第三十五話:出発
第四章は奇数日の十二時に投稿します。
「確かに、教会から金貨五十枚が入金されている」
商人組合の事務所を訪れたカークは、窓口で口座の履歴を確認した。
口座の通帳は木簡であり、薄く細長い板に取り引き内容が刻印されている。両端に穴が開けられているので、紐を通して綴ることができた。背面にカークの名前と登録番号が記載されており、他人のモノと間違える心配はない。
「ようこそ商人組合へ。私が本日の相談を担当する、エリザベスです。どうぞ宜しく」
その女性職員は、中年の狸獣人だった。一時間銀貨三枚で、様々な相談に乗ってもらえるのだ。
「リズとお呼びください」
丸顔に垂れ目がホンワカした癒し系である。
「帝都までのルートを相談したい」
カークは駆け出しのソロで、期間は一ヶ月、予算は金貨五十枚だと伝えた。
「予算は問題ありません」
リズは陸路だけ、川下り込み、海路、の三種類を提案してくれる。
「他の商隊と同行することをお薦めします」
ソロの場合、有事の際に対応仕切れない。もし魔物を倒せても、素材の運搬に困難する。
「野営の際も安心できます」
各地の商人組合で紹介してもらえるのだ。
「今回は陸路か、川下りが良いと思います」
独立したばかりの旅商人なので、とにかく知見を広めたい。そんなカークの要望を考慮してくれた。
「海路の場合は、長時間船に乗り続けます。体力の消耗は少ないのですが、得られる経験も多くありません」
リズはカークの事情をよく理解している。
「陸路と川下りでは、それほどトータルコストに差はありません」
陸路を選んだ場合にかかる馬車代や宿泊費と、川下りの船代がほぼ同じ金額になるのだ。
「時間を短縮したいのであれば、川下りは陸路より一週間短くて済みます」
この場合の陸路とは、馬車の利用を前提としている。
「この時期の帝都付近は長雨が多く、川が増水して船が欠航する場合があります」
リズは新たに重要な情報を提供してくれた。
(陸路で四週間、川下りは三週間、海路が二週間。費用はどれもほぼ変わらない)
カークは迷わず川下りを選んだ。
『ありがとうございマース』
『楽しみねー』
フェアリーと紋白蝶は喜んでいる。
「商人組合と提携している船屋であれば、優先的に予約ができるクーポン券があります」
流石は商人組合だ。隙あらば金を払わせようと狙ってくる。ここで金を使うメリットを考慮したカークは、短い交渉で少しだけ値切った。
その後は川下りルートの地図を購入する。商人組合の事務所がある町や、提携している船屋など旅に役立つ情報が記載された便利アイテムだ。
「さて、ここからは無料のアドバイスです」
話に一区切りついた処で、リズが態度を改める。
「貴方は定期的に不労所得がありますね」
旅の資金について話した際に、教会からの顧問料があることを聞き出されてしまっていたのだ。
「商人組合の重要な業務の一つに、効率的な資産運用というモノがあります」
ホンワカした癒し系の裏に、抜け目の無い商人の表情が垣間見得た。
「先物取引はリスクが高いので、初心者にはお薦めしません。まずは積み立て式か定期預金で、投資信託から始めるのが良いでしょう」
木版に色々と記載されたカタログを取り出すと、カークへ向けて読み易いように並べて見せる。
「貴方の場合であれば、この積み立て式が合っていると思います」
そこには<金貨一枚から始められます>と、大きな文字で書かれていた。
(投資は祖父が詳しかったな。父親も幾つか定期預金を持っていたはずだ)
カークも代々続いた商人の息子である。資産運用についての知識は、一般人よりも多く備えていた。
(自分のこととして聞くのは新鮮だ。ここで正式に学んでみよう)
先を急ぐ旅ではない。改めてゆっくりと理解を深める気持ちで、リズの話を聞いた。
(今日は、この辺りが潮時だな)
毎月金貨五枚ずつ積み立てて、一年毎に金貨三枚の利息がつく。年間六十枚が六十三枚になるのだ。三年間で契約した。まずはこれからだ。
