表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
導かれる者  作者: タコヤキ
第六章:帝国大学
59/145

第五十九話:魔法と科学

第六章は奇数日の十二時に投稿します。

(……これは、また身体が大きくなったぞ)

 翌朝、目覚めたカークは、肌着を窮屈に感じた。身長が伸びたのではなく、全身の筋肉量が増えたのだ。

(ワイバーンを倒したからだな)

 昨夜は肉も食べた。

(検証は夜まで待とう。まずは今週も、集中講座の授業を優先するんだ)

 今日から十一月の第一週目である。開拓者向けの集中講座最後の一ヶ月だ。


『覚えた魔法は……夜にしまショウ』

『思わせ振りねー』

 紋白蝶を頭に乗せたフェアリーは、カークの頭上でふよふよと浮いていた。



◇◇◇



「カークの交渉は奥が深かったんだな」

 何度めかのシミュレーションを行った結果、デンゼルはそう評価する。

「俺の方が得をしたように感じるが、カークも初期の目的を達成している」

 顎に手をやり首を傾けた。細身の黒人である彼は、何気ない仕草がサマになっている。

「カークの要求するレベルが低い、と勘違いさせられたような気がするんだよ」

 その通りだった。


 カークは自分の目的を設定すると、それを達成するために必要であれば相手の要求にできる限り応えたのだ。それは譲歩したのではなく、ゴールへ近付いていたのである。他の受講者とは価値観が異なっていたのだ。


(今は全ての経験が糧となる)

 それが彼の基本姿勢だった。

(とにかく何でも吸収するんだ)

 ある程度の取捨選択はしているが、その判定基準は他人から見れば低く思える。余りにも周囲とのレベル差を痛感したカークが、思案の末に辿り着いた交渉テクニックだ。

 自分に不足している経験を、周囲の者が持っている。彼はそれを活用していたのだ。


 その姿勢は他の受講者を深く知ることに繋がった。そして、企画の立案と実行に役立ったのだ。


 元より開拓者向けの集中講座を受けているメンバーなので、フロンティア精神が強い傾向にある。そんな彼等の好奇心を刺激して、興味を持たせるように仕向けた。

 更にはそれぞれの得意分野に業務を区切り、その隙間を自分で埋めることにする。しかし経験不足のために滞る場面はあったが、皆が積極的に支援してくれた。自分は好きで得意な業務を担当しているのために、どことなくカークに対して負い目を感じていたのだ。


 武骨で厳つい男だが、謙虚な姿勢で困難に立ち向かうカークからは、姑息な打算が感じられない。常に他人との競争に明け暮れている受講者達にとって、自分を見つめ直す良い機会となっていた。



◇◇◇



「ねえ、カーク。教会から伝言があるわよ」

 大学へ着くと商業科の受付嬢が言った。

「あのね、<貴殿のご活躍を祈る>ですって」

 無邪気な笑顔だ。彼女は受講者全員に愛想が良い。

「流石は<治療士の商人>さんね」

 寂しん坊の指環に違和感を覚えた。


「頼みがある」

 カークは静かに言う。

「ビクトルという職員に会いたい」

 受付嬢は気安く請け負ってくれた。


(サーモントラウト侯爵にも相談しよう)

 エルフにツテがあるのは心強い。




「たまには食堂も使わないとな」

 ランチに訪れたカークを待っていたのは、帝国大学魔法学部のマルセリーノ・バルビエリ学部長だった。エルフだが相変わらず眉間と頬の皺が深い。


『私のルートでも情報を掴んだ』

 淡々と食事を摂りながら、いきなりテレパシーで話し掛けてきた、

『薬草の村にはビクトルに行ってもらったので、大概のことには対応できる。だから安心してくれ』

 カークは黙って頷く。

『君の持つ<治療士の商人>という肩書きが、どうやら一人歩きしているらしい』

 嫌な予感がする。

『それを逆手に取って、少し情報操作してみた』

 食事を続けながらのテレパシーだ。

『これからも普段通りに暮らしてくれ』

 話はそれで終わりだった。


(知らなければ、答えようがない)

 カークは誰かに言われたことを思い出す。

(俺は今、帝都にある貴族の屋敷に住み、帝国大学の集中講座へ通っている)

 食後の珈琲を飲み、独りで考えた。

(春には薬草の村を訪れる約束だ)

 その変化に戸惑う。

(今は勉強に集中するだけだな)

 ひとまずは忘れることにした。



◇◇◇



「失礼します」

 土曜日の午後は授業が無い。ランチの後に魔法学部に招かれた。

「ようこそ」

「ご機嫌よう」

 キースとスーザンのサーモントラウト兄妹が迎えてくれる。いづれも金髪碧眼のエルフで、美男美女だ。


「今日はカークに紹介したい物があるのよ」

 打ち合わせ用の会議室へ案内されると、テーブルに並べられた茶色いガラスの瓶を指し示す。貼られたラベルの文字を読むと、カークにも馴染みがある薬草の村で作られていた飲み薬だった。


