第七十七話:倫理観
第八章は奇数日の十二時に投稿します。
「ちゃんと門を通って、正式な出入りの記録を残しておこう」
夜の間に空からサーモントラウト邸の森へ入ろう、と提案するアルベルトに対してカークは異を唱えた。事情を理解してくれた彼は、帝都の手前で街道沿いの繁みに降りる。
夜が明けるまで休憩した。
◇◇◇
「お帰りなさいませ」
サーモントラウト邸に到着したのは昼過ぎだ。
「概要は伺っております」
執事さんが出迎えてくれた。初老の狐獣人である。フェアリーと紋白蝶が、事前に風の精霊であるシルフィへ伝言を頼んでいたのだ。
「おおっ、正しく……」
一通り事情を説明したカークが、メタリック・ジェルの液体と魔石を披露する。急遽集まったサーモントラウト侯爵の家族全員が息を飲んだ。
「二人は初めてだったな。私でも三回目だよ」
家長のアポロは息子のキースと、娘のスーザンに声を掛ける。
「君と出逢ってからは二回目だね」
妻のニケへ優しく微笑んだ。
「ドラゴン・ヴァイパーの腹の中に居たのか」
倒した経緯を説明した。
「傷口から光が漏れていたのならば、争っていた最中に体内から攻撃していたのかも知れないな」
暢気なメタリック・ジェルが、喰われた可能性は低そうだ。
「とにかく素晴らしい快挙だよ」
カークに対して手放しで誉めてくれる。
「直ぐの叙爵は無理だが、伯爵の資格は十分に満たしている」
トンでもない台詞が飛び出した。
「ああ、剣が壊れてしまったんだな。それでは我が家の在庫から、何本かミスリルソードを持って行けばよい」
余程興奮したのか、常に冷静なエルフのアポロが、珍しく頬を紅く染めている。
「お陰で良い素材を見ることができたよ。ありがとうカーク、感謝するぞ」
一頻り眺めたアポロは、コンテナと宝石箱をカークに返却して溜め息をつく。
「お誉めに預かり光栄です」
カークは礼儀作法を思い出しながら応じる。
「ただ、私にはどう扱えばよいのか分かりません。できれば侯爵へ献上したいと考えています」
正直に伝えた。
「……」
アポロが黙ると、その妻と子供の視線が集まる。
「そうか、カークはまだ十六歳の人間だったな」
何やら自戒を込めたような口調で呟いた。
「分かった、私が責任を持って預かろう。使い方は任せてくれ」
真面目な表情だ。
「カークには、できる限りの便宜を図る」
厳かに言った。
◇◇◇
「成長期かしら?」
「僅か二週間だぞ」
黒豹娘のチコの問いに、虎獣人のリックは呆れた声で応じる。
「もう知っていると思いますが、運良くメタリック・ジェルを倒せました」
カークの言葉に二人は頷く。
「装備は交換ですね」
「服は超特急で、仕立て直してもらいましょう」
普段着の殆どはカークの成長を見込んで、折り返しを解けば丈を伸ばせるように準備されていた。しかしブリガンダインやブーツ、革手袋等は調整の限界を超えている。
「ドラゴン・ヴァイパーの素材が使えるから、良いモノが作れます」
リックはニヤニヤしていた。
(ジョックストラップは、ベルトの調節だけで済んでよかったぞ)
カークは独り胸を撫で下ろす。
「予算は気にせず、一週間で揃えなさい」
アポロの宣言により、取引先は緊急態勢に入ったのである。
◇◇◇
「これがサンプルと商品企画書です」
カークは魔法を込めた杖を見せて、キースとスーザンに説明した。薬草の村を訪問する機会が延びたので、先に相談することにしたのだ。
「これをカークが、独りで作ったのですか?」
スーザンが眉をひそめる。
「エルフにしか作れない、医療用の魔道具だよ」
無表情のキースが言った。
「学部長へ相談しよう。明日の午後ならアポイントが取れるかも知れない」
カークの同意を得ると、キースは<森の通信>で連絡する。ランチを一緒に食べると約束した。
◇◇◇
「魔法について相談があります」
ディナーを終えて珈琲と紅茶で寛いでいる時に、カークはアポロへ頼んだ。
「今回の成長で覚えたのは<熱量交換>という魔法なのですが、私にはまだ使い方がよく分かりません」
呪文や魔法の効果についてフェアリーが教えてくれたのだが、具体的な使い方は理解できなかった。
「それはまた、高度な魔法を身に付けたな」
アポロが眉間に皺を寄せる。
「部屋の中では危険だから、厨房で試そう」
その言葉に召し使いが素早く反応した。
「では、始めるぞ」
厨房の洗い場へ移動して、深いシンクの前に集まる。底へ二つのコップが置かれていおり、それぞれにお湯と氷が浮く冷たい水が入っていた。陶器のコップからは湯気が立ち、ガラスのコップは外側が結露している。
