を抜け出す。
ヒラリと宙を舞い、誰にも知られず飛び立った。
『魔素溜まりデスネ』
『その下は霊脈よー』
『大きな洞窟でござる』
北の山裾へ偵察に来たカーク達は、まるで誰かが意図的に配置したと思える場所に辿り着く。
『洞窟の手前に陥没した跡が見えるぞ』
暗視魔法の探索による成果だ。
『吾が輩も通れそうでござるな』
アルベルトは喜んでいた。
今度は仲間外れにならない。
『他の魔物には気付かれないように、ゆっくりと注意しながら進もう』
静かに降下した。
『意外と広いでござる』
そこには見慣れた地下空間が広がっていたのだ。
『四組の轍が行き着く先は、こんな場所だったのか』
カークが見たのは、何かの工場跡である。
古代人の遺跡である地下空間の終着点は、廃鉱になった金山だった。
◇◇◇
『レッサードラゴンを狩るよ』
風の精霊であるシルフィからアポロへ伝言された。
『素材を持ち帰れ』
こめかみを押さえて、頭痛を堪えつつ回答する。
◇◇◇
「かなり古い」
堆積した埃の厚さから、カークは推測した。
「何をする道具なのか、全く分からないな」
彼の記憶には無いモノばかりである。
それは鉱石から金を抽出する設備だった。水銀を使ったアマルガム法で、人体には有害な物質を扱う。そのため古代人はゴーレムを使役していたのだ。
『誰か泣いてイマス』
『遠くで小さいわー』
『吾が輩には聞こえぬ』
フェアリーと紋白蝶が辺りを探るが、何も探知できなかった。カークにも分からない。
「何故、泣いているんだ?」
小声で尋ねる。
『寂しいデスヨ』
『怯えてるのー』
少し困った表情で教えてくれた。
(また、古代人のアーク・リッチかも知れない)
カークは警戒を強める。
(でも、ここの調査は専門家に任せた方がよいな。俺には何がなんやら、サッパリ分からないぞ)
それには洞窟の魔物を排除しなければならないのだ。
(慌てずに、慎重に進めよう)
一旦、引き上げることにした。
◇◇◇
『持ち帰れだってー』
宿に戻ったカークへ、シルフィからの伝言だ。
(一応は承認された、と解釈しても構わないのか?)
カークは悩む。
(これは<生け捕りにして連れてこい>ではなく、倒して<素材を持ち帰れ>ということであれば納得できる)
例えレッサードラゴンでも、研究用に生け捕りしろとは言わないだろう。
(しかし、プラズマ・ボールで洞窟ごと葬ることはできなくなったぞ)
素材を持ち帰るためには、消滅させては駄目なのだ。
(ハードルは上がったが、新たな装備を期待しても構わないだろうな)
カークの打算が働いた。
(具体的な討伐方法を考えよう)
思考を切り替える。
(例えレッサードラゴンと言えども、首を切り落とせば死ぬ筈だ)
どうやって、その状況へ持ち込むのか。
(他の魔物達を先に片付けるには、熱量交換を活用するしかないぞ)
ワイバーンやグリフォンは空を飛ぶ。キマイラは何とかなるだろうが、水中のサーペントには物理的な攻撃は届かないのだ。
(プラズマ・ボール一発でカタがつけられるのに、素材を持ち帰るためには苦労するな)
既に常人ではない思考であることに、カークはまるで気付いていない。
(魔素溜まりでも、霊脈を活用できるのか)
フェアリーと紋白蝶が請け負ってくれた。
『サーペントは脂が乗った白身で、とても美味しかったでござる』
アルベルトの助言により、方針が決定したのだ。
◇◇◇
「勿論、我々も遣られっぱなしではない」
開拓地を訪れてから三日間が過ぎた。
北端城で買い集めたガジェットを紹介すると、思いの外、開拓者達の興味を引いたのだ。皆は同類だったのである。カークは購入したままの金額で販売した。
「これまでにワイバーン二匹とグリフォン一匹を倒し、素材の売却益で牛と馬を購入している」
捕られた数以上に補充できたが、イタチゴッコであることに変わりはない。
「開拓を始めてからの一年間を振り返ればあっと言う間に感じるが、討伐軍が来てくれるまで待つ身の一年はとても長い時間だ」
カークは帝国大学の集中講座で学んだことを、実際の現場で苦労してきた皆へ話した。座学と実践の違いを知ることで、開拓者達の欲しいモノを的確に把握したのである。
(とにかくダイスとカードゲームは、消耗品だと分かったのは大きい)
次回の補充時期である半年後とはいわず、早めに機会を作って売りに来ることを決めた。
結局は一週間も滞在したカークは、この開拓地でオーラルケアの重要性を説き、毎食後の歯磨きを普及させたのだ。プロトタイプの馬車についても、マニア達と情報を共有している。
(馬車の空きスペースも確保できたし、洞窟の状況も十分に把握した)
毎晩、秘かに偵察しており、魔物の巣窟は眼を閉じても歩ける程に熟知できている。
(この開拓地の名前は<ノースエンド>だったな)
東北出身のカークには、馴染み易い名前だ。
彼はレフト・ショルダーの出身であるとカミングアウトして、それまでの帝国標準語から方言の訛りに変えると、半数以上の開拓者が大喜びしてくれた。
サーモントラウト侯爵家の評判もうなぎ登りである。
◇◇◇
『細工は流々デスヨ』
『仕上げてねー』
『運ぶのが大変でござる』
それは紋白蝶の転位頼りだ。
続く