第七十三話:魔法の応用
第八章は奇数日の十二時に投稿します。
(順調過ぎる)
カークは贅沢な悩みを感じていた。
(なるべく他の馬車と離れていても、ノートラブルでここまで来れるとは想定外だぞ)
それは<魔除けの鈴>と<寂しん坊の指環>の効果も含まれていたが、実際は天翔馬であるアルベルトの存在感が魔物を寄せ付けないでいたのだ。
移動を始めて一週間が経った頃に、雲行きが怪しくなり遂には雨が降りだす。春の雨はまだ冷たかった。
(レインコートを着よう)
御者席の上に庇はあるが、移動しているので前方からの降雨は遮れない。サンドベージュで金属光沢を持つアルベルトの体毛は、見事に水滴を弾いていた。
馬車のボディは耐水性に優れた神聖松製なので、貨物室内へ浸水の心配はない。
(あれは、ウーイだ)
雨の路傍に独り佇んでいる。
『アルベルト、ゆっくり止まってくれ』
カークはテレパシーで伝えてから制動をかけた。
『精霊のウーイでござるな』
彼もその存在を知っていたのだ。
馬車のブレーキに合わせて速度を落とし、ウーイの前で静かに停車する。跳ね上げた水飛沫がかからないように配慮した。
「……成る程、事情は理解したでござる」
ウーイの説明を聞いたアルベルトが頷く。カークには分からなかった。
「この奥にある沼の主だった大鯰が寿命で亡くなり、その跡継ぎは家族全員が人間に倒されて食べられてしまったらしい」
周囲に誰も居ないので、久し振りに聞いた肉声は低音のハスキーボイスだ。
「その為にサハギンが異常増殖して、周囲が大いに迷惑しているのでござる」
このウーイも、お気に入りだったお昼寝スポットを壊されてしまったという。
「サハギンを間引けば、騒ぎは収まるのか?」
また別の魔物が増殖すればイタチごっこだ。
「立ち向かったコボルトが返り討ちにあって全滅し、逃げたゴブリンはオークの餌食になったでござる」
事情通のウーイが教えてくれた。
『沼の真ん中デスヨ』
『いわゆる<マザー>ねー』
フェアリーと紋白蝶が追加情報を提供してくれる。どうやら沼の中央に、次々と大量のサハギンを産み出し続ける<マザー>という個体が存在するらしい。
「沼の主の跡継ぎを襲った際に、酷く周囲の環境を破壊したのでござる」
生活圏が荒らされた結果、種の保存を最優先にした変異が起きた。それが<マザー>である。天敵が居なくなっても産み続けたので、サハギンのスタンピードに繋がったのだ。
「沼の生物が全滅するぞ」
カークは偽りの無い言葉を述べる。
『リセットしてくだサイナ』
『やり直しだわー』
フェアリーと紋白蝶曰く、沼の精霊は逃げてしまったらしい。一旦、今の状況を破壊して、改めて再建したい意向だ。
『ドリアードの練習デスネ』
『OJTよー』
ぶっつけ本番の実地訓練である。
その音は弦楽器の調べを思わせた。
御者席の左右にある座席へ載せられ、プランターごと紐で固定された二組のドリアードが発している。
沼へ向かうためには街道を外れて森の中を行かねばならないのだが、大きな馬車が通る道は無いのでこれから作ることにした。
カークの依頼を受けた合計四体の若木のドリアード達は、助手席から前方へ向かって音を出す。それに合わせて草木が揺れ、幅が二メートルを超える道ができた。元から木が生えている位置に合わせているので、一直線ではない。
「前は十五メートル、後は十メートル」
ドリアード達が道を開けられる限界の範囲だ。
「十五メートル毎に魔法を掛け直すので、スピードは出せないでござる」
アルベルトはゆっくりと歩みを進めた。木々が開けた道には、雨が吹き込んでいる。ジャイアント・アナコンダの腹の革製のタイヤは、濡れた雑草の上でも確実にグリップしていた。
「現れたでござる」
三十分ほど行った処で、森の中にサハギンの姿が見え始めたのだ。
「悪意ではなく食欲でござるな」
スタンピードの最中は食べるモノが無くなり、殆んどの個体が飢餓状態になっていた。これでは<寂しん坊の指環>も反応しない。サハギンは緑色の身体に茶色の斑模様が、森の中では迷彩色となっている。ギィギィと鳴いてうるさい。
「蹴散らして進むでござる」
サハギンの身長は一メートル六十センチ前後なので、全てはアルベルトの蹄の餌食となった。
「死んだら餌とは嘆かわしい」
生きている仲間は食べないが、アルベルトに蹴られて踏み潰された死骸に群がり喰らっていたのだ。
ドリアード達によって開かれた道を進む。勿論、アルベルトがサハギン達を蹴散らしてくれている。そのアルベルトだが、脚の動きと攻撃範囲が合っていない。明らかに広範囲に影響を及ぼしているのだ。
(生臭いぞ)
サハギンの群れは悪臭を放っており、それは腐った水と泥の臭いであった。
(水棲の爬虫類だな)
全身がヌメヌメとした粘膜に包まれている。
(以前の片手剣だと苦労していただろう)
カークは冷静に観察した。
(沼の中央に居る<マザー>ごと、プラズマ・ボールで一網打尽にするが、威力の調節が難しいな)
自分だけであれば攻撃の余波を防ぐことができるのだが、アルベルトと馬車の安全を考慮しなければならないのだ。
「お任せあれ」
カークの悩みを知ったアルベルトは、自信満々な表情を見せて言う。
「上からの狙い撃ちならば心配無用でござる」
彼は天翔馬だった。
森を抜けて沼の近くに出る。サハギンは次々に湧き続けていた。大きな沼を中心として、二百匹以上が群がっている。その中をアルベルトが駆け抜け、徐々に宙へ浮いて行く。
沼の周りに沿って螺旋を描きながら上昇し、約十五メートルの高さで静止した。
「ここからだと安全だな」
上空から沼の中央を見下ろして呟く。一匹だけ巨体が居るのは<マザー>だろう。
「狙い易い」
心を鎮めてプラズマ・ボールの魔法を唱えた。
ピシャーン!