契約の事務手数料として銀貨三枚を支払う。一時間の相談料と同じ金額だった。
(金融資産が個人の信用を裏付けることは理解できるが、不労所得でお金を弄ぶのは好きじゃあない)
およそ商人らしからぬ感想を抱いた。カークは父親譲りで頑なな一面を持つ。
(まあ、日々の暮らしに心配がなく、お気楽な旅路を楽しめることに感謝しよう)
ソロの旅商人が経験を積むだけにしては、潤沢過ぎる資金を持っているのだ。
厳つい男だが、フェアリーや周囲の者からカークは甘やかされていた。
◇◇◇
『おはようございマース!』
『おはよー』
フェアリーと紋白蝶が今朝は早起きだ。
『出発デスヨ』
『船だわー』
気が早い。
朝のルーティンを終えてチェックアウトする。滞在中に荷物が増えていた。
(主に武器や防具なのが、商人らしくないぞ)
自衛のためなので、仕方がないと割り切る。
「それでは宜しくお願いします」
商人組合の紹介で、カークは二組の商隊と同行することになった。それぞれ馬車が二台で、メンバーも五人ずつだ。護衛は六人組みの傭兵で、ベテランの二人が騎馬だった。護衛の費用はカークも負担する。一日につき金貨一枚だ。
カークはトレーニングを兼ねた徒歩である。
「ソロなのか」
騎馬の上から傭兵のリーダーが声を掛けてきた。大柄な獅子獣人の中年男だ。
「そうだ。まだ駆け出しだよ」
カークは努めて愛想良く答える。
「不思議な奴だな」
ベテランらしく声に迫力があった。
「最近ひと山当てたにせよ、商人とは思えない装備を揃えている」
使い込まれた樫の棍棒以外は、どれもが新品同様の状態なのだ。
「若いのに大したモノだ」
物怖じせずにリーダーと会話できる、胆が据わったカークを高く評価していた。
(赤鬼チャハンとの出逢いや、ワイバーンとの一騎討ちに加えて、アーク・リッチとの対決。思い返せば、この三ヶ月は濃い体験の連続だったな)
カーク自身の成長もあるが、ワイバーンやアーク・リッチほど恐い人間は居ない。大概のことには物怖じしなくなっていた。彼我の実力差を認識して、素直な姿勢で向き合うカークは、傭兵のリーダーを務めるような人物に好まれる。
グレート・クリフから船着き場があるオフ・ショアという町まで、途中の村で一泊する予定だ。
西へ向かって進み、何事もなく初日を終える。商隊は定期的に往復しているので定宿を選び、カークは傭兵達と同じ宿を取った。そして、夕飯を共にする。
「旅商人はタフな者が多いと知っているが、カークは凄いな。精強な帝国兵にも劣っていないと思うぞ」
獅子獣人のリーダーが誉めてくれた。
今日の行程では魔力を循環させるトレーニングを続けており、商隊の馬車と同じペースで進んできたのだ。終盤には徒歩だった四人の傭兵達が疲れを感じさせていたのだが、カークは平気な顔で歩いていた。
「父親も旅商人だったので、小さい頃から歩くことには慣れているんだ」
カークは自慢や卑下することなく、素直に答える。リーダーは、その姿勢を気に入った。
「そうか、流石は……えっ? ドワーフじゃあないって?」
そう言えば髭がないな、とお約束の反応だ。傭兵や猟師からは、大柄なドワーフに間違えられやすい。
いつしか話題は装備のことになっていた。
「ランプレディは良い店だ」
傭兵達の六人全員の意見は一致する。
「萬屋か、あそこは値引きが渋い」
品物は確かだが、値段は高いようだ。
然り気無くハンドサインで確かめたが、このメンバーには<互助会>の関係者は居なかった。
「目的地は帝都なのか」
「じゃあ船で川を下るんだな」
「次は<北端城>を経由することになるぞ」
傭兵達と打ち解けたカークは、知らなければまるで商人には見えない。
その<北端城>とは、巨大な要塞都市だ。
以前は王国侵略の最前線だった拠点で、帝国の北端に位置していた。今でもその名前で呼ばれている。
侵略戦争が終わった後は、武器や防具、軍馬の生産地として軍需産業の一大拠点となっていた。
◇◇◇
『船まで遠いデスネ』
『遠いわねー』
フェアリーと紋白蝶はガッカリしていた。
続く