第六十一話:卒業試験
第七章は奇数日の十二時に投稿します。
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「簿記と経理の卒業試験は、貸借対照表の作成だ」
十一月第四週の月曜日、朝の教室で担任のサルトリウスが吠えた。車椅子の獅子獣人は、地声が大きくてよく通る。
実際に営業している商会の、過去に提出された資料が集められていた。それらを基に分類し集計して、一年間の決算書用に貸借対照表を作るのだ。試験の制限時間は八時間である。昼休みは一時間だけでシエスタは無い。
カークは頑張って五時間で完成させた。と思ったら、貸借対照表の資産と負債の額が一致していない。
(バランスが取れていないぞ)
どこで間違えたのか?
集計資料を見直し、検算を繰り返した。その結果、制限時間の十分前に漸く間に合ったのだ。
◇◇◇
「二日目は物理の実技だ」
ランダムに選ばれた三人が、一組になってクレーンを製作する。制限時間は同様に八時間だった。
重さ五十キロの石を持ち上げて九十度回転し、高さ一メートルの台の上に載せるのだ。作り方は授業で経験済みである。
しかし、試験では設計図と強度計算書が要求された。
三人が協議して構造を決め、二人が組み立てを、一人が製図と計算を担当する。構造を決める際に基本的な強度計算を終え、三人で検証しておいた。安全率は二倍として、算盤と計算尺を駆使する。
カークは組み立ての担当だ。予め用意されていた部品を使う。クレーンの先端に固定滑車を取り付け、三連の動滑車とロープで繋げる。台座とクレーンは梃子で連結され、滑り軸受けで回転を支える構造だ。もう一人の受講者と共同して作業にあたった。
実機が完成すると三人がかりで操作する。ウインチのドラムに巻き付けたロープをロックさせ、台座ごと回転させた。持ち上げる高さは一メートルギリギリにしている。無事に石を台に載せることができた。ここまで六時間だ。
残りの二時間は、図面と強度計算を分担する。相互チェックで見直しを含めても、三十分前に終えることができた。
◇◇◇
「卒業試験の後半は、開拓企画の立案と検証だ」
サルトリウスが伝える。
「五人一組で六チームを作り、一週間の行程表を各チームで作成してくれ」
前日に組んだ三人は、同じチームとならないように配慮されていた。一チームごとに部屋が割り当てられ、他の雑音から遮蔽される。
「今日の八時間で完成させろ」
明日の午前中は相互検証だ。他の五チームの案を四時間でチェックする。午後の四時間で添削された自分達の案を練り直し、ブラッシュアップされた完成形へとまとめるのだ。
「各チームに与えられるテーマは、実際に開拓が行われている地域だぞ」
その開拓前に入手できた資料が、今回は事前に揃えられている。装備や道具は各自が今持っている物を使う。別途予算として、一人につき金貨百枚が支給される想定だ。チームの公費と私費の割合は、各チームによって決められる。
「カークには医療を担当してもらいたい」
プロジェクトマネジャーを買って出た子爵の三男が提案すると、全員一致で即決した。
集中講座が始まってから半年間、カークは受講者全員を秘かに治療していたのだ。古傷や持病を少しずつ癒して行き、今では全員が健康体となっている。
カークが薬草の村で教会の顧問に認められた存在であることは、受講者全員が知っていたのだ。しかし、それを指摘するような者は居ない。
帝国大学では優しい妖精が癒してくれる。そんな噂話で口裏を合わせるだけだった。
(……この地域は薮蚊が多いんだな。虫除けのお香だけではなく、スプレーも必要だぞ)
虫刺され用の痒み止め軟膏を、各自に持たせることにした。
(風土病の感染にも注意しなくては)
蚊が媒介することが多いのだ。
(蚊帳の網を頭から被っておくと予防になる)
徹底的に防御しておく。
(現地での作業は、伐採と草刈りがメインだ)
斧や鎌、鋸による裂傷が想定された。
(俺が居れば治療魔法で治せるが、いつも一緒だとは限らない)
消毒液と止血軟膏を、直ぐに使い易いようなパッケージにしておく。縫合用の針と糸、滅菌ガーゼと包帯も揃えておいた。
