第二十八話:頼みごと
第三章は奇数日の十二時に投稿します。
『悪い奴等が隠れてイマス』
フェアリーが教えてくれた。
薬草の村を出て約二時間後、右曲がりのブラインドコーナーの手前だ。
(では、側壁を登って上から見てみよう)
山沿いの街道を歩いていたカークは、ヒョイヒョイと切り立った側壁を登り始める。疎らに生えた低木や岩を次々と掴みながら、ボルダリングの要領で身軽に移動して行く。
(エドに剣技を習ったお陰で、随分と身体の使い方にも慣れたぞ)
町の教会宛てに多数のお土産を託された彼は、重くはないが嵩張る荷物を背負っていた。しかし、それをハンディキャップとは感じていないようだ。
今朝、薬草の村を発つ時に気付いたが、フェアリーの頭に小さな蝶々が止まっていた。淡いレモンイエローの羽根に、白くて丸い三つの紋が印象的な紋白蝶である。
(居た)
カークが十メートルの高さから見下ろすと、道路に二人の男が並び、更に斜面へ二人が隠れていた。各自の装備はバラバラで、古くて薄汚れている以外には統一感がない。
(間違いなく盗賊だな)
斜面に居る一人だけが金属製の鎧を着ていた。恐らく奴がリーダーだろう。
(やり過ごすか?)
高所から弓矢で不意討ちすれば、斜面に居る二人は確実に倒せる。しかし、街道に残る者達には対処が遅れてしまうのだ。
『魔法が届きマスヨ』
紋白蝶を頭に止めたフェアリーが教えてくれる。
(確かに十メートルであれば、強制睡眠の魔法が届く範囲だぞ)
カークは思わず声に出しかけた。
(高さ方向に、距離感を惑わされてしまったな)
十メートルといえば、水平方向だと縦列駐車した馬車二台分だ。高さでは三階建ての屋上に相当する。
(ここまで印象が違うのか)
厳つい顔で盗賊達を見下ろした。
(眠れ)
カークは声に出さず、心の中で呪文を唱える。街道だけを注視していた盗賊達は、その場へ力なく踞った。
(よし、上手く行ったぞ)
盗賊達へ向けていた右手の掌を閉じると、彼はゆっくりと斜面を降り始める。
(左右だけではなく、背後や上にまで警戒することが必要だったな)
簡単に事が運んだカークは、盗賊達へ伝わらない注意を考えていた。
(この時間帯なら、薬草の村へ定期的に訪れる帝国軍が見つけてくれるだろう)
魔法で眠らせた盗賊達の手足を縛り、路傍へ重ねて積んでおく。
(もし、それまでに魔物が来たとすれば、それがコイツらの運命だ)
盗賊を相手にしたカークは、とても冷徹な思考をしている。
◇◇◇
『ウーイが居マシタ』
盗賊達を放置してから約一時間後、曲がり角に膝を抱えて踞る精霊を見つけた。カークに気付くと直ぐに立ち上がり、右手に持った枝を差し出す。左手は側壁の上を指していた。
『緊急事態デスネ』
珍しくフェアリーが慌てている。
「どうした?」
カークは駆け寄って声に出す。
ウーイが差し出した枝には、小さく丸い実が三つ生っていた。それを両手で受け取ったカークは、ウーイが指す上を見る。その先は斜面の途中から木々が生い茂り、見通しの悪い森が続いていた。
「誰かを助けるんだな」
カークの言葉に激しく頷く。
「分かった」
お土産に持っていた枇杷の実をウーイに渡すと、振り向かずに側壁の斜面を登り始めた。
(ウーイにとって大切な人なのか)
恐らく<見える人>だと推測する。
(とにかく急ごう)
周囲に注意を払いながらも、カークは大急ぎで斜面を登り続けた。
森へ入ると傾斜が緩やかになる。しかし、獣道も無い足場は悪く、進行速度は極端に落ちた。
『あっちデスヨ』
少し明るく光ったフェアリーは、カークを先導するかのように前を行く。頭に止まった紋白蝶も光っている。
深くなった森の中を暫く進むと、誰かが歩いた跡らしき道が見えた。そのごく僅かな変化は、これまでのカークであれば識別できなかったであろう。
彼は無言でフェアリーの後を歩く。
『あそこデスネ』
彼女が指差す先には、斜面の段差と古い巨木の太い根の間を、落ち葉や芝生で覆ったシェルターがあった。ホビットハウスと呼ばれるダッグアウトだ。
(話には聞いていたが、本物を見るのは初めてだな)
カークは慎重な足取りで近寄る。
曲がった木の根の陰からウーイが現れた。先ほど出会ったのとはお面の形が違い、少し小柄だ。カークに向かって両手に載せたドングリ三つを差し出す。それを受け取ると、ウーイはしゃがんで、自分の左足の脹ら脛を両手で掴んだ。ゆっくりと撫でながらカークを見上げる。
