第ハ十六話:毒蛇
第九章は奇数日の十二時に投稿します。
「肉厚な白身魚のフライと、新鮮で贅沢なタルタルステーキだよ」
ふくよかなテレサが直々に配膳してくれた。
「どちらも旦那が卸してくれた食材さ」
ありがとう、と感謝を述べる。
「いただきます」
カークも調理してくれたことに感謝して、彼女へ丁寧な挨拶を返した。水路で冷やしたラガーと共に、美味しい料理を堪能する。
(集中講座の卒業試験で俺を高く評価してくれたのは、エメリッヒ伯爵の業績を知っていたからだな)
予防安全と予防医療に対して、かなりの理解を示してくれたのだ。
(帝国全体に広まっているのだろう)
広い食堂の一角をパーテーションで区切ったテーブルに座り、独りで静かにお代わりして食べた。
『生肉も旨いデスネ』
カークと味覚を共有しているフェアリーは、珍しい料理に満足顔だ。
◇◇◇
『この気配は黒装束デスヨ』
『女の匂いだわー』
食事を終えて宿に戻ると、部屋へ入る前にフェアリーが教えてくれた。
(濃厚な血の臭いもしている)
間違いなく厄介事だ。カークは完全解毒の魔法を掛けて、自分の体内に残ったアルコールを飛ばす。
「悪いな。他に頼れる処が無い」
部屋に戻ると合同庁舎の受付をしていた狐獣人の老爺が、血塗れになった黒装束の女を介抱していた。
「薬をくれ」
革の袋をジャラリと鳴らす。
「俺の孫娘なんだ」
老爺は怖い顔をしていた。
「静かに」
カークは分かりやすく深呼吸したら、老爺も素直に倣ってくれる。
「まずは解毒しましょう」
黒装束は毒にまみれており、カークの魔法で解毒されるとピカピカ光った。大量である。
「できればテレサの食事を与えたい」
治療魔法に切り替えたが、彼女本来の体力が落ちているのだ。
「……間も無く、届くはずだ」
カークが不在でも、話が進んでいたらしい。
「薬草の村の顧問様、どうかお願いします」
テレサが行平鍋にお粥を炊き、大切そうに抱えて持ってきた。どこでその情報を得たのだろうか。
「優しくて、よい娘なんです」
縋るような表情で見上げられる。
「お願いします」
褐色の頬を涙が伝った。
「静かに」
カークは囁く。
黒装束の娘へ負担を掛けないように注意して、魔力量を慎重に制御しながら治療した。
しかし、彼女の怪我は重篤で、治療は難渋する。
「引き返せませんが、やりますよ」
彼女の命には代えられない。
カークは大量の魔力を注ぎ込み、治療魔法の限界を遥かに超える。彼の魔力を使って、彼女の肉体を再生させたのだ。
絆が強くなり過ぎた。
治療中の彼女の記憶に、何故か同調してしまったのである。
デビルヴァイパーが溢れたので帝国軍がその原因を探ると、なんと親玉のヒュドラを見付けてしまったのだ。毒蛇のスタンピードという緊急事態の災害である。
「未来……。いえ、今はもう過去になってしまった出来事を、何としても覆してください」
狐獣人の彼女は、血塗れの尻尾を垂らしていた。
「何処ですか?」
既知の情報を尋ねる。
彼女の答えはカークの知識と一致していた。
「この部屋で休んでいてください」
高級な部屋なのでシャワールームが備えられており、人に知られず血塗れの身体を洗えるのだ。
「後はテレサに任せます」
肉親とは言え、老爺だけでは彼女の面倒を見切れないだろう。
◇◇◇
『魔素溜まりの暴走デスネ』
『魔族は無関係よー』
『北西でござるな。吾が輩にお任せあれ』
ハーネスを外したアルベルトの背に跨り、夜の鉱山から空へ舞い上がる。サンドベージュの長い体毛は、金属光沢を放つが滑らない。天翔馬の不思議な力によって、カークは鞍や鐙が無くても安定した姿勢を保てるのだ。
(教会へ行かずに、俺の処へ来た理由は?)