「お湯が持っている熱を、冷たい水へ移すことをイメージするんだ」
アポロは細い杖の先をシンクへ向けて、静かに短い呪文を唱えた。
間も無く湯気が収まり、もう一方の氷が溶けて結露が流れ出す。お湯が入っていた陶器のコップの水が凍った頃には、冷たい水だったガラスのコップの中で沸騰していたのだ。
「一度試してくれ」
アポロとカークが場所を入れ換わる。
「慌てずにゆっくりと、魔法を制御するように心掛けてみろ」
静かに指示を出した。
(慌てずに、ゆっくりと……)
鼻で深呼吸したカークは、両手の掌をそれぞれのコップにかざす。心の中で呪文を唱えた。アポロの魔法よりも早く熱量が交換される。
パキン、とコップが割れた。
「急激な温度変化に、耐えられなかったんだ」
陶器が割れたのは熱くなって急速に膨張したからであり、ガラスが割れたのは水が凍結して体積が増えたからである。
「さて、ここに居る皆は、この魔法については他言しないで欲しい」
穏やかな口調だが、その表情は厳しかった。
「カークとは、二人だけで話しをしよう」
アポロの先導で彼の書斎へと移動する。
「……カーク。君の倫理観は立派なモノであると、私は理解しているつもりだ」
アポロは防音の結界を張り、セキュリティを強化してから話し始めた。
「この<熱量交換>という魔法を習熟すれば、他人に知られることなく生き物を殺せる」
それは人間も含まれるのだ。
「生き物は脳からの指令で生命活動を維持しており、その脳は高熱にとても弱い」
生物学の講義が始まった。
「そして筋肉は低温になると活動できなくなる。それは心臓も例外ではないんだ」
無表情で話し続ける。
「身体中の筋肉が持つ熱量を、脳に集中させるだけで簡単に死んでしまう」
その後に熱量を拡散してしまえば、死因を特定するのは非常に困難であることは明白だった。
「自分の感情を抑制し、一時の激情に我を忘れない精神力が必要となる」
じっとカークの眼を見つめて囁く。小声で話すことによって、より集中して聞かせるのだ。
「因みに私と妻は<熱量交換>の魔法に加えて、<真空>と<乾燥>魔法が使える」
生きた魚の体内から水分を取り除き、一瞬で干物にして真空パックで腐らないように保管した。養殖したサーモントラウトの輸送に活用したのだ。
「二人で協力して、ベヒモスを瞬殺したことがある」
巨大なベヒモスをフリーズドライにしたらしい。この夫婦だけで帝国軍を壊滅させることも可能なのだ。
「君が<寂しん坊の指環>を、肌身離さず所持し続けることに期待するよ」
カークはアポロの存在感に圧倒された。
◇◇◇
翌日の午前中は、服や防具のフィッティングだけで潰れてしまう。いつも通学に使っていた馬車で、帝国大学まで送ってもらった。少し早めに着けたので、魔法学部の校舎で待つことにする。
「お待たせしました」
「ご足労いただき、ありがとうございます」
暫くすると、キースとスーザンが二人揃って迎えに来てくれた。
「学部長の部屋で食べることになったよ」
「食堂からの出前です」
そう言って校舎の最上階へ向かう。
「よく来てくれた」
笑顔で出迎えてくれたバルビエリ学部長は、相変わらず眉間と頬に深い皺がある。新学年が始まって間もないこの時期は何かと多忙なのだろうか、多数の書類がデスクに高く積み上げられていたのだ。
「サンプルと企画書は確認したぞ。よく独りでここまで辿り着けたな」
食事が届けられるまで書類と格闘し続けていた学部長は、強引に一区切り付けて表情を緩める。
「魔力を絞って放出する練習から、杖に魔法を込められることに気付きました」
カークは正直に話す。
「エルフ並みの出力と、柔軟性があるんだな」
そう言いながらワインを開けた。食後には解毒魔法でアルコールを分解するのだ。
「こんな相性の悪い素材でも、強引に魔法を込められたのは良い技術だぞ」
学部長はカークが作った杖を眺めて、意外と高く評価してくれた。
「どうだ、小遣い稼ぎに内職をしないか?」
悪戯っぽく笑顔を浮かべる。
「材料は提供するから、それに魔法を込めてくれ」
一本につき半銀貨一枚の報酬だ。
「訪れた町の教会へ納めればよい。次の材料もそこで貰える」
既に仕組みができ上がっているらしい。
(生鮮食品を祝福するのと同じだな)
カークは一年前を思い出した。
(俺が思い付いたことは、全て完璧なシステムが確立されている)
自分の経験不足を痛感したのだ。
◇◇◇
『大丈夫デスヨ』
『まだこれからねー』
アルベルトはフェンリル姉弟と一緒に、大森林の運動場へ遊びに行っている。
続く