第六話:治療
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(陽射しが随分と暖かくなってきたな)
大きな荷物を背負って、日中の険しい山道を独りで歩くカークは、ジワリと汗が滲む頭を掻いた。
彼が産まれ育ったこの大陸は、北を上に見て逆三角形をしている。まるで骨格のような山脈が丁字に存在しており、大陸を北部と東西の三つの地域に分けていた。
ちなみにカークの出身地であるレフトショルダーの町は、大陸の北東部の端に位置している。
(イースト・ヒルが大きな町で良かった)
商人組合の組織がしっかりしており、まだ著作権や特許などの概念が確立されていない世の中で、彼の発案を個人の権利として守ってくれたのだ。
(グルメなフェアリーのお陰でもあるぞ)
それはカークが鋼鉄製の剣を買うために、資金を貯める目的で活動していた時のことである。食費を切り詰めるために自炊を始めた。少し傷んだ魚を安く買い、念入りに調理したつもりが、腹を壊してしまったのだ。
ならば傷んだ魚へ予め治療魔法を試してみれば、というフェアリーのアドバイスに従い、見事に大成功したのである。
(直ぐに商人組合へ相談したのも良かったな)
彼が治療魔法を使えると打ち明け、食材の鮮度を保てる手段として報告した。しかし、それは既に<神に祝福された食材>として、一つのジャンルが確立されていたのだ。
自分独りでアイデアに辿り着いたカークは、教会から<非常勤見習い僧侶>という身分を与えられた。教会が執り行う<祝福>を施す儀式への参加許可証である。
その機会は週に一度、日曜礼拝が済んだ後で、午前中いっぱいの時間が割り当てられていた。時給は金貨一枚であり、休憩を除いて約四時間は従事できるため、定期的に金貨四枚の収入が確保されたのだ。
対象となる食材は魚だけではなく、野菜と肉、果ては薬草や回復ポーションまでもが含まれていた。但し生肉や鮮魚を祝福した場合は寄生虫まで活発化してしまうので、低温保存と十分な加熱調理は必須である。
カークは既に、三週間にわたって参加していた。
◇◇◇
「お待ちしておりました」
険しい山道が拓かれた狭い平地に、その山小屋は建っていた。カークを出迎えてくれたのは、日焼けした三十代の逞しい女性だ。
「では、どうぞ」
彼女は入り口の階段を下りて、外開きのドアを支えてくれる。
「お邪魔します」
厳つい顔を自覚しているカークは、なるべく愛想良く応じたつもりだ。
「ご苦労様です。どうぞお掛けください」
薄暗い小屋に入ると、部屋の奥から中年男の声が聞こえた。幾分、元気が無いように思える。
「ありがとう」
その声に応じたカークは、背負っていた大きな荷物を床に降ろした。
「早速ですが、内容を確認してくれませんか」
彼は梱包を解くと、一番上に置いてあった納品書を取り出す。現物及び注文書の控えと照合するのだ。問題なく検品作業が完了すれば、受領書にサインが貰える。
「では、その間に診察しましょう」
出迎えてくれた女性が検品している時間を使い、カークはもう一つの作業に取り掛かる。小屋の奥でベッドに横たわる、中年男の様子を診るのだ。
「えっ?」
戸惑う男へ向けて、彼は非常勤見習い僧侶の証であるアミュレットを提示した。
「安心してください。治療魔法が使えます」
そう言ってベッドの横に立つ。
今回は<猟師連合会>からの依頼であった。
各山の重要拠点には、ベテランの猟師が常駐した山小屋が配置されている。山の環境が変化すれば直ぐに察知できるように、定期的に巡回するのが主な業務だ。
冬が終わり新年一月と共に春を迎えたこの時期は、冬眠から覚めた様々な動物が溢れる季節だった。今年の異変は、この山の主と呼ばれる存在だった灰色熊が、冬眠中に魔物化してしまったことである。
長く生きた野生動物は、成長と共に経験を積んで強くなってゆく。山の主と呼ばれるまで育った灰色熊は、ゴブリンやコボルトはおろか、時にはオークやトロルなどよりも強くなる。そうして山の主は魔物を倒し、山の秩序と安寧を保つ存在となっていたのだ。
そして、数年置きに悲劇が発生する。
