第三話:買い物
毎週月曜日の十二時に更新予定です。
『おはようございマース! 今日も好い天気デスヨ!』
元気なフェアリーの声で目覚めた。
(……ああ、おはよう)
漸く空が明るくなりかけた頃だが、昨夜は早く就寝したので睡眠時間は十分である。
(おや?)
起床後のルーティン・ワークであるトイレと洗顔に歯磨きを済ませ、身嗜みを整えてから身体の成長具合を確認した。全身の筋肉と骨が強化されたのとは別に、臍の下辺りに違和感を覚えたのだ。
『ちょっと確かめてミマス』
鋭く反応したフェアリーが、慎重にカークの身体を調べ始める。
じっと待つこと五分。
『パンパカパーン! 魔法を覚えマシタ!』
カークの頭から飛び上がったフェアリーは、身体を錐揉みさせながら宙を舞う。
『おめでとうございマース!』
いつもより多くの七色に光る粒子を振り撒いて、部屋の空気がキラキラと輝かせた。
『治療魔法デスヨ! これで薬草要らずデスネ!』
フェアリーはカークの身体の周りを、軽やかに踊りながら回る。その動きに釣られて、彼の体内で何らかのエネルギーが循環し始めた。
『それが魔力デスヨ! 早速試しマショウ!』
しかし今は治療の対象となる怪我をしていない。
『残念デスネ。仕方がありマセン』
いきなりテンションが急降下する。
(俺は敬虔な信者でも無いのに、まるで僧侶みたいな能力だな)
治療魔法を得たことに疑問を感じながらも、彼は改めて魔力を体内に巡らせてみた。
(多少の傷であれば一晩眠ると回復していたのは、自己治癒能力が高かったからなのか)
便利な自分の身体に感謝する。
『朝ごはんを食べマショウ』
フェアリーの興味は、魔法から食事に移ったようだ。
受付でランドリーサービスの麻袋を預け、料金を支払って部屋の鍵を返却する。バックパックは置いたまま、昨日と同じ装備で町へ出掛けた。
(さて、この町の南側には、沢山の工房が有ると言っていたな)
彼の装備を心配したダニエルが、親切に教えてくれたのだ。これからも旅を続けるに当たり、防御力を高めておく必要があるらしい。額へ巻かれた鉢金以外にも、金属製の防具を薦められた。傭兵あがりの運び屋の意見なので、カークも重視したのだ。
(俺は台所用品を扱う金物屋しか知らない)
旅商人だった彼の両親は、生活用品や食料品をメインにしており、武器や防具は商っていなかった。
(取り敢えず商人組合の事務所へ寄ろう。後は予算次第だな)
屋台で買った串焼き肉を噛りながら、どこか慌ただしい早朝の町を歩く。
◇◇◇
「では身分証をお願いします」
建物の入り口で係員に声を掛けられ、カークは予め用意しておいた身分証を提示する。頑丈な鎖に通したプレート二枚を首に懸けており、シャツの衿元から取り出したのだ。
「確かに帝国の市民証と、商人組合の登録証ですね。ありがとうございました。では、どうぞ」
中年の女性は事務的に対応する。常連であれば顔パスなのだろうか。
(あれが地図だな)
商人組合の事務所へ入ると、左手の壁一面に大きな地図が掲示されていた。簡略化された地図は幾つかの区画に分かれており、各々に番号が振られている。
地図の左右には連動した番号順で各店の広告が並んでおり、目的とする店舗の場所と取り扱い商品を検索できるようになっていた。
壁の手前には柵が設けられているので、一メートル以内には近付けない。カークは混雑と悪戯防止の対策であることを思い出す。
イースト・ヒルは旧王国の副都心だった町であり、現在も人口十万人を超えて、この地方では一番の大都市であった。
『スタッフの半分は狐獣人さんデスヨ』
室内を見たフェアリーの報告だ。
(組合員しか閲覧できないのは、盗賊に対する防犯措置なのか)
商人にとって貴重で必要な情報だが、盗賊に悪用されると多大な被害を被る。機密性の確保は重要だ。
(製造者と直取り引きは、原則的に不可能だったな。武具を扱う小売店を探そう)
いかにも商売人といった身形の男が五人、地図の前に並んで閲覧している。彼等の邪魔にならないように注意して、少し離れた位置から眺める。カークは視力が優れているので、細かい文字までハッキリと読めるのだ。