「飲み薬の効果を失わず、粉末化に成功したんだ」

「保存期間の延長と、可搬性の向上が図れたの」

 二人が揃って自慢する。


「我がサーモントラウト家は、代々、水と風の魔法を得意とする家系だ」

 それはロクサーヌから教えてもらった。

「液体と気体に関する知識として、長年に渡り蓄積されてきたことでもある」

 キースは黒板の前に立つ。


「水には三つの相があることは知っているかな?」

 カークは授業で習っていた。

「個体としての氷、液体としての水、気体としては蒸気となる」

 冷やすと凍り、暖めると蒸発するのだ。


「水の相の変化には温度が重要な関わりを持っているけれど、もう一つ、気圧も密接に関係しているのよ」

 スーザンも兄の横に並ぶ。

「気体は暖められると体積を増し、そこにかかる気圧も高くなるわ」

 逆に冷えると気圧は下がる。

「高気圧帯から低気圧帯へ空気が流れ込み、それが激しくなって規模が拡大されると、台風になるのよ」

 魔物達の好きなヤツだ。


「水を暖めると沸騰して蒸気になるが、高気圧下では沸点の温度が高くなる」

 カークは理解が追い付かなくなってきた。

「そして低気圧下では沸点も下がるんだ」

 時間はかかったが、なんとか理解する。


「水の状態を表すグラフを書こう」

 キースは黒板にグラフを書いて説明する。カークは数値の変化を可視化できるグラフが大好きだ。

 グラフの横軸は温度、縦軸は気圧で、右に行けば温度は高くなり、上に行けば気圧が高くなる。


「普段、我々が生活している範囲を一気圧と設定した」

 縦軸の中央から水平に横へ線を引く。そして、その一気圧の環境下で水が沸騰して気体へ変わる温度を百度に決めたと説明してくれる。横軸の中央から垂直に縦へ線を引き、一気圧の水平線と交差する点に<沸点>と書いた。


「三百七十四度と二百二十気圧を結んだ点が臨界点で、百分の一度と千分の六気圧を結んだ点が三重点だ」

 その二点間を赤色のチョークで結ぶ線を引く。右上から左下へ向けて、グラフの中央を横切るような斜線だ。

「この赤色の線を<蒸気圧曲線>と呼ぶ。この線の上が液体、下が気体を表す」

 低い気圧だと低い温度で蒸発する。液体から気体に変わるのだ。


 彼は続けて三重点から上に向けて、黄緑色のチョークで線を引いた。

「この上向きの線は<融解曲線>で、右側が液体、左側が個体だ」

 蒸気圧曲線と融解曲線に挟まれた範囲が液体を表しているのだ、とカークは理解する。

「三重点から更に温度も気圧も下がる線を<昇華曲線>と呼ぶ」

 今度は水色のチョークで斜線を引いた。

「昇華曲線より上で融解曲線より左側が個体だ」

 残る範囲が気体である。


「この昇華曲線の範囲、低温で低圧の状態を作り出すことに成功したのよ」

 水と風の魔法を使って水を冷やして凍らせ、気圧を下げることで昇華させる。水が個体のまま液体の状態を経ずに気化する現象を<昇華>と呼んでいると教えてもらった。


「この現象を活用した加工方法を<冷凍乾燥>と名付けたわ」

 スーザンが自慢気に言ったが、実際は兄妹の共同開発である。


「薬草から作られた飲み薬を、冷凍乾燥させて顆粒にしたモノが、その茶色い瓶に入っています」

 厳重に蓋が封印されていた。

「湿気に弱いところが難点なの」

 空気中の水分に反応して固まるのだ。

「真空パックにすれば安定することは分かっているけれど、安価で作れるパッケージの素材が見つからなくて困っているのよ」

 ワインのバキュームボトルキーパーは普及しているので、真空状態は手軽に作り出せる。しかし、ガラス製の瓶はコストが高いのだ。別の研究チームが樹液とスライムを混ぜた素材を開発中だという。


「冷凍乾燥は薬だけではなく、色んな食材にも応用できるんだ」

 キースが別の瓶を持ってきた。

「珈琲だよ」

 カップに瓶の中身をザラザラと入れる。指をパチンと鳴らすとカップにお湯が注ぎ込まれた。彼の魔法だ。

「佳い薫りだと思うんだが、余り評判は良くないのが残念さ」

 カークも飲んでみたが、普通に美味しいと感じた。


「熱湯を注ぐだけで美味しいパスタを再現できる」

 陶器製の深皿にお湯を注ぐと、加熱調理されたパスタが出来上がったのだ。

「帝国軍に売り込んだら大儲けできたよ」

 今年の夏から納品しているらしい。


「高温高圧で臨界状態の水は、液体と気体の両方の特性を持っていることが分かった。でも、その使い道はこれから探すんだ」

 エルフはいつから、そんなことを知っていたのだろうか?


「私達はこの研究活動を<魔法による科学>と名付けました」

 スーザンは薄い胸を張る。


「何故、俺に教えてくれたんだ?」

 カークは素朴な疑問を投げた。


「素直に理解して正しく評価できる人物に、ただ自慢したかったのさ」

 二人の説明を聞いていると、知らぬ間に時が過ぎて夜になっていたのだ。



◇◇◇



『覚えたのは暗視魔法デスヨ』

『いやーん』

 部屋に戻ったカークは頭を抱えた。




続く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