「足を怪我しているのか」
カークは静かに言った。
ウーイは何度も頷く。
「俺が診よう」
その言葉が合図だったかのように、芝生の一部が内側から捲れて開いた。仄かに虫除けのお香の臭いがして、明らかに若いホビットの男が顔を出す。傷だらけだ。
「誰だヨ?」
カークを睨んで警戒している。
「何故そんなに光っているんダ?」
若い男の左目は腫れて青アザができており、頬には細かい切り傷が幾つもあった。鼻血が乾いて髭のようだ。下唇も二箇所切れている。
「怪我をしているな、俺が治そう」
カークはできる限り穏やかな声を出した。厳つい顔を自覚しているのだ。静かに背負っていたバックパックを降ろして、ホビットから購入した薬のパッケージを取り出した。
「ほら、薬だ。自分で使えるか?」
蓋を開き中を見せる。
「先に報酬を貰ったから、費用は心配ないぞ」
そう言って微笑んだ。
「……オイラより先ニ、弟を頼ム」
シェルターから這い出してきた若い男は、右足を引き摺りながら言った。
「中で寝ていル。動けないんダ」
ホビット訛り丸出しで話す。
シェルターの出入口はホビットの体格に合わせて作られており、カークは狭い開口部を腹這いでなんとか通過する。予想通りに中は暗くて湿気が高かった。
「明かりを灯す」
小声で若い男に伝えると、範囲照明の魔法を最弱の出力で唱える。ボンヤリとした明かりだが、それまでの暗がりに慣れていた目には眩しい。
(意外と広いんだな)
半地下のシェルター内は細長く、小柄なホビットであれば四人が寝転べる空間だった。現代でいえば、ワンボックスの軽自動車一台分程度の広さだ。太い木材で骨組みを作り、隙間は枝や藁で埋められている。かなりシッカリとしていた。
(彼が弟か)
低い天井に注意して屈み、藁のベッドの上で毛布にくるまった少年を見る。ホビットにしても小柄で、まだ幼いことが分かった。
フェアリーの頭を離れた紋白蝶が、横たわる少年へ向かって飛び、荒く上下する胸の上に止まる。
幼い顔が腫れて赤いのは、かなりの高熱を発しているのだろう。カークには聞き取れないうわ言は、意識の混濁を現している。自分の水筒を取り出して、中へ染み込ませるように治療魔法を掛けた。清潔な綿布に水を含ませると、少年の唇を湿らせるようにあてがう。無意識にだが吸ってくれた。
強制睡眠の魔法を掛ける。
穏やかな寝息に変わったことを確認すると、熱取り用のジェルを額へ塗った。ミントが多く配合されているので、鼻の通りも改善されるのだ。それでもまだ起きない少年は、痛みを忘れているのだろう。
毛布を捲って左足を出す。ウーイが教えてくれた通りに、脹ら脛へ巻かれた包帯を慎重に外すと、まだ細い足は酷い裂傷を負っていた。赤黒く腫れた患部は酷く化膿しており、兄が塗ったであろう薬の匂いよりもキツく腐臭を辺りへ漂わせる。
先ほどの治療魔法を込めた水で洗い流し、汚れを清潔な綿布で拭き取った。腫れた傷口を絞って排膿させる。水と同時に治療魔法を掛け続けた。両手で傷口を合わせるように挟み、徐々に魔力を高めてゆく。若い肌は縫合せずとも引っ付き、傷痕は残らなかった。筋肉も取り戻せたのだろう、張りのある幼い曲線に安心する。
「もう大丈夫だぞ」
カークの背後で息を潜めて見守る兄へ、優しく話し掛けると場所を入れ替わった。
「穏やかで規則正しい寝息だ。額に塗った熱取り用のジェルを、ゆっくりと剥がしてあげてくれ」
言われた通りに処置する兄は、綺麗に回復した弟の顔を見て大きな溜め息をつく。
「ありがとウ、助かっタ……」
涙声で呟くと、フラフラして倒れた。
狭い室内で苦労しながらマントを脱いだカークは、草臥れた藁の上に敷いて、倒れてしまった兄を寝かせてあげる。彼も満身創痍の状態だったのだ。
「無理をしていたんだな」
残りの水で汚れを落とし、顔から順番に治療魔法を施してゆく。弟ほどの重傷ではなかったが、引き摺っていた右足は亀裂骨折していた。
(取り敢えず、治療は済んだぞ)
若い兄弟は仲好く揃って寝ている。カークは自分が幼い頃に、夭逝してしまった兄を思い出した。
『ウーイが喜んでイマス』
再び頭に紋白蝶を止めたフェアリーが囁く。
続く