夜空を駆けながらカークは自問する。
(薬草の村で作られた、効果が高くなった薬品を頼ったのか)
アロレイ司祭よりもカークの治療魔法が強力である、とフェアリーが教えてくれた。
(教会の顧問として、腕を見込まれたんだな)
釈然としないが、一応は結論付けておく。
約一時間後に、現場へ到着した。
早朝から始まった戦闘は、日が暮れてもまだ激しい攻防が続いている。山奥の谷底でうごめく毒蛇の群れに対して、帝国軍の魔物討伐部隊が苦戦していたのだ。
(毒対策として燃やしているのか)
戦闘場所は深夜にも係わらず明々としていた。倒したデビルヴァイパーの死骸を燃やし、更に油をまき散らして生きたまま焼いている。しかし、如何せん魔物の数が多すぎた。
(幸い誰にも気付かれていない)
カークは上空から解毒魔法を大量に散布する。
猛毒に冒されていた兵士達は回復し、逆に毒蛇は衰弱していった。これで討伐が有利に進むだろう。
(谷の奥に居るのがヒュドラだな)
燃え盛る炎の照り返しを受けて、夜に赤黒い輪郭が浮かぶ。十本の頭を持つ大蛇だ。
(前線の近くへ影響が及ばないようにするぞ)
アルベルトはヒュドラの真上に移動してくれた。
(人の仕業とはバレないだろう)
カークはプラズマ・ボールを発動する。
それは大きな光の球に見えた。戦闘中でも帝国軍の兵士達は、空中に浮かぶ光球に目を奪われる。キーンと耳鳴りがしたら、光球から幾筋もの光線が流れ落ちた。それは現代の花火で<ナイアガラの滝>と呼ばれる光景に似ている。
プラズマを連続して撃ち出すと、まるでレーザー光線のようだ。しかし、初めに光球を発動するので、あくまでもプラズマ・ボールの魔法である、とカークは思っていた。
一瞬の間をおいて、轟音と共に無数の光線がヒュドラの全身を貫く。十本ある頭部を同時に潰さなければ倒せない魔物を、一瞬の内に絶命させたのだ。
(魔石や素材よりも、討伐を優先する)
プラズマ・ボールの魔法で発生した高熱を奪い、デビルヴァイパーの群れへと流し込む。ヒュドラの死骸は凍結し、毒蛇の群れは発火した。
(後は任せよう)
魔物の討伐を終えたカークは、再度、解毒と治療魔法を散布し、帝国軍の兵士達に気付かれることなく静かにその場を離れる。
(フェンリル姉弟と一緒に遊んだ経験が、今回は充分に活かせたな)
彼は自分が人間の基準を、大幅に超えてしまったことに気付いていない。サーモントラウト侯爵夫妻の影響である。
『これは<深夜の奇跡>と呼ばれマスヨ』
『謎は解明されないわー』
『我々だけが真相を知っているのでござるな』
カークの仲間達は喜んだ。
◇◇◇
「お帰りなさい」
日付が変わる前に宿へ戻ると、部屋でテレサが待っていた。
「どこへ行かれていたのかは分かりませんが、きっとあの子のために何かしてくださったのですね」
狐娘は別室へ移され、安静にしているらしい。
「ありがとうございました」
彼女のカークに対する態度が変わっていたのだ。
「本当は<互助会>の規律に違反することでしたが、どうしてもあの子を見捨てられなかったのです」
大きな目を泣き腫らしている。
「困った時はお互い様です。それが<互助>でしょう」
カークは平然と答えた。
その言葉にテレサは彼の足元へ膝をつき、胸の前で両手を組んで頭を下げる。
「……顧問様、ありがとうございます」
対応に困ったカークは、さり気なく治療魔法を掛けて言った。
「明日の朝食も期待しています」
◇◇◇
翌朝、鉱夫達が食事を終えて出勤し、喧騒が去った食堂を訪れる。昨夜と同じパーテーションで区切られたテーブルへ向かうと、老爺とテレサが待っていた。
「おはようございます」
カークの挨拶に、二人は並んでお辞儀をする。
「おはようございます。昨夜は本当にありがとうございました」
「お陰様で回復した今は、ゆっくりと休んでいます」
三日もすれば、自分で歩けるようになるだろう。
テレサが朝食を用意してくれる間に、老爺と二人だけで話す。
「身体は元通りに戻っても、もう黒装束としては無理でしょう」
どこか安心したような口調だ。
「今後は私の元で働かせます」
合同庁舎の職員は、何時でも人手不足らしい。
テレサが作ってくれた朝食は旨かった。
食後に宿へ戻り、老爺と共に狐娘の部屋を訪れる。彼女はぐっすり眠っていたので、起こさないよう静かに顔色を確認した。
大丈夫なようだ。
安心したカークは、もう一度だけ治療魔法を優しく掛けておく。
◇◇◇
『次はどこデスカ?』
『ハプニングは無しよー』
『どこでも吾が輩が連れて行くでござる』
アロレイ司祭兼代官に挨拶したカークは、一ヶ月後の再訪を約束して旅立った。
続く