第五話:ナイフ
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(野犬が五匹だ。後を着けられている)
イースト・ヒルの町を出たカークは、独りで街道を歩いていた。
(俺より少し遅れて驢馬を連れたホビット達が居た筈だが、独りの方が相手をし易いと思ったのか)
奴等に合わせる必要はない。こちらの都合が良いタイミングで迎撃してやる。
そう判断した彼は、突然に走り出した。野犬は逃げる獲物を追いかける習性を持つ。案の定、ガウガウ吠えながら追いかけて来た。
(あそこにしよう)
馬車が六台は駐車できる広さの空き地を見つけ、そこへ誘導するように走り込む。街道には徒歩で一時間進んだ辺りの間隔で、こうした休憩用の空き地が設けられているのだ。
五分以上も野犬より速く走り続けたが、カークは汗を掻かずに息も切れていない。背負っていたバックパックを近くの木の枝に引っ掛けておく。
間も無く五匹の野犬に追いつかれた。
(目が赤い。魔物化しているぞ)
二匹ずつが左右に分かれ、大きな一匹が正面から向かってくる。瞬時に樫の棍棒を構えたカークは、腰を落として両足に力を込めた。
左右の野犬は無視して、正面から来た一匹を睨み付ける。腰を捻りフェイントをかますと、思い通りにジャンプしてくれた。
ブンッ!
右手に持った樫の棍棒をフルスイングして、空中にいる野犬の腹部を打つ。肋骨がまとめて折れる手応えを感じ、左に回った二匹へ叩き付ける。
振り抜いたまま姿勢を下げると、低い位置へ樫の棍棒を突き出した。右側からカークの足元を狙っていた一匹の顔面へ、綺麗にカウンターが決まる。
その後ろから顔を目掛けて飛び上がった奴の下を潜り抜けた。着地しながら反転しようとするが、カークの体重が乗った一撃に頭蓋骨を粉砕される。
魔物化した野犬にも負けぬ、人間離れした素早さだ。
最初に殴った大きな一匹は、折れた肋骨が内臓に刺さっているのか、倒れたまま大量の血を吐いている。その血を浴びた残りの二匹は、どこか動きが鈍い。カークは簡単に頭を叩き潰す。
肋骨を砕いた大きな一匹とカウンターを決めた奴は、持ち換えたナイフで首を切って始末する。
このナイフはイースト・ヒルの町で購入した。鋼鉄製の剣の値段を再確認するために、武器屋を訪れた際に衝動買いしてしまったのだ。刃渡り十五センチで峰がギザギザなセレーションタイプの形状に一目惚れして、二本で金貨四枚を躊躇わず支払った。
『まだデスヨ!』
カークの頭上でフェアリーが警告を発する。
息を整えた彼がバックパックを掛けておいた木を見ると、痩せた人影が二つこちらを窺っていた。
(コボルトだ)
魔物化した野犬は、コイツらがけしかけていたのか。瞬時に判断したカークは、左に逆手でナイフを持ち、右に樫の棍棒を構えた。
粗末な錆びた短剣を振りかざし、二匹のコボルトが襲いかかって来る。片方の懐へ飛び込んだカークは、左肩で相手の胸を打った。体格の劣るコボルトは、あっさりと弾き飛ばされる。
背後から襲って来る気配へ、振り向きざまに樫の棍棒を振り抜いた。腹を殴られたコボルトが身体を折る。その頭上へ振り降ろされたナイフが、サクッと脳髄へ突き刺さった。
(この革手袋を買っておいて良かったな)
シッカリとグリップが効いていたのだ。倒れた頭を踏んで、そのナイフを引き抜く。
起き上がろうとする残りの一匹へ、追撃の脚払いを掛けて倒す。仰向けになった無防備な顔面に、渾身の一撃を振り降ろして終わりだった。
『さあ! 魔法を使う時デスヨ!』
何故かはしゃいでいるフェアリーが、カークの頬を指し示す。気付かぬうちに、引っ掛かれていたのだ。まだ興奮が冷めない彼は、痛みを自覚していなかった。
(その前に、まずは消毒だ)
カークはウエストポーチから小瓶を取り出し、手鏡で傷口を確かめると、綺麗な布に消毒液を垂らして拭く。
野生動物や魔物の爪は雑菌にまみれており、放置すると化膿してしまうのだ。治療魔法の殺菌効果を知らない彼は、従来通りの処置を施した。
意外と深い傷だったが、フェアリーに教えてもらった呪文を唱えると瞬く間に完治する。
『おめでとうございマース!』