強くなった山の主は秋に魔物を乱獲し、大量に食することで冬眠中の栄養を確保していた。しかし、魔物を食べ過ぎて魔石を大量に摂取すると、希に自分まで魔物化してしまうことがある。
強者の宿命と言うには残酷な結果だ。
この山の猟師が襲われたのは三日前だった。
彼の息子で跡継ぎの狩人が、独りで山を降りて町へ助けを求めに来たのだ。丁度、物資の補給と同時期だったので、ポーター兼治療士としてカークに白羽の矢が立ったのである。
山の主の魔物化という事態を重く見た猟師連合会は、傭兵連盟へ緊急応援を要請した。独りで身軽に動けたカークとは違って、腕利きを揃えるには時間が必要だ。彼よりも一日遅れで、精鋭の討伐隊が駆け付ける手配となった。
これでも最速の対応である。
「肋骨と左腕に単純骨折。腹部内出血の原因は、腎臓と大腸の裂傷。両足の脛を複雑骨折。かなりの重傷です」
カークは正直に診察の結果を伝えた。非常勤見習い僧侶となってから、教会で治療士としての初期教育を受けた成果である。
「素晴らしく適切な治療が施されています。私も勉強になりました」
ホビットで旅の薬師だったボルビンに教えられ、彼も購入した薬品が惜し気もなく使われていた。特に化膿止めの抗生物質が効果を発揮している。
骨折部位を整復するための副木も完璧だ。
(封鎖的な山小屋なのに、害虫対策も徹底している。猟師の知恵と工夫を、この機会に学んでおきたいぞ)
一人旅を始めてから、彼は新たな視点で世間が見えて来た。
「まずは重篤度の高い、内臓の裂傷から治療を始めましょう」
腹部に手を翳して眼を閉じたカークは、呼吸を整えゆっくりと治療魔法の呪文を唱える。決して急がずに、深く静かに魔法を染み込ませるのだ。加速された自己治癒能力によって、驚異的な速度で傷口が塞がれてゆく手応えを感じる。
この治療魔法の余波で、外傷の擦り傷や打撲傷まで完治していた。
ゲボッ!
治療を受けた猟師が、大量の血の塊を吐く。胃に溜まっていた内出血だ。吐き出す際の動きで、折れた肋骨が痛む。
患者の咳が収まるのを待ち、その肋骨の単純骨折を治療する。
ここまでの魔法による治療で回復したが、患者はかなりの体力を消耗していた。残るは腕と足の骨折であり、致命傷は回避できたので、しばらく休むことにする。
検品を終えた妻は、夫にホットミルクで溶かしたオートミールを与えた。食後に回復薬と抗生物質の服用も忘れない。患者の疲労度を考慮して、残りの治療は翌日に延期する提案を、夫婦は二人揃って受け入れてくれた。
患者と治療士の信頼関係も重要なのだ。
◇◇◇
翌日の早朝には、討伐隊の八名が到着した。
夜を徹して駆け付けてくれたのだ。
彼等は一休みしただけで、直ぐに魔物化した山の主を倒しに出掛ける。息子の狩人も案内役として同行した。
午前中に腕と右足を治療し、午後に残りの左足を治して完了する。
「宜しければ、如何でしょうか」
夕飯の食材として、カークお気に入りである鶏のホルモンを提供した。以前に訪れた村へ行って、ワザワザ購入したモノだ。勿論、彼の魔法で鮮度は保たれている。
「懐かしい味だ」
猟師の夫婦も知っていた。
怪我の治療で消耗した体力は、この食事で大幅に回復したのだ。
「治療費については、これが教会の悪しき前例とならない金額をお願いします」
カークは経験豊富な猟師夫婦に相談する。
規定の出張治療費以外は、猟師連合会へカークの功績を報告するだけに留めておいてくれた。
翌日の昼前に、討伐隊が凱旋する。
猟師が四人で山の主の亡骸を運んでおり、重傷を負った二人の傭兵が仲間に担がれていた。カークの治療で一命を取り留める。
「厳つい男だが、却ってそれが頼もしく感じるぜ」
治療を受けた傭兵は、そう言って感謝したのだ。
息子の狩人と猟師の一人が速報を伝えるために町へ向かい、残りのメンバーは山小屋で一泊してから山を下りることにした。
皆が疲労困憊な状態であり、病み上がりの者も含まれていたので、祝勝会は町に戻ってからにする。山小屋の猟師達は、家族三人が揃ってから喜びを分かち合うのだろう。
こうして<治療士の商人>というカークの名前は、猟師連合会と傭兵連盟の一部に広まって行ったのだ。
『魔法の使い方が上達しまシタヨ!』
ずっと静かに見守っていたフェアリーは、まるで我が事のように喜んでくれた。
続く