ズドーン!
ゴロゴロ……
「正に落雷でござるな」
沼の中央から放射状に広がる被害を見下ろして、アルベルトは静かに語った。降雨と水飛沫による感電に加えて物理的な衝撃波により、二百匹を超えるサハギンの群れは一瞬で全滅したのだ。
飛沫と砕けた破片が跳んで来たが、空中にいるカーク達へ届かず被害は及ばなかった。
降り続ける雨が強まると共に、巻き上がった粉塵や水煙りは収まってゆく。
沼は無くなっていた。
周囲の木々も薙ぎ倒され、直径百メートル程のクレーターができている。その範囲内には魔物を含めて、全ての生物が残っていなかったのだ。
「森に溢れていたサハギンは、散々になって逃げたでござる」
それでも数は多く、百匹以上は残っていた。
「二手に分かれよう」
カークの提案にアルベルトが同意する。
(フェンリル姉弟と森を走り回った経験が活かせるぞ)
カークが北回り、アルベルトが南回りでこの森を一周して、残ったサハギンを掃討するのだ。
「では、参る」
カークを降ろした馬車を牽引しながら、アルベルトは森の中を走り始めた。ドリアードによって道は作られている。
(死骸の処理や魔石の回収は諦めよう)
爆心地に居たサハギンの<マザー>は、魔石も残さず蒸発していた。大森林ではフェンリル姉弟が魔石を回収してくれていたが、今はカークとアルベルトだけしかいない。
『ウーイが集めてくレマス』
『仲間を呼ぶらしいわよー』
既に木の枝で編んだ籠を作り始めている。
カークはロングソードとデビル・トータスの楯を構えて、サハギンを掃討するために雨の森を進み始めた。
(やはり<寂しん坊の指環>の効果を切っておくべきだな)
移動を始めて直ぐに、数匹のサハギンを逃がしてしまったのだ。反省すると気配を消して森の中を進む。
(眠らせれば逃げられない)
森の木々を縫って強制睡眠の魔法を飛ばし、遠隔からサハギンを眠らせる。ロングソードからナイフへ持ち替え、サクサクと首を切り落として行った。
(……待てよ、強制睡眠の魔法が飛ばせるなら……)
何度目かの魔法を飛ばした際に、カークはあることにふと気付く。以前、ワイバーンを倒す際に、弓矢へプラズマ・ボールの魔法を乗せたのだ。
(サハギンの気配は独特でとても分かりやすいから、ロックオンするのも簡単だな)
半径五十メートルの範囲で把握した。帝都の収穫祭でスコットとデンゼルの気配を追跡したのと同じ要領だ。
(……十二匹、北東に半分が集まっているぞ)
正確に位置を特定し、静かにプラズマ・ボールの魔法を唱える。
(一つずつの威力は低くても構わない)
コントロールを重視した。
カークが居る場所から北東へ少し離れた上空に、十二個の小さなプラズマ・ボールが出現する。直径は十センチだ。
音もなく森の木々の高さまで上昇する。円環状に並んで回転していたが、カークが合図を出すとロックオンしていたサハギンへ向かって一直線に飛んで行った。
ズドン!
ボンッ!
パァン!
カークの放ったプラズマ・ボールには、自動追尾機能が付いている。水中で浮力を得るために、サハギンの身体は密度が低くて軽くできていた。そしてそれはとても脆かったのだ。
出力を絞ったプラズマ・ボールでも、直撃を喰らったサハギンは粉々に砕け散ってしまう。
(これは便利だ)
カークは独りでにやける。自分が仕出かしたことの重大さには、まるで気付いていない。
◇◇◇
『魔法の応用デスネ』
『組み合わせよー』
『狡いでござる』
カークの旅の仲間達は暢気だ。
続く