何が嬉しいのか分からないが、喜んでいるフェアリーを見てカークも心が和んだ。
『初めての魔法は大成功デシタ!』
宙で踊るフェアリーを横目に、彼は魔物の後始末を始めた。
◇◇◇
「頼みがある」
驢馬を連れたホビット達の一行へ、静かにカークは声を掛けた。
「手伝って欲しい」
空き地へ並べた魔物の死骸を顎で示し、厄介そうな表情で呟く。そこには二匹のコボルトと五匹の野犬、追加で十四匹のゴブリンの死骸が整列していた。
「魔石は抜いておいた」
ジャラリと両手に広げて見せる。
彼がコボルトと野犬を始末している最中に、血の匂いを嗅ぎ付けたゴブリンがやってきた。最初の八匹を倒すや否や、続けて六匹に襲われたのだ。いい加減ウンザリしたカークは、ぞんざいに蹴散らしてしまった。
「獲物は全て渡すから、ここで換金してくれないか?」
彼の提案に年老いたホビットは、顎に手を当て暫く考えてから頷いた。
「魔石も全部込みデ、金貨六枚だナ」
即決する。
三人組みだったホビット達と協力して、コボルトと野犬の毛皮を剥ぎ取ると、残りはゴブリンと一緒に埋めておいた。この量を焼却するには、燃料費がペイできないと判断したのだ。
剥ぎ取った毛皮は、殺虫剤と防腐剤をまぶして小箱に詰め込む。魔物は不潔なので、ダニやノミ、シラミが多く湧いており、害虫被害の予防措置である。
「アンタは強いんだナ」
片付けが済むと、老ホビットが声を掛けてきた。
「次の村まで同行しないカ?」
そう言いながら巾着を漁る。
「荷物を持ってくれるなラ、金貨一枚出そウ」
彼は気前が良かった。
「でハ、まとめて金貨三枚ダ」
街道を進む間に、商談が成立する。ホビット族に特有の訛りで話す老人は、ボルビンという旅の薬師で大ベテランだった。
カークが購入したのは、整腸剤と止瀉薬に虫下し、解毒剤と化膿止め等の粉薬だ。更には胡椒や七味といった各種香辛料である。それらは湿気を嫌うため、専用の器と乾燥剤も併せて購入した。
手持ちがあるからと言って、傷薬と疲労回復薬は回避する。敢えて治療魔法には触れていない。
またオーラル・ケアの重要性も説かれ、ミント系の歯磨き粉、歯ブラシと糸楊枝を買わされた。すっかり洗脳されたことには気付いていない。
ホビット達が扱っている商品は、保存が容易で軽くて嵩張らず、単価の高い貴重品だった。関連する知識が豊富で話術も優れている。
カークは授業料込みだと考えて、彼等の言い値で支払ったのだ。
◇◇◇
小さな村に辿り着いたのは、ギリギリ日暮れ前の時間だった。村長の屋敷前でホビット達と別れたカークは、宿を探して村を巡る。
(こんな規模の村には、宿屋がなかったのか)
道行く村人に尋ねてみたが、どうやら昨年に廃業してしまったらしい。今では教会が聖堂の一角を旅人に開放しているだけだ。
(無いモノは仕方がない。食事だけでもまともな店があれば良いが)
村に住む独身男性向けの食堂があった。養鶏場の経営者が営んでおり、従業員達への賄い料理をメインにしている。
(鶏肉と野菜が中心のメニューだな)
鶏の内臓を丁寧に処理して、独特なタレに漬け込んで焼いた料理が旨い。三人前をお代わりする。
たっぷりの野菜と軟骨入りのツクネを煮込んだスープは、生姜の出汁が身体の芯から暖めてくれた。
渋味の強い赤ワインが意外と合う。
(タマゴと牛乳を練り込んだパンとは珍しい)
思いがけない美味に、カークはまるで何かに取り憑かれた如く食べた。
(今日は魔物を倒したので、普段よりも食欲が強いぞ)
満腹で幸せな気分になった彼は、お釣りを受け取らずに感謝の意を伝える。念のために翌朝の食事も予約しておいたのだ。
厳つい男だが気前の良い健啖家の旅人として、暫くの間はこの小さな村で噂になっていたことを、カークには知る由もなかった。
「どうぞ、こちらへ」
夕食後に日が暮れてから教会を訪れた。お布施として銀貨五枚を納めると、狭いながらも個室へ案内される。
シャワー等の施設はなく、虫除けのお香を焚いて我慢した。隙間風が気になったが、毛布にくるまると直ぐに寝てしまう。
『好い夢を見て、いっぱい成長できると良いデスネ』
何時ものようにフェアリーは、スヤスヤと眠るカークの寝顔を眺めて囁いた。
続く