(俺のような者でも相手にしてくれそうなのは、この二店舗だろうな)
メモ代わりの木札と鉄筆を持って約十分間、地図と広告を吟味した彼は目星をつけた。情報料の銀貨一枚を料金箱へ投入し、ゆっくりとした足取りで事務所を出る。
◇◇◇
(一件目はここだ)
まず初めにカークが訪れたのは、<萬屋装身具店>と看板を掲げている古くて小さな店舗だった。
「いらっしゃい」
無愛想な店員に商人組合の身分証を提示すると、ドアを開けて店内へ案内してくれる。
「何かあれば声を掛けてください」
そう言うと入り口へ戻った。
(小さな店舗に見えたのは、間口が狭かっただけだ)
予想以上に奥行きのある店内は、左右の壁にズラリと陳列棚が並んでいる。
(確かに<萬屋>らしく、様々な種類の装身具が揃っているぞ)
店舗奥の右側に金属製の商品が陳列されていた。卸売りをメインにしているためなのか、全ての商品に値札が貼られている。
(金貨五枚を区切りにして、棚の上下に分かれているのは分かり易いな)
下段が安く、上段が高かった。
若くて厳つい男が独りで来店し、いかにも真剣な表情で食い入るように商品を見つめている。店員は見習いか駆け出しの商人が、経験を積むために修行していると判断したのか、暖かく見守ってくれていた。
「また来るよ」
小一時間かけて商品の質と値段を覚えたカークは、入り口の店員に伝えて店を出る。
(二件目はこの店だが、かなり賑やかだぞ)
二階建ての広々とした店構えで、多くの店員が愛想良く対応していた。
(商品の値段表示が無いのは、担当者との交渉に依存されるのか)
一階には安価な商品ばかりが陳列されている。先ほどの店で見た、金貨五枚以下だった品質だ。
(品揃え自体に大差は無いが、店員との価格交渉が面倒だな)
値段表示が無いので、二階には寄らずに店を出る。
彼が本職の商人であれば、少しでも安く仕入れるために努力するのであろう。
(値段交渉に掛ける労力を省きたい)
旅商人の息子であるにもかかわらず、カークは寡黙な男であった。
ランチにはまだ早い時間だったので、今度は武器を扱う店を訪れてみた。ここも大型店舗であったが、入店時に商人の身分証を提示したお陰で、店員の過度な干渉や売り込みは無くて済んだ。
(想像以上に高いぞ)
武器の類いは、カークが想定していたよりも遥かに高額だった。一番安い青銅製の剣でも、金貨十枚からの値段である。
(完全に予算オーバーだ)
攻撃力を上げれば防御の必要は無いと考えていたのだが、そのためには高額の投資が必要だった。
(少しでも防具を増やしておこう)
彼は考えを改める。
(治療魔法を使えば、多少の無理は利く筈だ)
そうやって自分を納得させた。
◇◇◇
ランチの後に<萬屋装身具店>を訪れたカークは、魔物の甲殻で造られた肘と膝のサポーターを購入する。三分割された扇状の甲殻が、少しずつずらしてカシメられており、関節の動きに応じて可動できる優れモノだ。
締結部の大径なリベットは安心感がある。
可動部があるので消耗品と判断した彼は、予備を含めて同じ物を三組購入した。
「縄を巻くのと同じ、滑り止めの効果がある」
カークが腰に提げた樫の棍棒を見た店員が、敢えて薦めてくれたのは薄い革手袋だ。
「道具を換えても、巻き直さずに済む」
その的確なアドバイスに、彼は眼からウロコが落ちる思いがした。
「ありがとうございます。商売の真髄を学べました」
カークはとても素直に感謝を述べ、革の手袋を半ダース一括購入する。値段には換算できない知恵と工夫を手に入れたのだ。
そんなカークの態度を見て、無愛想な店員は優しい眼差しを送る。
「夕飯に良い店を紹介しよう」
思いがけない言葉にカークは戸惑う。
「オーダー時にこのカードを渡せば、幾らか割り引きがある」
手渡されたのは、ツルツルで木目が綺麗に揃った木札だった。店の場所を聞いてからお礼を述べ、彼は軽い足取りで店を出る。
(今日は値段以上の良い買い物ができたぞ)
思いがけない収穫にカークは大喜びで宿屋へ向かう。
『その判断は間違いないデスヨ』
そんな彼の頭上では、笑顔のフェアリーがクルクルと舞っていた。
続く