(爪先に鉄板が仕込まれた安全靴と、板金製の脛当を装着しておけば、かなり予防できそうだな)
作業時の姿勢やお互いの位置取りなど、予防安全について考察が進む。
(速いからといって無防備で作業をすると、怪我をして余計な時間がかかる)
効率が悪いように感じるかも知れないが、安全作業を心掛けると全体としては確実なのだ。
その他にも、栄養のバランスが取れた食事、こまめな水分補給、適度な休憩など、怪我や病気をしないためのルールを考える。
様々な施策や提案を述べたカークは、他のメンバーから<母ちゃん>と呼ばれた。
「まさか八時間がこんなにも短いとは、思ってもいなかったぞ」
子爵の三男が疲れた表情で呟く。
「しかし、皆も納得できるプランが仕上がったな。協力に感謝する」
どうしても上から目線なのは仕方がない。
◇◇◇
翌日は卒業試験の最終日だった。午前中に各チームが相互検証するのだ。
「厳しく検証してくれ。コメントの内容も評価対象だから、誰の意見か分かるようにサインしておいてくれよ」
大きな教室に各チームのプランが貼り出されている。三十人の受講者が付箋を手にして群がった。
コメントを記入した付箋はピンでボードに刺す。
(ほう、これは良いアイデアだ)
カークは他のチームのプランを見て、感心したことや参考になった点を記入した。誉め殺しではなく、本心から高評価したのだ。
全員が真剣な表情で取り組み、全てのチームに多くの付箋が貼られていった。
「さて、午後はブラッシュアップだ」
子爵の三男が告げる。
昨日と同じ部屋に運び込まれたボードには、多数の付箋が付いていた。
「まずは意見を分類して、指摘事項をまとめよう」
五人が手分けして作業にあたる。
「予想通りに安全策過ぎる、という意見が多いな」
彼等のプランに対する評価は、どれもが厳しい内容だった。しかし、このチームの皆が納得して、カークの意見を取り入れたのだ。
「だが俺達の基本姿勢は変えないぞ」
ハッキリと指針を示した。
「サルトリウスの言葉を具現化したんだ」
それは最初の授業で宣言されている。
一人だけ賛同してくれたのは、教会の僧兵だった。
「では、謙虚に評価を判定しよう」
全員が意見を出し合う。基本姿勢の安全策を逸脱しない範囲で、指摘された点を修正する。
(どうやら薬品の保管方法と、消費期限が影響しているんだな)
カークは付箋の束を眺めて考えた。
(嵩張る瓶は慎重に扱う必要があり、短い消費期限が焦りを誘う)
移動中は早めに消費して負担を減らし、現地へ着いてから補充を待つ。多少の危険は折り込み済みだ。
(冷凍乾燥が普及すれば、開拓者の考え方も変わるのだろうな)
それは保存食についても同様である。
(ジョック・ストラップのように、軍での需要が行き渡ってから、漸く一般へ普及するのか)
カークは自分の経験から社会の仕組みを考えた。
「よし、これで完成だ」
子爵の三男が宣言する。
「皆、ありがとう」
彼は姿勢を改めて言った。
「俺の拙いマネジメントでも、こんなに素晴らしい結果を残せたのは、皆の実力が高かったからだ」
深々と頭を下げる。その姿は貴族らしからぬ謙虚なモノだった。
「子爵の三男なんて、開拓村の箔付けにしか使い物にならない。お飾りの傀儡領主に成れれば御の字さ」
実感が籠っている。
「でも、この半年間の成果として、素晴らしいプランを残せたことは俺の誇りだ」
深呼吸した。
「今後、どこかの開拓地で逢うことがあれば、挨拶だけでも交わしてくれ」
寂しそうに笑って頭を掻く。そして皆と握手してから一人で先に教室を出て行った。
「お疲れ様でした」
カークを含めた残りのメンバーは、互いに疲れた顔で握手を交わして解散する。試験結果は明日の午後、シエスタの後で発表される予定だった。
学生寮に居る者は、次の土日で退去しなければならない。疲れた身体に鞭を打って、これから自分で部屋を片付けるのだ。
カークは迎えに来てくれた馬車に乗って帰宅した。
◇◇◇
『お疲れ様デシタ』
『ごゆっくりー』
妖精達が労ってくれる。
続く